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大手町、卒業 [フレグランス・ストーリー]

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満開の桜の下は、卒業の花道である。

3年通ったベルリッツ大手町ランゲージセンターを今日で卒業する。

・・・と言っても、ベルリッツ側が「もう十分ですよ」とお墨付きをくれた訳でもなく、くれるほどの実力がある訳でもなく、3年で卒業と決まっている訳でもない。
私が勝手に行くのを止めるだけである。

英語を必要としない日常では、どんなに英語がしゃべりたくても英会話する時間は微々たるものだから、留学か海外移住でもしない限り、この辺が限界なんだろうと思う。

思えば3年前。

外国人を見たら遠回りせんばかりの自分が情けなく、一念発起して母校の一般向けグループレッスンに参加するも、一言も満足にしゃべれず撃沈。
これじゃあダメだわと退路を断つつもりで、無謀にもビジネス街のど真ん中のスクールのマンツーマンレッスンに身を投じる。

「Hello, my name is Mana.」

レベル1から始めると聞いて次男は「マジかよ。一応大卒だろ?」と大笑いしたが、会話の内容よりも当時は外国の人と1対1で話すシチュエーションに慣れるのに精一杯だった気がする。

周りは会社からの費用で通う20〜40レッスンを2、3ヶ月で終えてどんどん現場に出て行くビジネスマンだらけで、「私の年でベルリッツなんてアリだろうか?」と何度かひるみそうになる背中をこの本が押してくれた。

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55歳でベルリッツのマンツーマンレッスンを受け始めた清川妙さんの「八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅」である。

ビジネスで実用に使うためじゃなくて、楽しいから英語を勉強して何が悪い、と思えた。

一般的な会話は何とかOKというレベル4が終わって、それまでは学校側がスケジューリングした日替わりのインストラクターに習っていたところ、「やりやすいインストラクターを指名してください」と言われて、温厚なイギリス紳士(アイルランド出身だけど)といった風情のMartinと、典型的なアメリカンのChrisにレッスンを受け持ってもらうことになる。

それはそれですごく楽しい提案だったけれど、主にビジネス会話を主眼とするこの学校が、このあたりから道楽オバサンの扱いを持て余していたのではないかと今になれば思う。

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Martinはもう20年以上も日本に住んでいて、多分私がどこで引っかかっているかをちゃんと分かっていて、上手に会話をリードしてくれる。
会話の後ろに見え隠れする、日本の寺や田舎の風景を愛する物静かな人生も素敵だ。
Martinのレッスンの後は、決まって「今日はものすごくよく話せた!」と気持ちいいのだが、それは彼が私の頭の中の日本語まですべて読み取って会話を成立させていたからだと思う。

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インストラクターがアトランダムだった頃からよく当たり、あの3.11のその時も一緒にレッスンしていたのがChrisだ。
(なんかどろぼうみたいに写ってるけど、気が優しいふざけ屋さんである)

Chrisは15年日本に住んでいて日本で結婚したかったようだけど、自分の風貌が日本女性には好まれないのが分かったと言い、今度の5月でアメリカに帰るのだという。

私は冗談でも彼の風貌を「上野の西郷さんみたいだ」と言ったことを悔やみ、彼のエクスガールフレンドが置いていったピンクの三角コーナーの話で大笑いし、日本女性はどうして彼の優しさや賢さに気付かないんだろうと悔しい。

ちょうど半年前に申し込んだレッスン数を消化し、3月という区切りもあって、私の勝手な「卒業」にしたいと申し出ると、最後のレッスンはMartinとChrisが半分ずつレッスンを受け持つよう学校が取りはからってくれた。
感謝の一言である。

振り返れば振り返るほど、本当に楽しかった。

違う国の言葉を使えるようになることは、とりもなおさず、違う文化に分け入って行けることでもある。
それまで考えても見なかった日本という国の見方や、物事の考え方に出会えるチャンスもある。

先日までむにゅむにゅにしか聞こえなかった英語ラジオ放送が、突然意味をなして耳に飛び込んできたときの驚き。
夢の中でまで「いや、これはこう言い表した方がいいな」などと、英単語を置き換えている可笑しさ。

そんな小さな感動を重ねていく楽しさに魅せられた日々。

震災の後、原発パニックで多くの外国人が出国する中、Amyというインストラクターが、
「私はこの時期に日本に居られて本当に幸せよ。だって日本人の素晴らしいところを沢山見ることが出来たから」
と言った時には泣いた。

そんな日々を無駄にしないように、これからは細々だが、Johnnyの指導で、会話だけでなく読み書きを含めて勉強を続けていこうと思う。


千鳥ヶ淵、満開・・・ [フレグランス・ストーリー]

木曜日のお花見にいらしてくださる皆様。

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満開になってしまいました・・・

しかも、散り始めております・・・
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明日は雨みたいですし・・・

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じゃあ、いつやるか。

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今でしょう!

