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水戸、同窓会 [フレグランス・ストーリー]

どんなリズムでも、どのペダルでも踏めるように練習するのが先決です。

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しごく真っ当。

裏拍の16分音符がなんとも踏めなくて、ペダルを調節という甘言に釣られた。
先生もよほどひどいペダルなんだろうと思ったのか、とりあえず持って来なさいとのことだったので持参すると、
「軽やかでどこも治すところが無い」

言葉の裏拍は「練習が足りない」。

そのとおりである。

以前「飛距離はお金で買える」と言われてゴルフに嫌気がさして止めたのに、またギアに頼ろうとする。
腕も無いのに好きなドラムを誂えたりする。
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場末のスタジオ(ごめんなさい、◯ベル)で、1時間600円で夢中で練習している若い子達が、そういう時にまぶしく見える。
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サイテーだ、私。

還暦というのに何も悟ってない。




還暦の同窓会。
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四年前に母が、今年二月に父が逝って、故郷に帰る理由が無くなってしまった。
中学校の同窓会は、そんな最後の思いを振り絞るようにして出席した。

当時1クラス40人超の10組編成。
高度成長期のまっただ中、大きくて賑やかな混沌に満ちた学校だった。

その中に埋もれ、大したこともせずに三年間が終わってしまった。
誰と仲が良かったのか、それすらもあまり覚えていない。
とにかく人数が多過ぎて、覚えているのは最後の運動会で誰と二人三脚を走ったか(野球部のエースだった)、謝恩会でイケメン男子のヴァイオリンの伴奏をピアノでやったことくらいだ。

あの学校で、自分が思ってるほど、私の色は濃くなかったに違いない。
そんなに優秀でもなく、そんなにどうしようもないわけでもなく。
ゆるい立ち位置だった。

そのうち大学で東京に出て、そのまま結婚してしまったので、故郷の友人達との付き合いはほとんど無いまま45年も時間が過ぎてしまったのだ。
同窓会は急速に何十年もの時間を縮めるアナログなタイムマシンなのだろうけど、集った100人ほどの同窓生の胸の名札を見ても、思い出すのに時間がかかった。
ああ、そう言えばそういう子がいたなあと思うくらいで、多分みんなも私を見てそう思った程度だろうと思う。

いろいろな人と立ち話をして、数分間だけ中学時代のその人との関係に淡い光が当たった。
みんな必ずしも絵に描いたようなハッピーな状態じゃないかも知れないけれど、それでもここに出席している人生の実りを感じた。
ここにいない、あとの300人の人生をうっすらと思った。

あの頃、自分が何をしたいのか、どういう大人になりたいのか、何が好きなのか、一度も真剣に考えなかった。
高校は成績で振り分けられたし、大学も父の言うとおりのところへ行った。
何一つ、自分で決めたことが無かったと気付いた。




水戸にいく前の五日間、軽井沢で大雪に降りこめられたので、記憶がホワイトアウトしたのかと思った。
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どうせ降りこめられてるのだから、右足がちぎれるくらい必死に練習すればよかった。
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それも何だかこんなものをFBに上げたりしてごまかしていた。
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可哀想に、ノーマルしか履いてなかった子は山荘に置き去りにされて、私と犬達は災害派遣されたクリニックのスタッフに救出された。
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中学校の時もそうだけど、今も変わんない、私。
あんまり物事を真剣に考えてないのだと、二つの出来事を繋ぎあわせるとそんな気がする。
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水戸に帰って、まだ「帰って」と言っていいのならだが、同窓会に来られなかった親友と、翌日市内のデパートの食堂でご飯を食べた。
小学校から高校まで同じ学校、大学時代も半分は彼女と一緒に居た。

ご主人の体調が悪くて看病するうち、自分の体調まで崩して静養中、同窓会に来られる状態ではなかったK子。

「眞奈は昔から可愛くて、頑張りやで(本当はそんなこと無いのだが)、一緒にいた時は私はとても楽しかったんだよ」
その頃を思い出しながら編んだという手編みのストールを渡されて泣いてしまった。

K子と一緒に学校へ通った坂の道を思い出した。
冬になると、アンコウが顎を鉤で引っかけられて吊るされている店が途中にあった。
その時の、つるんとした寒さを思い出した。

