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プナカ、棚田を行く(事件その4〜5) [セルフィッシュ・ジャーニー]

高地ティンプー、9月初旬は雨季の最後にあたり、夜の雨が残って朝はダウンを着込むほど寒い。
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すべてのAmankoraに共通のdon’t disturb。



次の訪問地プナカ(Punakha)を山越えで目指す前に、市内のブータン建築を見る。
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ブータンの建築は、石積み等の組積構造と木造真壁工法部分が組み合わせられ、その壁にペイントされた装飾が色彩豊かで、地上の虹と呼ばれるほどに美しい。
特に窓枠の形と色彩の美しさは際立っている。
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首都ティンプーでは、民家のみならず政府管轄の公共建造物も多いため、豪奢で堂々とした建築物に出会うことが出来る。
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事件その4:民家はもちろん、市内のどんなに立派な建造物でも、屋根だけはペラペラのトタン屋根。石積みの基礎部分の重厚さから目を移すといきなりのハシゴ外され感がハンパない。建築に携わる者として屋根デザインをブータンに広め、日本人として二人目のダショー(農法を広めた日本人西岡氏に授与された爵位)獲得をクニちゃんが画策し始める。

道すがら見る民家もその伝統工法にのっとって、一階が土壁の家畜スペース、二階が木造真壁の住居スペース、その上に屋根裏のような風通しのよい吹き抜けのスペースをとってトタンの屋根を載せる。
農家ではその屋根の上に、ブータン料理に欠かせない真っ赤なチリを干しているのが普通だ。
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Tashiによると、このチリ、ほぼ一ヶ月干しっ放し。
豪雨も強風も多い時期、コンプリートされるのは半量くらいかと心配してしまうが、そこはブータン人、鷹揚なんである。

軒先や門の上には男性器を象った厄よけのオブジェを頂く農家も多い。
(こんなもんで顔を赤くしていては度量が小さいことを後に知ることになる)
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これらの家々が緑の懐に抱かれている様は、どこか日本の原風景のようでもあり、アルプスの山麓を見ているようでもあり、のどかで心がしんとする。
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目に飛び込んでくる鮮やかな赤はチリだけではない。

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僧侶見習い中の若者が着る袈裟の赤は、重厚なラカン(寺院)建築にひと際映える。
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あるゾン(Dzong)の中の僧院で、若者達が祭りのための激しい踊りを練習しているのを見学したが、真っ赤な袈裟が宙に翻り、それはそれは美しいものであった。
寺院の堂内はすべて撮影禁止なので、写真が無いのは残念である。


ブータンの国内移動はすべて車である。
ヒマラヤ山系に抱かれた山国であるため、道路はほとんどが碓氷峠を何十回も繰り返すような泥のオフロード。
もちろん街灯もガードレールも無く、崩れかけて片側が無い場所もあり、一日の最大の走行距離は150km程度だ。

高地ティンプーから川沿いの旧首都プナカへ。

途中の峠に建設された仏塔ドチュ・ラは標高3,150m、この区間で唯一のトイレ休憩。
天気がよければヒマラヤ山系が一望できるはずだったが、あいにくの小雨まじりの濃霧。
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雲上の理想郷といった風情。
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ブータンでは公衆トイレの設備はほぼ皆無。
移動ではいつも心の隅に青空トイレの覚悟を。

だから、このカフェ付設トイレの男女サインもありがたくて拝みたくなる。
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「普通はこの峠越えはみんなcar sickになるけどねー」というTashiの言葉なんかものともせずにあっちに寄り、こっちに寄りして5時間近いドライブを楽しんでプナカへ着いてみれば、そこは緑の棚田が広がる心安らぐ田園風景。
(後にこの道で遭難しかけることはこの時点ではまだ分からないのである)
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プナカのAmankoraは5つのAmankoraの中で最も小さな8室のファシリティー。
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渓流を吊り橋で渡って到達する。
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ダイニングの入るメイン棟は、伝統工法の農家をリノベイトしたもの。
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宿泊棟はケリー・ヒル。
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ティンプーとはやや違う間取りだが、窓のデザインが繰り返され、ずっと同じホテルに居るようなリラックスした雰囲気を醸し出す。
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テラスで遅めランチ。
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事件その5:ここで白ワイン2杯あおった後、天童の山寺の3倍くらいありそうな山頂寺へトレッキングに駆り出される。
次男に今回の旅行の主導権を握らせたのが間違い。どS!
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やはり渓流を渡る吊り橋の麓から、可愛らしい道案内犬が桃太郎のお供のように一緒に山を登ってくれる。
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白ワイン2杯なんて、吹き出す汗と共にとっくに体外排出。

これでレベル1か(Amankoraお勧めのトレッキングコースには難易度が示してある)と先行き超不安になる急勾配を約1時間かけて登り切ってみれば、絶景かな。
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ブータンの心がそこにあった。




ティンプー、天空の首都(事件その1〜3) [セルフィッシュ・ジャーニー]

おお!