・・・と誰もが思うのか、人出も本日がフルブルームである。

もう身動きすら取れず、部屋の掃除の後写真を撮りに降りていっても、撮影ポイントに陣取ることが出来ない。
毎年のことなので、自分で決めた千鳥ヶ淵絶景ポイントがいくつかあるんだが、断念する。

ここまで来ては、一度繰り上げたパーティは今でしょう!と再び繰り上げる訳にもいかず、とりあえず予定通りです。

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花の無い花見になりそうですが、お待ちしております・・・・






旧中山道、歩くぞ [フレグランス・ストーリー]

「まず、クツを買うことだね」

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ええ、買いましたとも!

休診日の木曜はワタシのための日、と勝手に決めているので、午前中はフラのレッスン、午後はJohnnyの英会話レッスンで一日出歩くが、どうもフラのレッスンが終わる12:30から英会話が始まる15:30までの3時間を毎回浪費している気がして、気候のよくなった先週あたりから、フラのスタジオがある巣鴨からJohnnyの教室がある日本橋まで、旧中山道をとことこと歩くコトに決めた。

ネット上で全行程8キロ弱、2時間ちょっとで歩けるはずと目論んだ。
ランチ入れて3時間を有効利用するにはぴったりではないか。

ところがである。

第1日めの先週は急に気温が上がり、汗だくになって巣鴨から2駅めの白山付近で早くもギブ。
その決心と心折れた一部始終を午後のレッスンでJohnnyに話したら、マラソンランナーでもある彼はワタシのブーツを見て冒頭の言葉である。

ええ、黒バージョン入荷日は朝5時から店の前に列が出来るというイザベル・マランのハイカットスニーカー、買いましたとも。
インソール9センチの美脚スニーカー(のはず)である。

今週は用意万端。
気温もやや肌寒いくらいでちょうどいい。

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テリヤキチキンバーガーで腹ごしらえして巣鴨駅前のモスバーガーを出発、広い白山通りから千石付近で情緒あふれる旧中山道(国道17号)に沿って分岐する。

白山上から新婚時代(夫はまだ本郷の日本医大に通う学生であった)を過ごしたお七坂を見下ろしつつ旧白山通りを歩いていると、最初肌寒いと思ったのがウソのように身体が汗ばみ、同時に疲労もじわじわと。

あー、万歩計とか、とにかく歩行距離の分かるようなアプリをiPhoneに仕込んでくるんだったと後悔するも遅し。

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やがて旧白山通りが東京大学の正門前に突き当たり、ここから旧中山道は本郷通りとなる。
空が、青すぎる。

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さすがに日本の最高学府のお膝元、通りには古本屋や学生街のシブい喫茶店が立ち並んで、ちょっと楽しくなる。

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あー、この前で入学したての次男と写真撮ったなー、などとしばし疲労を忘れて思いに浸る。

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しかし、ここまでである。
(春日通りって、上りが453号線、下りが254号線だという驚愕の事実発見)

これ以上歩いたらこの後の英会話なんて自動停止状態になってしまう。

本郷通りと春日通りとが交差する本郷三丁目の交差点でオバサン、本日はギブアップ。
歩き始めてからちょうど1時間である。

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不本意ながらここで丸ノ内線本郷三丁目駅に下りる。

レッスンではJohnnyがネット上で、本日の行程が全長の60%、だいたい5km歩いたんじゃないかと測ってくれ、mana、歩くの早いねと言う。

また次週。
イザベル・マラン、ご苦労であった。

次は日本橋にたどり着きたい。





千鳥ヶ淵、開花宣言 [フレグランス・ストーリー]

毎年言いますが、あえて今年も言いましょう。

世の中に たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

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東京、突然の開花宣言である。
まだ3月も16日なのである。
なのに、である。