今日はK子が編んでくれたストールで出掛けた。
出掛けに写真を撮って、彼女にメールした。
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ありがとう、K子。

彼女がいてくれることで、ようやく自分が水戸にいた意味が分かったような気がした。







軽井沢、武満徹・音楽創造への旅 [マイハーベスト]

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信州軽井沢の晩秋。

観光客が去り、木々の葉が落ちて、別荘地はからんとした静けさがただ横たわっている。
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この季節が好きだ。

気温差でできる曇りガラスの向こうの曖昧な世界は、何故か郷愁をかき立てる。
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自宅では留守番役の多い犬達も、ここではべったり。
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No Wine, No Life
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旧軽銀座の店もほぼ仕舞ったこの季節、ぬくぬくと暖まった部屋でワイン片手にひたすら本を読むのは極上の幸せである。
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「ノヴェンバー・ステップス」を聴く。

この名曲が生み出された軽井沢で、ほぼ1ヶ月読破に取り組んできたこの大評論を読み上げることが出来るのも、何かの引き合わせのような気がして感慨深い。

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「武満徹・音楽創造への旅」(立花隆/文藝春秋)

単行本二段組み780ページは、'96年に没した現代音楽の巨星武満徹の人間と業績、そしてクラシック音楽で育った人間が近寄り難い現代音楽の概論を語るには、どうしても必要なボリュームであったろう。

武満の人生は、日本現代音楽のポールポジションそのものだ。
彼が牽引してきた現代音楽とその逡巡は、私のように全く現代音楽に触れてこなかった素人をも感動させる厚みがある。

ピアノ以外の楽器を知らず、1オクターブを7つの白鍵と5つの黒鍵で分割した振動比による音階と平均律でしか音楽を考えてこなかった私には、この厚みの中に織り込まれる武満の人生を透過させた現代音楽の流れとセオリーは、天地がひっくり返るような驚きであり、就寝前のベッドの中で読み進めるその時間が待ち遠しくてたまらないような新天地であった。



クラシックで育った人間が現代音楽にアレルギーを起こし易いのは、ひとえにその破壊性にある。

クラシック音楽は常に「調性」(Tonality ハ長調等に代表される調和を軸とした音階)を意識して作曲されているので、逆に言えば楽曲は調性にがんじがらめになっているとも言える。
簡単に言えば、現代音楽はその縛りから作曲を解放(=破壊)しようというところが出発点だから、調性に飼いならされた私などは、まずは現代音楽の無調性(Atonality)を”心地良くない”と感じてしまう。

多岐にわたる武満の取り組みの中でまず一番目を引くのは、この調性と無調性の取り合い、バランスとの闘いである。

現代音楽は、まず調性に司られるクラシックの十二平均律を破壊する十二音音階(十二平均律のオクターブ内の12の音を均等に使用して、調の束縛から離れようとする作曲技法)による無調性への移行という形で全世界が進んでいく。

ミュージック・コンクレート(電気的、機械的に変質させて作った音を組み合わせる作曲法)やセリー技法(音楽における全ての要素を数式化して計算によって自動的に作品を生成させる技法)など極端に人間性を排除した技法を経て、「便宜的な小節構造の上に成り立つ形式は虚しい」と感じた武満は、ジョージ・ラッセルが提唱した「リディア概念」(古典的な調性音楽は否定するが、音楽には根源的な調性の中心が必要だとする考え。汎調性=Pantonality)に出会い、共鳴し、その理論のもとに熟成期のいくつかの作曲をする。

どんなに調性を破壊しようとしても、その音楽を聴くのが人間である限り、聴覚が自然に補って聞かせてしまう主観倍音(完全な協和音程の五度の音程がそうだと言われている)があり、調性以前のフィジカルな音感の問題がそこにある。
先に上げた代表作「ノヴェンバー・ステップス」は、調性の面から言えば、この汎調性主義の彼の集大成だと言われている。

この本から私が知った武満の業績は枚挙に暇がない。
それを一つ一つ書き記したいが「ここに記すには余白が狭すぎる」

武満は壮絶な試行錯誤を経て、日本音楽と西洋音楽との位置関係においては、結びつけるのではなく「対比させる」という地点に到達し、テンポの面では「時間の重層化」(それぞれのパートの一拍の長さが同一ではない)を試み、記譜法の面では図形楽譜を用いて曲の不確定性を導入している。
そういったさまざまなチャレンジを繰り返すことで、武満は音楽がいかに自由で多様性があるものかを我々に教えてくれるのだが、結核を病み、遂には癌に屈した生涯を通して、彼の音楽観には常に死の存在が横たわるという。