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啓徳空港以来の感動かもしれない。
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両側を深い切り立った山岳に囲まれた谷へ、バンコク発インドKolkata 経由(だるい…..)Druk Airはまるで緑に吸い込まれるように着陸していく。
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保有機、わずか4機。
ロイヤルブータンエア、あっぱれな腕前。
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機内食のお味もなかなかである。
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事件その1: 経由地があるため、3時間半のフライト中、2回ご飯が出る。1回目めで真剣に食べてしまった。



空港のあるParoから車で約1時間半のブータンの首都Thimphuは、標高2400m、軽井沢とほぼ同じくらいの気温である。
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学生はもちろんのこと、町はまだ西欧化されていない民族衣装の人びとも多く、独特の濃い色彩に溢れている。
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織り姫達の織る布は、極彩色と言ってもよいくらいの濃い色合いだが、独特の建築の装飾がそうであるように、したたるような自然の緑に抱かれてあまりにも美しい。
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また、男性のゴ(GO)は日本の着物を腰で膝辺りまでたくし上げたような形、独特のストライプやチェック柄に折り返す真っ白な袖口、黒いハイソックス、革靴と相まって、どこかスコットランド風のカッコ良さである。
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ガイドのTashi。
私たちの我が儘により、かなりブータン的幸福度を下げられた犠牲者。


首都と言えども信号機は一機も無く(ということは国中に一機も無いということである)、代わりに主要な交差点には交通整理をする警察官のポリボックスがある。
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ブータンは、その独特の文化色が面白そうで是非訪れたい国の一つであったが、政府が観光客を直接把握するため、こちらの勝手な行程で移動が出来ない面倒さがあって長らく懸案のままとなっていた。
しかしこの度、良き旅仲間を得て実施の運びとなった(笑)
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アマンリゾーツの一つ、Amankora がブータン国内に5つの拠点を持つ一種独特のスタイルを持っていることは承知していたが、それも政府の一定のルールに従ったアイテネラリを消化するためと理解。
今回はそのうちの3つを回る最低限のコース(それでも7泊9日である)を、次男、その仕事仲間のクニちゃんと3人で回ることとする。

事件その2: クニちゃんと次男がどういう仲かということが巷では大問題となっている。
(出来れば私が聞きたいくらいである)

Amankora はアマンリゾーツの代表的建築家ケリー・ヒル(Kerry Hill)が12年をかけて構想、建築した5つのロッジからなる。
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いずれもブータンの伝統建築デザインである泥壁とがっしりした木柱、12度勾配の屋根を取り入れたフォークロアな山小屋、それもとてもゴージャスなロッジといった佇まいで、深い針葉樹林に抱かれたロケーションにマッチする。
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特にこのティンプーのAmankoraは、ブータン各県に一つずつある、Dzong(ゾン)と呼ばれる伝統的な機関建造物を模しており、ロッジというよりはコートヤードを有する威風堂々たるデザインとなっている。
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朝夕は軽井沢の今がそうであるように肌寒く、ディナーは暖炉前で取る。
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観光客以外外食があまり一般的でない国で、結構なクオリティの料理を出すのはさすが。
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事件その3: 次男が勇んでオーダーしたマツタケコース、空白が多すぎる。次男とクニちゃんによって、”空白の美”と名付けられる。

ブータン料理については後述する。
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乞う、ご期待。




ふじみ野、還暦の打音 [フレグランス・ストーリー]

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60歳になった。


誕生日の前と後の自分は何も変わらないのに、世間的にこの1日の段差はなんと大きいことだろう。
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30歳、40歳、50歳になった時はその段差を自分の感覚で何事も無かったかのようにスルーしたが、今回のギャップは世間様が見逃してくれないというのが実感だ。

誕生日の3日後に孫にせがまれてキッザニア東京に行ったら、シニア割引のチケットを渡されて仰天する。
4日前に来ていたら、500円余計に出費があったんである。
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500円の節約とシニアと呼ばれる意気消沈は、キッザニアに居る間中、自分の中で葛藤を繰り返す。