桜の名所、千鳥ヶ淵のど真ん前の部屋では、日頃お世話になっている皆さんに存分に花見を楽しんで頂くことになっているので、桜がいつ咲くかは毎年最重要課題である。

何しろ飲まず食わずで桜だけ見てくださいという訳にはいかないので、酒肴の手配やら、自分のスケジュール調整、部屋の掃除や模様替えなどの周到な下準備が必要である。

そこで3月に入ると千代田区のHP(開花予想と夜間のライトアップ期間が掲示される)とにらめっこでスケジュールを立て、皆様にお誘いの連絡をするのだが、今年はまだそのHPでさえ「準備中」の看板を下ろしていないうちの抜け駆け開花宣言である。
予想担当者も油断していたんだと思う。

毎年開花は1週間ほど前後にズレはするものの、見頃は4月の第1週と思ってまず間違いが無いので、今年もそのつもりでご案内を出してしまった。

桜はだいたい開花から1週間で満開になるので、16日の昨日が開花なら見頃は今週末ということになる。
ご案内した4月の第1週なんて、桜のサの字も無いってことである。

昨年なんて最初のパーティを設定した4月5日の前日にはまだ2、3分咲きで、準備をしながら「何とか明日5分咲きにこぎ着けてくれ!」と桜並木をマジ拝んだのに、である。

昨日一日、スケジュールとご案内の修正に追われて、もう2つ3つのパーティをこなしたような疲れ切りぶりである。

在原業平、千鳥ヶ淵の花見事情をそのまま詠んだかのようなアジャストぶりである。

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(千鳥ヶ淵:2012年4月)
千鳥ヶ淵の桜が格別だと思うのは、花影がお濠の水面に映ってさんざめくように揺れ動くからである。

普段人影も少なく、コンビニもスーパーも近くに無い千鳥ヶ淵は、都心ど真ん中にありながら、住むにはちと不便で地味な場所柄だが、桜の時期の1週間だけはまるでスポットライトが当たったレッドカーペットならぬチェリーカーペットのように華やぐ。

毎年同じように振り回されて、毎年同じ風景を見ているはずなのに、薄紅色の薄衣を纏ったような千鳥ヶ淵は、その年その年の自分の心情を背景にして新しく心に焼き付いていく。
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(千鳥ヶ淵:2012年4月)
一昨年の震災直後のしんとした白い桜を思い出すと、また他愛も無く開花予想に一喜一憂する今日を幸せに思う。



自宅、大人のフェイスブック [フレグランス・ストーリー]

今陽子さんを引っ張り出して来るまでもない。
(「60歳からのフェイスブック」をお書きになった)

クリニックのFBページを作るためにデビューしてみたものの、考えてみりゃ学友は皆、FBはおろかインターネットすら自由自在とまではいかない年代だから、そう簡単に「あ、manaちゃんみーっけ!」と繋がる訳も無い。

SNSが当たり前のように交友関係に介在する若者と違って、我々の青春は携帯すら無く、特にS女子大(今さら匿名にするのも何だが)学寮生活では15、6人で1台の受話器を取り合うサバイバルな通信状況下にあったので、今のような何をやっても筒抜けの社会には臆病なんである。

よって私のFBは私が勝手に英語のアウトプット(何故!)に使っているだけで、自分からお友達を捜しにも行かないので、たまーに年の差のある優しい知り合いが繋がってくれる程度である。

S女子大◯年卒などとプロフィールに書いてはみたものの、その卒業年度も間違っていたらしく(爆笑)、そこから繋がる糸を見つけようとする方が無理なんである。
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ところが、いるもんである。

それも、あの”あっちゃん”である。

あっちゃんは同じ学寮で一番仲が良かった友達で、カレシがいないと言っては夫(その頃は夫ではなかった)と私のデートにくっついて来たり、「ご飯食べよう」と言って真夜中にスタディルームに炊飯器を持ち込んだり(シスターが夜回りに来るので自分たちの部屋は動き回れない)、武勇伝には事欠かない子であった。