芸大はおろかさしたる音楽教育も受けず、ピアノすら弾けずに作曲の道に入ったという真っ白な下地によって従来の固定概念や先入観に囚われずに音楽を眺望できたことは想像に難くないが、それ以上に類い稀な感性で真摯に新しい世界へ取り組んで積み上げられていく彼のセオリーが、単なる自己満足に終始するようなアバンギャルドではなく、宗教、政治倫理、風土や民族性までを俯瞰し、常に聞く人の耳を意識して人間の内面にぶれずに向かっていることに感動する。

著者が武満自身と彼と交わった錚々たるアーティストに5年半の歳月をかけて行った取材の結集たる本著を読み進めると、音楽とは聞く者にとっては多分にエモーショナルな芸術として受け止められるが、それを作る側には緻密な数学的論理、音楽を精神的に分解していく哲学的思考が要求されることに気付く。

広くは現代音楽から派生して、日本文化そのものへの理解と影響を深めた武満に、知の巨人たる著者がいかに傾倒したか。

武満の没後、長らくこの本の出版に至らなかった理由も、そこに見て取れる気がする。





枯れ葉を踏む十一月の足音が密やかに山荘の小径を通り過ぎていく。

現代音楽概論の講義にも匹敵する内容に圧倒され、辞書を引き引き読み進める作業を終えて、明日は武満の別荘があった御代田あたりをドライブしてみようと思う。

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ふじみ野、いろんな決心をしなければいけない時で・・・ [フレグランス・ストーリー]

いろんな決心をしなければいけない時で・・・

トイレに日本地図を貼った。
小学生かってハナシである。
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京都に海があるの?

・・あたりから始まって、関西や四国の方が聞いたら激怒するような発言相次ぎ、あんなに世界の隅っこまで出掛けていくのに国内の地理になるとまるきりバカだなと言われ、この話題になったら口を開くなまで言われて、60歳の奮起。

トイレに覚えたいものを貼る。

なぜもっと長い時間を過ごすはずのベッドサイドやキッチンではだめなのか。
そう、それはとりもなおさず、トイレでは何もやることが無いから。
ただそこに神経を集中させられると錯覚する。

貼っただけで覚えたような気になる。
小学校の頃からの悪癖だけど、とにかく覚える努力をしてるんだという自分に満足する。
(だったら小学生の時に日本地理やればよかった)

余談になるが、息子達が小さい頃、トイレは母が毎週送ってくる子ども達への俳句やメッセージ、今週の家族の予定、四谷大塚版歴代の総理大臣名などで埋め尽くされていた。
そう、それはとりもなおさず、トイレは家族全員が必ず一日に一回以上は座るところだから。
ここまで確実性のある家族の交差点は他に無い。

貼っただけで伝えたような気になる。
息子達が思春期で無口になる季節までそれは続き、とにかくママはあんたたちを見捨ててないよと自己満足の意思表示でもあった。
(彼らは私をとっくに見捨てていたのかも知れないけれど)

その繰り返しの延長上にまだ私の人生はある。



兵庫県は両側に海があって、エラいなあと思う。
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・・・。





いろんな決心をしなければいけない時で。。。

2年前のインド旅行でお世話になったガイドのランジャン来日。
毎年香料視察ツァーを企画する日本唯一の香料関係出版会社会長に引き合わせる。
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来年の香料ツァー、ランジャンだったらきっと大成功となるはず。
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インド人もびっくりのリアルジャパニーズキュイジーヌ堪能。
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エアインディア事件で、二度と行くかボケ!的な気持ちになりかかったが、再び彼の地を踏む決心は出来ました!!