孫は自分の父や祖父と同じ職業を体験したいと言い、腹腔鏡手術に挑み、その姿を写真を撮ってラインで息子と夫に送ると、片方は感涙にむせび、もう一方はインストラクターにクレームを付けてくる。
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3世代のそれぞれを見渡すことが出来て面白いのも、シニアと呼ばれる年まで生きてきたご褒美ではあるんだろう。



自分のちっちゃな会社のスタッフ総出でお祝いをしてくれ、真っ赤なシンバルとスティックを貰う。
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いつもの誕生日なんて家族にさえ祝われないのに、こそばゆいったらない。

全員私より若いスタッフには、自分の50代という10年は今までの人生で最高のthe decadeだったと一応訓示を垂れる。



若い子しか目に入らない日本男子から見れば、50代の女なんて爬虫類と一緒かも知れないが、そんな幼稚なオトコどもを足蹴にして、女性の50代は輝くべきだ。

50代初めに下の息子が大学院に進み、長男は既に医者になっていたから、母親としての役目はここで卒業させて頂いた。
それまで完璧専業主婦であった自分に、大きな時間の余裕がプレゼントされ、私は自分の会社を作って活動をし始めた。
同時に、ひとりで海外を歩く面白さに魅せられ、そこから自分がまだ学ばなければならないことを知ったし、多くのこれまでに無い業種や他国の友人も出来た。

踏み出した一歩がまた次のステップを生む。
そんな風にして人生が思いっきり拡張していく、またその楽しさにも魅せられた。

幸いなことに身体が丈夫なことと夫の理解に支えられて、周囲が半ば呆れるような貴重な経験も沢山した。

これまでの人生の中で、こんなに自分だけのために努力し、投資した10年間は無い。
毎夜机に向かう私に向かって、夫は、
「学生時代にこれだけ勉強したら、医者にでも弁護士にでもなれたぜ」
と何度も宣ったが、その度に、医者になんかなりたくない、私は自分が面白いと思う勉強がしたいんだ、と心の中で毒づいた(笑)

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私の50代は、私に迷惑をかけまいと自ら入所した高齢者施設で人生を終えた両親への、娘としての寄り添い方を逡巡した時間でもあった。

二人とも90歳越えの長寿であったが、両親を介護し看取った期間を通して彼らの人生と自分の人生の分離と融合を幾晩も幾晩も考えて悩んだが、娘という立場を喪失した今、理屈抜きに人生の指針を失った心細さに襲われることもある。

その心細さをこれから一人で生きる自信に変容させ、また50代で選び取ったものを芳醇な果実に熟成させていくのが、これからの10年だと心に刻んでいる。



子どもが巣立ち、親を送り、縦の糸が細くあるいは消失したこれからは、夫との横糸の強い人生が新たにスタートする時期でもあろう。

赤いシンバルとスティックが、どんな打音で60代を叩き出すか。

乞うご期待である。

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軽井沢、楡家の人びと [マイハーベスト]

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軽井沢では森の木々をざわつかせる程度で台風一過、木漏れ日がダイニングに降り注ぐ美しい朝である。

長男一家、東京からの客人、そして夫が続けざまに下界へ下り、ようやく一人と二匹だけの本当の休日が来る。
こちらも台風一過である。
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別荘仲間とhouse-warming party
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日中はただひたすら本を読む。
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いたずら盛りの孫達がどかんと空けていってくれた時間の穴はたっぷりあって、極楽とはこのことか。




よくもまあ、次々にやることが見つかるもんだと感心するほど、怪獣どもはじっとしていない。
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避暑地に来たなら、出来るだけ静かに何もせずにいることが贅沢だなんていうのは、所詮大人の理屈でしかないんだろう。
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しかしカオスな彼らの避暑地の夏も終わりだ。
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(超シブいBBQ…)

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大人になって此処を思う時、彼らの胸に去来するものとは。
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避暑という言葉には、どこかノスタルジックな、古き良き日本を思わせる響きがある。
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いつ頃から始まったのかよく分からないが、今ほどの猛暑はもっと少なかったにしろエアコンの無い時代、都会の暑さを文字通り避けて高冷地へしばし日常を移す習慣は、子ども達の心にひと際色の濃い思い出を作っただろう。



楡家の子ども達は三世代に渡り強羅の別荘で夏のひとときを過ごし、それぞれの夏と出会いを経験する。
それは確かに恵まれた良き昭和の日々であったろう。

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「楡家の人びと」(北杜夫著/新潮文庫)

