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自宅、わたしの日本語修行 [マイハーベスト]

Johnny, did you watch the TV?!

大急ぎで、今宿題を送ったばかりのアドレスへメールを送る。
先週初めの夜である。

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「やらないよりはマシだろう」精神で、床暖の入った快適なパウダールーム(我が家の核となる、トイレ・洗面シンク・バス・シャワーが一緒になったスペース。ドラムの練習もここで!)に常時AFNを流しっぱなしにしているのだが、どうも普段ぼんやりとしか分からないニュースの内容が分かりすぎる。

・・・・だってだって、今やったアサイメントの記事とおんなじだよ!

http://www.wsj.com/articles/max-boot-why-america-wont-pay-ransom-to-islamic-state-1417215977

違うのは当事者が日本人になったってことだ。

昨年のアメリカの詳細な調査に基づく主張記事。
アメリカやイギリスがISISにransom(あー、この単語 、しっかり覚えたな)を払わないから捕虜が処刑される。
でも払わないのは当然のこと。
身代金は新たなテロや戦争の資金源になるだけでなく、身代金を出すと分かればその気前の良い(…と記事にはある)国の捕虜は実際増えるのだ、と。

この記事に対する私の意見も全く同じであったが、仕上げた直後30分で聞いた日本人殺害予告には震え上がる。

It's really tough, isn't it?

Johnnyからはすぐ返信があり、なんかタイムリーな宿題だったね、とかいう言葉で片付けてはいけない雰囲気に二人で陥る。

現時点で解決策はまだ見つからない。

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武力と暴力で人の心をねじ伏せようとする勢力の前に静かに立ちふさがるものがあるとするなら、それは人間としての知力なのではないかと思う。

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「わたしの日本語修行」(ドナルド・キーン著/白水社)

日本文学者としてのドナルド・キーン博士の名はつとに名高いが、私がこの名前を深く心に刻んだのは、氏が東関東大震災を機に、静養していた母国を離れ、日本国籍を取得して日本永住を決めたと聞いた時である。

津波による福島第二原発放射能汚染は世界中を震撼させ、在住の外国人は皆日本を離れ、また日本を訪れる外国人も皆無に近かった時である。
主役が来日を拒否した寂しいメトロポリタン・オペラの最後にオーケストラが奏でた「ふるさと」が、会場の日本人すべての心を大きく揺さぶったことを一緒に思い出す。

そのタイミングでの、帰化である。

氏がどれだけ日本に心を寄せているかを思い、目頭が熱くなる。

そのドナルド・キーン博士が、どうやって第二次世界大戦という日米が敵対し合った時期を経ながらも、日本語を学び、日本人よりもより深く日本を理解するようになったかをインタビュー形式で綴った本著を読むと、ひたむきな知識欲に身を任せて学び進むことは、国と国との争いをはるかに超えた心の平安であると思い知らされる。

氏は幼少の頃、父親とフランスを旅し、フランス語が出来さえすればこの国の人たちと自由に話せるのに、と外国語を学ぶ意義に気付く。

優れた才能に恵まれてさまざまなヨーロッパ言語を身に着けた氏は、その後勃発した大戦から気を紛らわすように漢字の勉強を始め、タイムズスクエアの本屋で売れ残りのThe Tale of Genjiに出会い、「源氏物語」の美の世界に耽溺していく。

日米開戦の直前、ついに氏は日本語の勉強を始める。

サイタ サイタ サクラ ガ サイタ・・・・


第二次世界大戦のさ中、日本語学校に入るために海軍入隊。
日本語学校を終えた後は戦地へも赴き、戦争の真っただ中のハワイで日本文学の授業を受けたりもする。
日本が敵国だということは氏にとっては何の意味もなさず、強い日本語への興味が現実を融解させる。

戦後コロンビア大学はじめハーヴァード、ケンブリッジとそうそうたる大学で日本語研究、のち念願の京都大学大学院留学。
戦後のアメリカに日本文学の理解の輪を広める。

画数の多い漢字が好き。
憂鬱、臺灣、鹽・・・(読めますか?)

なのに、「日光を見ないうちは結構とゆうな」はあまりピンとこない。

そう、この音で遊ぶっていうのは外国の方にはあまりピンと来ないのかも。
(ウチのJ先生は、スペアリブです、スペアぶりです、っていう某ガスクッキングヒーターのシャレがどうにも分からないって言ってたけど、それと似てるんじゃないか)

氏の日本語修行は、普段何気なく使っている日本語を裏側から逆にみるような感覚で、我々日本人には大変興味深い。



幼少時、その国の言葉が分かればその国の人と話せると気付いた芽は、政治的な国境や敵対する環境をものともせず、キーン氏の中で見事に日本文化のかけがえのない理解者という存在に結実する。

我々は自国の言葉の厚みを再認識すると同時に、向学心という平和主義をこの本から学びとりたい。

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