いろんな決心をしなければいけない時で・・・

今日を逃したら今年はツリー無しのクリスマスパーティに甘んじるというギリギリのタイミングで、何ヶ月かぶりでぽっかりスケジュールの空いた日曜、恒例ワイン飲んだくれながら一人ツリー飾りイヴェントに着手決心。
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今年はたまたまヴェトナムから帰国中の次男が、私が大音響で流しまくるクリスマスキャロルに眉をひそめながら傍のソファに横たわるが。

構うものか。

年に一度の大事なmy eventだもの。

てっぺんは今年もルブタンのレッドソール。
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今年始めのウィーン滞在で手に入れたホテル・ザッハーのザッハートルテ型オーナメントはお初のお披露目。
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来年のクリスマスにはこのツリー飾りをすることはないのだと、ワインの酔いがちょっとした感傷を押し付けてくる。

いろんな決心をしなければいけない時の、一番大きな決心。

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そんな大それた決心を許してくれた家族に感謝する。
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いろんな決心をしなければいけない時で・・・

夫の本が出ました。

最終稿をチェックしてと言われて読み、なんちゅうダサいタイトルかとすぐに訂正を命じたものの、すでに原稿は印刷に回っていたという痛恨のタイトルを紹介するには、相当の決心が要るけど。

「はじめてママになる人のための妊娠・出産読本」(西島重光/幻冬舎)

本人後書きの、
「ようやく息子に自分の仕事を引き継ぐこの時に、どうしても皆さんに言いたいことがあると気付いた」という一文にちょいと泣けた。

それを彼はずっとずっと溜めてきたんだ。



もしおヒマがあれば、一人の町医者の必死な取り組みを読んでやっていただきたい。





ふじみ野、少年少女のための文学全集があったころ [マイハーベスト]

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朝布団から抜け出せずにいる。
昨夜着て出かけたワンピースはまだ夏の名残。
それを恨めしげに眺めている。

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冬が確実に両手を広げてやってくる。
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足首にぞわりと冷たさが忍び寄る夜に、レユニオンのバニラをつけ込んだ焼酎をお湯割りで飲んでみて一人悦に入る。
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温もりでバニラの香りが立ち上り、何ともクリスマス的なほっこりとした飲み物になっていたのは嬉しい予想ハズレ。
「百年の孤独」の黒木本店、「野うさぎの走り」という名もジビエっぽくて、焼酎のみならずネーミングのセンスが抜群だ。

ちなみに「バニラなんか浸けたら酒が甘くなるじゃねえか」と辛党諸君からのご指摘多数。
心配無用、バニラに甘味成分は無いのです。

鞘の中にはバニラビーンズがぎっしり。
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久しぶりにプリンでも・・・



1年前のハロウィンの朝に逝ったべべを偲んでいるうちに11月に暦が変わり、明日5日はガイ・フォークスデー。

Guy Fawkesは1605年11月5日、イギリス国会の開会式にジェームス1世や閣僚達を爆死させようと議事堂の地下室に大量の火薬を持ち込んだ歴史上の人物(直前に発覚して処刑された)。
当初はその陰謀の恐ろしさを忘れないようにとの集会だったらしいが、後世大量の花火を打ち上げて夜空を楽しむお祭りになったという謂れが、何ともブラックジョーク的でイギリスらしい。

そのお祭り花火のきらめき落ちる火花と共に、空からメアリー・ポピンズはバンクス家に再び戻ってくる。
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「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」(P.L.トラヴァース著/林容吉訳/岩波書店)

その日、バンクス家では「花火を子ども達に上げてやって」と懇願する夫人を振り切って、不機嫌なバンクス氏は「No rockets for me!」とわめきながら出て行ってしまう。
(原文ではバンクス氏の子どもっぽさがよく分かる・・笑)
fireworksじゃなくてrocketsなので、個人で打ち上げられる花火なんだろうと思う。

仕方なく子ども達が煙突掃除人と打ち上げたrocketsの火花の中からメアリー・ポピンズが降ってくる・・
なんと幻想的なプロローグ。

私はこの挿絵を飽きもせずに眺めながら、日本には無いガイ・フォークスのお祭りと辛口ナニー、メアリー・ポピンズへの思いを、小学校に入ったばかりの心の中に広げていったものである。



朱色の布表紙の岩波少年少女文学全集を読む前の世代向けに当時出版されていたこのカラフルな岩波書店の児童文学書シリーズで、私は自分の読書人生を決定する主人公にたくさん出会っている。

何年か前にこのブログでも紹介済みだが、中でもピッピは、ファンタジーの世界の限りない広さと、自分の想像を深める面白さを私に教えてくれた大切な「女の子」であった。
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「長くつ下のピッピ」」(リンドグレーン著/大塚勇三訳/岩波書店)