そしていつも彼女の課題はダイエットで、それを掲げたままいつも可愛らしくchubbyだった。

そんなあっちゃんは立派な学校の先生になって、「もしかしてあのmanaちゃんですか」とリクエストしてきたのだ。
「卒業年度、サバ読んでるよ」と指摘してきたのだ。

私たちは「懐かしいよお」と言いながら(書きながら)FBのメッセージ欄をガンガン埋め尽くし、止めどなく文字でおしゃべりし続け、最後にやっぱりあっちゃんは「ダイエットしてからmanaちゃんに会う」とのたまうのだった。

私たちの文字列の後ろに、あのシスターに睨まれながら悪戯をし続け、恋を追いかけ、試験に追いかけられた、あまやかな日々が広がった。

これぞ大人のフェイスブック、と満足である。

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街には喪色の日の丸。

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あっちゃんは関西で、私は関東で、悲しい日を刻んできたのも、運命的に感じる。



自宅、あの日 [フレグランス・ストーリー]

熟女のむやみやたらなハッスルは危険である。

金曜夜、経験したことの無いみぞおちから背中に突き抜けるような痛みで目が覚める。
胃なのか、腸なのか、はたまた膵臓なのか、腎臓なのか、判断もつかない。
疲れ切って寝ている夫を起こすまでの緊急性は無いと自己判断し、うずくまって痛みに耐えつつ一夜を明かす。

土日はすべてをキャンセルして、ひたすら寝る。
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痛みは若干遠のいたものの、やはり身体を曲げていなければならない状態である。

月曜まで痛かったら病院へ行こうと思いながら振り返ると、まあ、何かが壊れても仕方ないと思えるような1週間であった。

前述の通りマンハッタンを縦断しようと思い、試しに大手町から銀座まで歩いてみたら(多分2キロも無いと思う)異常に疲れてしまったのにショックを受け、特訓を開始する。

家やクリニックの周りはもちろん、巣鴨のフラスタジオから英会話教室がある日本橋までの8キロ弱も歩こうとしたが、暑さにめげて途中で地下鉄に乗ってしまった日もある。

加えて母の残したささやかな遺産を整理しに何度か水戸へ足を運び、夜は夜で従兄弟や友達と飲む。
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一気に暖かくなった気候に誘われ、職場の移動に伴う送別会やら合格祝いやらの飲み会も増える。
千鳥ヶ淵の花見のプランニングも始める。

何かを始める春です。

何かのCMに乗る訳では無いのだが、急に暖かくなると心も身体も浮き足立つのは仕方が無い。
その気持ちも大切にしたいけど、まあ、限度を考えろってことである。

あの日以来、やりたいことは何でも出来る時にやっておこうと思うようになったのは確かである。

3.11。

またあの日が巡り来る。


目白、カラオケルーム [フレグランス・ストーリー]

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水、ぬるまず。
まあ、どんだけ寒いんだろうって話である。

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水戸近郊に住む従姉妹が「もうそろそろ(時期は)終わりだよ」とアンコウのぶつ切りを送ってくれた。
早速あん肝を煮とかした味噌鍋に仕立てる。

私が高校生の頃はまだ、通学路にあった小料理屋の店先には、この時期アンコウがアゴを大きな鉤で引っ掛けられて吊るされており、6時起きの朝練へ急ぐ身を切るような寒さが、そのずるりとした様相にいや増されたことを思い出す。

縮み上がるような強い乾っ風が吹きすさぶ日曜、陽気な友達夫婦のお誘いで、夫や、もう一組の友達夫婦と、目白のご自宅を訪ねる。

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ご主人は一級建築士で、お父様から一棟まるごと受け継いだ立派なマンションのルーフバルコニーにカラオケルームを作り、一階の部屋の下には昔なら防空壕、イマドキにいえば核シェルターみたいな地下室を掘って趣味のドラムセットを持ち込んでいる。
違法建築スレスレのかなりヤバい一級建築士である。

そのカラオケルームで80点以上出さないと「帰れまテン」をやるから来いとのお達しである。
(何がテンなのか、意味不明である)

桑田とサザンに身も心も声も捧げた夫はいいとしても、正直まずいなーと躊躇したのは私である。

苦手なものはほとんど努力と練習で克服できると信じているが、50ン年コンプレックスを抱き続けた母似のガラガラ声だけは持って生まれたものでどうにもならず、カラオケなぞは考えつく限りの言い訳を駆使して回避し続けてきた人生である。