いわずと知れた戦後日本文学史に屹立する大長編大河小説。
斎藤茂吉を父に頂く斎藤茂太、北杜夫兄弟の華麗な一族をモデルにし、ドラマ化もされ、三島由紀夫が「戦後に書かれた最も重要な小説の一つ」と激賞している。

文庫本で3冊、明治・大正・昭和の歴史に揉まれた医家を描く長編だが、その冷静で研ぎ澄まされた文章は一貫して乱れが無く、非常に高度な著者の文筆力を思わせる。
加えて史実の分析と描写の的確性、その時代の善良性、正統性の根拠にもブレが無く、読み手は真っ当な日本の市民生活が歴史に包括されて移り行く様を、共感を持って受け止めることが出来る。


東京青山にある明治37年に創立された楡脳病院が舞台。
ドイツに留学経験のある精神科医で、当時草むら生い茂る青山に宮殿のような病院を建てて自分の成功を誇示する俗物楡基一郎が創設、文庫本第一巻はその人物像や家族のみならず病院の主な従業員を描写、当時の大病院の、どこか奇妙でしかし確実に恵まれた生活を投影する。
万事派手を好み、国会議員にまで触手を伸ばした基一郎によくも悪くも牽引されて、一家と病院は隆盛を誇る。
そんな一家の強羅の別荘の夏が過ぎ去ろうとした時、関東大震災の揺れが彼らを襲う。

基一郎の長女龍子とその婿となった徹吉(茂吉がモデルだと言われる)を中心とした二世代めが2巻の軸となる。
徹吉は学究肌で、俗物の義父とはそりが合わず、気位が高い妻龍子とも相容れず、ようやく果たしたドイツ留学で活路を見出すが、同時に欧米人の日本に対する非情なる侮蔑に接し、それが後々までの彼の発奮と落胆の原点となる。
時代はヒットラーの台頭で暗闇に向けて走り出す。

三世代めにあたる龍子・徹吉の子ども達と、太平洋戦争が絡み合う最後の展開は圧巻である。
実際に船医として航海経験のある著者のスキルが生きる。
軍医として応召し、南海の孤島で劣勢の日本に置き去りにされ飢餓のどん底を彷徨う長男、峻一。
聖心に通う長女藍子の恋人は、やはり軍医として空母に乗船しラバウルで戦死。
焦土と化しつつある東京で、精神病院という特殊性から、楡病院も国や都に没収されて個人病院としての歴史を閉じた後、東京大空襲で焼け落ちる。

歴史と社会に翻弄されながら三々五々に散らばった楡家の人びとが、最後、敗戦の玉音放送を前に、それぞれの胸に去来する思いと境遇とを取り混ぜて、映画の流し撮りのように次々に紹介されていく。
近代日本と市民が失ったものへのレクイエムが聞こえるようである。

栄華を誇った大病院が大きな歴史のうねりに飲み込まれていく中、医学部入学や留学を果たして一般的には上出来と思われる息子達男性陣が、どこか気弱であったり変人であったりして頼りなく、押し寄せる試練を不満として抗おうとするのに対し、ゴッドマザーひさを筆頭に、三世代の女性達は皆与えられた人生をしなやかに受け止め、諦観し、その中で逞しく輝いている。

特に父基一郎の指示通り養子徹吉と結婚し、病院を盛り立てていくことが自分の宿命と覚悟し切った龍子の毅然とした生き様が、戦火と病院の衰退の混乱の中でひと際美しい。
これはもう猛女と呼ばれた淑女、斎藤輝子さんが確実にモデルであろう。

現在は楡病院には及びもつかない小さな産婦人科ではあるが、福岡県久留米に端緒を発し、長男で五代目となるわがN家を重ね合わせて読むのは必然であったろう。
義父が東京に出てきてから衰退し現存しないが、久留米の義父の実家は能舞台まであったという豪奢な産婦人科であったらしいから、大宴会場やラジウム風呂まで有した楡脳病院と似通っているのではないか。

嫁に入った当初、義母(はっきり言って龍子のモデルかと思うくらいそっくり)から幾度となく聞かされたその当時のN産婦人科の様子や、その屋台骨となり、影で大病院を支えてきた伴侶たちの苦労と功績の偉大さは、著作そのままだったと記憶する。




今、なぜ楡家…を、という明確な理由は無い。

しかし読書が、人生の節目節目で何かを与えてくれ、そのために必要な本に必ず自分は出会う、という確信はある。
今回はまさにそのためにこの著作に導かれたのだという気がする。