ピッピは読書の世界に大きく門戸を広げて私を迎え入れてくれ、本と共に大半を過ごした少女時代を紡ぎながら、私は大学で児童文学を迷わず専攻した。

そしてそこで勉強したファンタジーの要素や大人の文学との決定的な違いは、確かに自分の人生観形成に影響したと確信した記憶も濃い。



そんな主にイギリスの児童文学を取り上げて、翻訳のスタンスから受け止める印象を論じたエッセイがこれだ。
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「少年少女のための文学全集があったころ」(松村由利子/人文書院)

戦後自由になった出版界が活気づいて、人びとはむさぼるように本を求め、全集ブームが到来した。
そしてまた戦争という過ちを繰り返さないために情操教育という言葉が出現し、戦争中には与えることが出来なかった良書を子ども達に手渡すために、各出版社は古今東西の名作から選りすぐった文学を美しく造本して、少年少女文学全集も広く出版されるようになった。

今は孤立するという理由で疎まれる子供部屋という観念も、独立性を養うと言われて浸透し始め、そこには全集を収めた本棚があり、普及し始めたテレビ媒体の情報とはまったく違ったファンタジーの世界は子供部屋という空間に当時満ち満ちていたような気がする。

インターネットにつなげば映画でも本でも手軽に手に入れることができ、バーチャルでファンタジーを体験できる今の時代を否定するつもりは毛頭ないが、世を挙げて子供を美しい将来へ導いていこうという本気な風潮の中で子供時代を送れたことは幸せに思う。

ベッドの中で読む装丁本の重み、こっそり机の下でページをめくる密やかな音、いつまでも閉じて眺めていたかった表紙の美しい色彩、図書室で引っ張り出す本の行間に立ち上る埃の匂い・・・
五感で読む本が、その時代は確かに存在したのだった。

情操教育という大義名分を超えた時間を費やしたので、私の子ども時代の読書は、宿題やピアノをさぼって親の目を盗んで読むものだったから、少し後ろ暗い。
授業中にベンハーの戦車競争をこっそり机の下で読んでいた赤毛のアンも、きっと同じ気持ちだったろうと思う。
しかし、ピアノがさらえていなくてもそこに大切な一冊が存在したとすれば、それはでこぼこなブルグミュラーよりも価値のある時間だったと今は言い訳できる(笑)




そしてそういう子ども達が今大人になった時、海外の児童文学のエッセンスは間に翻訳という濾紙が挟まっていたことに気付き、自分が大切にしてきたイメージや思いがもしかしたら原文とはちょっと違っているのではないか、または今でもその挿絵を見ると翻訳文がスラスラと出てくるほど馴染んだ文章はもっと違った意味があったのではないか、と、それは間違いを掘り起こすという下世話なスタンスではなく、あくまで少女時代の読書の楽しさを反芻するという意味で著したのが本著である。

次から次へと紹介される児童書は、まさに私にとっては必ず一度は読んだことがある懐かしいツボの本ばかり。
私のような少女時代を送ってきた方には、たまらなく楽しいエッセイだろうと思う。




沢山の本を次々に制覇していくのも、それはいい。

しかし何十年も前に読んだ児童書を大学で勉強して掘り下げたり、新しい観点から見直したり、神田の古本屋でもう一度手に入れたりする。
大人になって抱えなくてはならないちょっとした悲しさは、バニラ酒のようにモノクロの記憶と黄ばんだページの色が混ざり合うボトルの中で、古の甘やかさに溶けていく。



それは児童文学の記憶でしか叶わないと思う。












モーリシャス、インド洋の風 [セルフィッシュ・ジャーニー]

レユニオンにいるなら、と知人が日本から情報をくれた。

レユニオンには、「ブルボン」の名を抱くもう一つの名品、幻のコーヒー、ブルボン・ポワントゥがあるって。
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ふーん、と話半分にラインの文面を見ていたが、視察先のフランス農業研究機関CIRADが、一度絶滅しかけたこの香り高いコーヒー(カフェインが0.05%、そのためアロマが際立つと言われる)を再生栽培させることに成功したと試飲をさせてくれたことにより、俄然”幻度”の信憑性が増し、早速どこで買えるのかを、恐れ多くも案内してくれたDr. Grisoniに尋ねてしまう。
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博士は丁寧に、ここは研究機関だから販売はしていないしスーパーなどにはもちろん無いから、といくつかのブティークを紹介してくれた。