さて、どうなるか。

ご主人がドラム、夫人がピアノを弾くこの夫婦は、口を開けば離婚寸前のようなことばかり言うが、どうしてどうしてシェルター内のセッションだってぴったりである。
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子育て中に一緒に住んでいた横浜のマンションでは二人のこの面があまり目立たず、この破天荒なダンナの巻き起こす騒動に夫人がじっと耐えている印象ばかりが残っているが、目白のお城に帰った道楽息子は見事にその道楽に花を咲かせ、かつ、その中で寝たきりのご母堂を自ら介護する孝行息子でもある。
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何だか世の中うまくまとまるもんだなあと、一緒に波乱の子育て時代を暮らした者としてはしみじみ嬉しい。

さて、懸案の私のカラオケはと言えば、たった一曲歌った竹内まりやで81点をたたき出し、ようやく帰る許可を頂く。
次回は3月、としっかりスケジュールも確保され。

いよいよ人生最後のお題、カラオケ克服に挑戦か。




水戸、セーフティボックス [フレグランス・ストーリー]

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世の中がチョコチョコと大騒ぎしていたバレンタインデーの記事も書くのを逸した。

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先週土曜、白金台のショコラティエ・エリカ超満員。
デパートに一切出さず、ここの工房でだけ作るマ・ボンヌは夫の大好物なので、仕方なく購入待ちの列にクラスメイトのタカコと並ぶ。

私にとってこの日のチョコは、贈ることではなく買うことに自分としての意義がある。
まだ世間に同調しようという心意気を試すリトマス試験紙として。

そのバレンタインウィークの最中に、チョコを私からもらって然るべき一人の男性に会いに行く。
すでに世の中へシンパサイズする気持ちをとうに失ってしまった父である。

昨年夏、一緒に暮らしていた母を亡くしてから、施設に暮らす父の記憶は加速して遠のいたようで、彼が管理していたはずの実印やら保険証やら大事なものが皆見つからなくなってしまった。
プライドが高く、私や母に、自分がいかに処理能力があるかをひけらかす人だったので、母のそれらは私が預かっていたが、父のものには一切知らん振りをしていたのが失敗だった。

一番いけないのは、失くしたのは自分なのに、施設のスタッフが盗ったと思い込んで世話をしてくれる人たちを責めることだった。
認知症の症状の一部と分かっていても、世話をしながらそれを言われる人たちのことを思うと、身が縮まる思いがした。

とりわけ、市内の銀行本店が初めて制度を開始した時に契約したという貸金庫のカギとカードの行方が分からなくなったことは、父の混乱に拍車をかけた。

施設のマネージャーも「よく貸金庫へお出掛けになります」と言うし、前々から「俺に何かあった時はお前に貸金庫を開けてもらわなくてはならないから、開け方を覚えろ」みたいなことを言われていたので、何かよっぽど大事なものが入っているのだろうと想像はしたが、面倒そうなので放っておいたのがまた裏目に出た。

何とかして貸金庫を開けなければならない、そのために必要なカギが無く、カギを復活させるため必要な印鑑も保険証も無い、そしてそれらは貸金庫に入っているかも知れないという止めどないメビウスの輪にはまり込んで父はパニックになり、近くに住む従姉妹達を電話で呼び出しては無用な騒動を起こした。

私が代理で権利や印章を復活または解約するのに必要な戸籍謄本などの書類をようやく揃えて銀行を訪れた時、父は私の隣で小さくおとなしかった。
カギを失くした貸金庫は解約しないと銀行側が開けることが出来ないので、解約して中身はすべて私が預かる旨を説明すると小さく頷き、言われるままに震える手で何通かの書類に黙って署名をした。

そして彼がこの数ヶ月、開けることが出来ずに悶々としたブラックボックスが開かれた。

中身はあっけなく簡素だった。
それがあんなにこだわっていた父の全財産なのだと思うと、無性に哀しかった。

それでも貸金庫の中身を私に託したということで安堵したらしい父はすき焼きを食べたいと言い、私を近くの贔屓の店に案内した。
たった15畳ほどの自分の部屋の中では大切なものを失くしてしまうのに、そういう記憶はまだちゃんとしているようだった。
さっさと一人ビールを飲み、上機嫌ですき焼きをたいらげた父が、また施設のスタッフの悪口を言い始めた。