どんなに努力して築き、傍目には成功したと思われる成果でも、個人の隆盛の範囲は歴史や社会に飲み込まれるものだ。

それを心に刻み込んだ。

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静寂が戻ったはずの山荘に早朝から異質な気配がすると思えば、今度は子ども達の抑えが取れて自由になったこの輩の悪さが始まる。
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やれやれと思う。


軽井沢、コンビニ人間 [マイハーベスト]

夜半に大雨が降ったようだ。
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山荘本格始動の直前の最後の準備で、一人早朝の碓氷峠を越える。
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夏休みお出掛け渋滞を、5時起きしてすんでのところで逃げ切った形だ。

山荘入り前に朝ご飯食べようと立ち寄ったカフェレストランは、7:30という時間にも関わらず超満員。
さすがに下との気温差はあるが、この混雑で期待したほどの清涼感が残念ながら無い。
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一日残工事や次々に着荷する雑貨類の整理に追われる。
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5時間のジオラマ教室で特訓を受け、器材抱えて意気揚々と乗り込んで来るはずの孫達の部屋を急ピッチで。
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夜はいつもの軽井沢ソサエティーに出掛ける気力も無く、ようやく稼働し始めて温まってきた山荘で、一人音楽とワインに溺れる。
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一人で軽井沢に来ると、旧軽銀座まで徒歩数分でいける気軽さに誘われて夜はほとんどお出掛けしていたが、気に入った空間が手に入ったなら、それはそこで過ごす時間が長くなる。
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最近は軽井沢でも日中は30℃に達することが珍しくなくなった。
しかし夜になり、開け放した窓から流れ込む冷涼な空気をスイングさせて酔いに身を任せれば、もうこれは万々歳である。

なぜかBGMはバブル時代のボビー・コードウェルである(笑)



先日お盆前の最後のドラムの練習のため朝霞台のいつものレンタルスタジオへ行くと、消防車、救急車でごった返しており、それでもスタジオへ入ろうとしたら(笑)消防士さんに制止される。

スタジオ隣の中華料理店が火事で、ビルは閉鎖。
このまま帰るのも何だか悔しいので、駅前の本屋で芥川賞買って、ドトールでドラムの練習時間分2時間で一気読みする。

第155回めとなる国内最高の文学賞タイトルの重みを、気軽にコンビニで買う雰囲気。
昔の林真理子「ルンルン買ってお家に帰ろう」を何となく思い出す。
(これはコンビニ人間とは正反対のバブル娘の話しだが)

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「コンビニ人間」(村田沙耶香/文藝春秋)

コンビニをバックヤードから見た表裏逆の風景。
一言で言えばそんな感じだ。

私達が手を伸ばすビバレッジのガラスケースの向こう側から、「正常な」世界を無機質に観察する、世のスタンダードと相容れない主観。
折しも◯ケモンが世の引きこもりさんを町へ連れ出したと日本中が大騒ぎになったが、ここには自分の頭で考えると「脱線」していると判断されるため、コンビニ店員の詳細なマニュアルによってのみ、ようやく社会の「部品」として回り、同化出来ると考える主人公がいる。

正職員でない、35歳過ぎても結婚しないし処女であるという2点で、マイノリティだと決めつけられて社会から叱責される。
世の中は大多数派に属したものが勝者なのだという理不尽をまっとうな主観で訴えつつ、自己の「正常化」を奇策で図ってみる主人公は、しらじらとした蛍光灯に照らし出されるコンビニという機械的で無表情な飼育ケースの中に、ひっそりと安堵して棲息している珍しい爬虫類のようだ。

古今東西マイノリティであるがゆえの葛藤を綴る文学は沢山あり、構図自体に新しさは無い。
ただ舞台をコンビニという現代社会の権化のような場所に設定したことが、世相を映すこの賞に評価されたか。
「強制正常化」「部品」「機能不全」など、人間の立ち振る舞いを機械的な言葉を多用して表現することにより、無機質な情景と心情を増幅させることには成功していると思うが、手軽な分量含め文学的価値としてはどうしても物足りなさが残る。

完璧真逆の大多数派「あちらがわ」に属しているであろう自分からはなかなか想像しにくい世界。
きっと今まで「こちらがわ」(主人公から見て)に属する人達を無意識に自分は傷つけてきたのだろうと反省する。
また、これからはキャラクターの市民権がどんどんこういったマイノリティに与えられていくのだろうと想像もする。

ウチの家業(産婦人科)は苦しいねえ、これから・・・・

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