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自宅、旅する知 [マイハーベスト]

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日射しが部屋の奥まで届くようになった。

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冬の準備である。

ポーランド産のウォッカ大量購入は、飲むんではなく(飲んでも暖まるだろうけど)、その微量にエッセンシャルオイルを溶解させてお風呂のお湯に溶かし込むためである。
その日の気分でブレンドするシトラスとスパイスの、市販の入浴剤では到底叶わない肺の奥まで染み透るような香しさと加温効果に一旦ハマったら、何も入れないバスタブは寂しすぎる。



エボラが騒がしい。

航空網がこれだけ発達した現代で、本気で「日本は極東だから(安心)」なんて思ってる人がいるんだろうか。
球形の地球に、端っこがあるはずが無い。

文化人類学者、船曳建夫さんの「旅する知」を読む。(海竜社)
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自由に世界を行き来できるわけは、航空網の発達いかんではなく、心の壁や偏見を取り払う勇気と研ぎすまされた好奇心、それらに尽きることを思い知らされる。

20歳で東大の学生紛争に見切りをつけ、著者は横浜港をナホトカに向けて出航する。
行き先はあこがれのパリ。
当時そこまでの距離感は、今と比較できないくらい大きかったはず。
海路を含む複雑なルートの選択は、シベリアを経由してモスクワからパリへ向かえば旅費が半額で済むからだ。

そのルートを選択したがゆえに上陸してしまった冷戦中のソ連は、その体制のどんよりと層の厚い薄暗さを、全共闘の活動を経て左翼思想の洗礼を受けたはずの彼の網膜に強く焼き付けることとなる。

ほぼ40年経って、著者はサンクトペテルブルクと呼ばれるようになった旧レニングラードを再度訪れる。
80年代に、体制の隙間から膿がこぼれ落ちるようにもろもろとソ連が自滅していき、冷戦に終止符が打たれ、西か東か、右か左かの二極でものを考えるクセがついてしまった我々の価値観にも変化が起きた後だ。

そして筆者はロシアはソ連であった時代を含め、この100年何の変わりも無く悩んでいると感じる。
冷戦の幕引きという大きなイヴェントがあったにも関わらず、アメリカが日々上書きされているのとは対照的に・・・。


丸い地球をなぞる地理的な距離を横軸とするなら、数十年単位の経過を辿る時間は縦軸だ。
本著の魅力は、単純な横軸に沿った平面の海外探訪記ではなく、著者自身が若い頃訪れた場所を再訪して縦軸の時間を体感して描く立体構造と、文化人類学者ならではの舌鋒鋭い各国の未来への分析にある。

ニューヨークは、ソウルは、パリは、ケンブリッジは・・・・。

終章で語られる自己の見聞に基づく歯に衣を着せぬ歴史考証と国の行方は読み応えがある。
ベトナム戦争、冷戦終結、そして9.11によって、世界では何が変わったのか、変わらなかったのか。

「人は自分の場所と時間を大事にしながらも、異なる場所を知りたいだけでなく、異なる時間を生きたいのだ。居れば行きたくなる、行けば帰りたくなる。二つのあいだで揺らぐのは、人はいつまでも生き続けるのではないことを知っているから、生きている時間をいくつかに分けることで、いくつかの人生を過ごす感覚に浸りたいのだ。」

数行は、まさに憑かれたように旅に出ようとする自分の思いを代弁してくれる。

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