私は金庫の中身を見た時に一瞬でも父を抱きしめたいと思ったことを悔やみながら、黙ってそれを聞いていた。







ふじみ野、コレットマルーフのピン [フレグランス・ストーリー]

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ほとんど私の代名詞のようなフレンチツイスト。

以前にも紹介したが、髪も年を取り美しくないのに、フラをやるために切ることができなくて悶々としていた時に出会ったcoLette maLouf(コレットマルーフ)の1本のピンは、ふわふわダウンスタイルはもちろん、ポニーテールを結ったら石投げられそうな私世代のロング淑女に、ちょっと大人なヘアスタイルを提供してくれる。

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シルバーメタルの最初の1本を使い込んで、たまに買い足し、今では洋服の雰囲気に合わせられるような数本を持っている。

似たようなものをいろいろ試したけれど、これほどうまくきれいに仕上がるものは他に無い。
小さくても持ち重りのする適度に頑丈なマテリアル、U字型のカーブの角度、先端のとがり具合などが、絶妙なんだと思う。

一時期手に入れるのに2、3ヶ月待ちという時もあったほどの人気商品であるのも頷ける。

皆さんに結い方を聞かれるので、ここは一発ミニ講座を。
コレットマルーフのHPでも紹介されているので、そちらも是非。
http://www.colettemalouf.jp/user_data/styles.php

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髪を後ろでひとまとめにして握り、上へ上へと捻り上げる。
これで頭皮をつり上げる効果も期待できる?
頭部の側面と下の生え際の毛束がゆるまないように、きっちり捻るのがコツ。

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毛束の先っぽを下へ折り返して、側面からツイストの下に入れ込んで片手で押さえる。
かなり大ざっぱに入れ込んでも全然問題なし。

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押さえたところのツイストの毛をピンの先で少量すくう。
すくう時、ピンのカーブは頭部のカーブと逆。

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ピンを反転させてツイストさせた毛束にざっくりと下へ向かって刺す。

以上である。
他のUピンやらアメリカピンやらはまったく不要である。

鏡も不要。
慣れると出先で歩きながらでも作れるようになる。

着物の時は乱れぬように、ワックスやジェルをたっぷりつけてまとめるが、普段は側頭と下の生え際だけに少量のジェルをつけるくらいで、少しルーズなほうが老けない(気がする)。
まとめる前にホットカーラーで髪全体をざっと巻いておくとやり易い。

お値段1本12,000円也とちょっとこのシンプルな外観にしてはお高いが、今私が長い髪でいられるのはこの1本のおかげと思えば納得できる。

褒めちぎっているが、純粋なカスタマーで、販売会社とは何の関係もありません。
念のため。

大宮、お宮参り [フレグランス・ストーリー]

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佳き日、とはこういう日のことだろうか。

長男一家の第3子、彩人(あやと)クンのお宮参りである。

11月に夫のクリニックで生まれたが、RDS(新生児呼吸緊迫症候群)で小児医療センターへ救急搬送され、約3週間のNICU暮らしを経ているので、何だかこれでようやく人生のスタートが切れた感じである。

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お天気にも恵まれ、3人のチビがいては支度も大変だったろうに、「たまにはきれいな恰好をして楽しみましょうよ」とおヨメさんが提案してくれて(本当にできたおヨメさんである)、女達は着物である。

着慣れないものを着るのは何かと億劫だが、やっぱりトラディショナルなイベントに日本の着物を着ることで、晴れがましさやおめでたさがひと味違ったものになる気がする。

最初にワンステップ段差があったせいで、お宮参りと100日目のお食い初めを一緒に祝う。
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歯固めの大きな石は、最近石好きな長男碧ちゃんが早速ゲットし、写真に収める。
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(撮影:碧人)

祝い膳では女達もさっぱり着物も脱ぎ捨てて、無礼講の祝杯である。

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ご馳走も沢山並んでいるのに、お嬢様はまさかの白飯一気喰いである。

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長男の家にはぼんぼりの明かりも灯って、春のお節句間近の華やかさ。

折にふれ、子どもの成長を祝う日本の風習は、それを執り行う大人の心まで明るくしてくれる。

優秀な日本の知恵だと思う。



西麻布、やかん展 [フレグランス・ストーリー]

1ヶ月に一度通う西麻布のクリニックの隣に小さなギャラリーがある。
新進作家さん達が、いろんなエキシビションを代わる代わる展開しているので、時間があればだいたい覗く。