その後見学した植物園で、実際のポワントゥ(pointu、英語のpointは尖っているという意味)の木と葉も見て、レユニオンで何を買うべきかと逡巡していた隊員達の期待最高潮に達するも、145g約4000円という値段にドン引き、爆買いには至らず。
(ただ一人の元議員を除いては)
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その時、日本ではUCCが100g8000円超で売っていることを知っていたら・・・

帰国後飛び交う情報に、隊員達の悲鳴止まず。



まる一日以上かけてはるばる極東の島国から飛んできたインド洋の楽園を、たった3泊というツァー独自のスケジュールで立ち去れない。

準備の段階でそう踏んだ長年の香料ツァー仲間由香さんと私は、最後にバンコク回りで帰国の途につく隊員達と分かれ、二人お隣のモーリシャスへ飛ぶ。
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地上の楽園という言葉があてはまる場所は世界に数知れずあろうが、さすがヨーロッパの伝統的リゾート地モーリシャス、私の中では経験値に無い極上の風土。
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10月のモーリシャスは冬。

昼間は30℃まで気温が上がるがからりと快適、マリンスポーツにはもってこい。
夜は涼しい風が吹き抜け、羽織るものが必要なくらいだ。
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朝7時集合という視察最中の緊張感が解け、写真が全部心置きなくリラックスしているのが我ながら情けない。
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こんな快適な気候は、アジアでは絶対に味わえない。

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インド系リゾートホテルの先駆者、The Oberoi Mauritiusは名に恥じず、インド洋の風を存分に堪能できるストラクチャー。
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お約束のサニーサイドアップとパンケーキは合格点である。
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部屋に届けられたスイーツは、到着日に自撮りした写真がプリントされたケーキ。
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(FBからスタッフが読み取ったらしい・・・)

ディナーの席で披露されるモーリシャスの伝統的なダンス、Segaは、打楽器の強いリズムにひらめく白いコスチュームの裾がとても華やかだ。
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二人快楽に漂う写真に向け、48時間洗顔・シャワー無しで、雨のバンコクトランジット中の隊員からテポドン発射される。
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本当に申し訳なくも、まだ隊員のキズナを深めつつサバイバルしているみんながちょっと羨ましくもある。




さてこちら、どうでも良いことに執着するのは酔っぱらいの常。

南半球では排水の水流が北半球とは逆になるというコリオリ効果をどうしても試したい。


何が了解です、よしっ!なんだか意味が分からん。

さらに便器に座りコリオリをググるも、便器中の大きな水流を確認するまでには至らず中途半端。
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一応セオリーどおり、左巻きという結果を得られて満足する。



散歩はドライバーを雇って、イギリスの植民地であったモーリシャスの紅茶ファクトリーを見学に行く。
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昔は100軒近くあったという紅茶の農場は今、たったの2軒。
丘の上にあるティーハウスで10種類近くの紅茶の試飲ができる。
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モーリシャスの首都ポート・ルイスへも足を伸ばす。
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私の想像をはるかに超えた近代的なビルと、植民地時代のオールドシティが混在する美しい陽光に溢れた町である。
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昔は暗黒大陸と呼ばれた大きな大きなアフリカ大陸の東側に、ぽつんぽつんと3つ並ぶマダガスカル、モーリシャス、レユニオン。
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お互いの距離はさほど遠くないが、文化や風土はそれぞれに経てきた植民地支配という濾紙を通して、全く異質に存在している。

レユニオンは今でさえフランスの一部分であり続け、職の無い人にも十分な補償が与えられ、早くに独立したマダガスカルよりのんびりと豊かに思える。
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何が幸せで、何を豊かだと思うのかは、数日の旅行者には計り知れない。
先日旅してきた「世界一幸せな国」ブータンでも同じことを考えたように思う。

ともあれ、ブータンのエマダツィと同じように、今度は持ち帰ったバニラで、旅の味を反芻する。
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そして旅は道連れ。
由香さん、楽しい旅のお付き合いありがとうございました。
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また是非行きましょう!
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