昨日は『やかん展』だった。
http://www.le-bain.com/gallery/lebain/
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人形作家の粟辻早重(あわつじさなえ)さんの琴線が、やかんの「ただお湯を沸かすため」というシンプルな機能性にばっちり触れたことを実感するコレクションである。
新品、ユーズド合わせて集めたやかんは120点余り。(どうやって収納しているのだろう?)
そのうち70点が展示されている。

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麦茶の妖精が出てくるのは、多分こんなやかん。
部活のベンチに、建築現場の片隅に必ず置かれていた、ペットボトルもポカリも無かった昭和の水分補給必須アイテム。

ペットボトル茶全盛の昨今、急須の使い方を知らない高校生が増えているという新聞記事を読んだばかり。
我が家でもお茶を入れるだけなら手っ取り早く電気ケトルを使ってしまうので、やかんも次第に姿を消していくのかも知れない。

ちなみに我が家のやかんは、展示品にもあったALESSIの「ホイッスル」。
だいぶ年季が入っているが、今だにお湯が湧くと、注ぎ口にとまった小鳥がピーピーと笛を鳴らす。
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ハワイで買ったアヒル型のケトルは重すぎて実用性に乏しく、サンルームの飾りになっている。
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粟辻さんも、手に入れたやかんは必ず一度お湯を沸かしてみるそうだが、実用品のデザインが楽しいのは、機能がどのくらい有効に発揮できるかという条件をクリアーして初めて派生するせめぎ合いのアイディアだからである。

中でも食器は一番ポピュラーなコレクターズアイテムだけど、例えば飲み物を飲むというマグカップの機能にもうひとつ足かせをはめて、世界のスターバックスのマグを集める。
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それぞれのお国のデザイナーがそれらしく(わざとらしく)作っているところがちょっと楽しい。
スタバがある国を訪れたなら、必ず1コ買ってスーツケースの友とする。
(ベトナムには無かった)

ハワイのカップは観光天国の名に恥じず完成度が高い。
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やかん展、お暇があれば是非。
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丸の内、おかめうどん [フレグランス・ストーリー]

一人で出掛けるのが基本的に好きなヒトである。

海外はもちろん群れずに一人で歩きたい。
海外でなくても、ちょっとした買い物や食事も一人の方がいい。

一人で楽しく出掛けるには、いくつかそれを演出するグッズが必要だ。

私の場合、第一にはiPhone。
あまりにも世の中に迎合してしまっているようで、我ながら甚だ情けない。

仕事以外でも、突然行方をくらますような父親を抱えているので、連絡は常に取れるようにしておかねばならず、その点はちょっと鬱陶しい。
しかし、この小さな小箱の中に、地図、レコーダー、辞書、時計、時刻表、暗記カード、音楽等々がすべて収まっていて、情けなくそれに頼りっきりなのであるから、演出するグッズなどというよりは、血と肉、そしてiPhone、みたいな感じである。

第二には文庫本。
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iPhone愛好者のくせに電子書籍不採用は矛盾しているかも知れないが、本はやはり実際のページをめくってなんぼじゃなかろうか。
時々、Amazonで大人買いして片っ端から読んでいく。

そして今の季節には特に、オリジナルのハンドクリーム。
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好きな香りの中にティートリーなど殺菌効果が期待できるエッセンシャルオイルをブレンドして、化粧ポーチの中に入れておく。
出先で手を洗った時にさっと擦り込むと、香りと一緒に安堵感が染みとおる。

一人のランチは、ゆっくり出来る時用、さっさと食べる時用の2種類に分類して、都内にお店をいくつかピックアップしておく。
並ばずに入店できる時間も忘れずに添付しておく。

うどんが大好きなので、ゆっくりできるおそば屋さんは常に3〜4件セレクトしておく。

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先日、おかめうどんがなぜ「おかめ」なのか、一目で分かるおかめうどんに出会って嬉しかった。
どんぶりの中の笑顔に惚れた。

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時折、帰り道で小さな花を買う。
特にお祝いでもなく、癖のようなものだ。

一人で歩くことが好きなのは、その間中、自分に向き合っていられるからだと思う。


ふじみ野、センター入試 [フレグランス・ストーリー]

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オカン、さむいから早く窓閉めてな。
(朝の換気中)

一年の一番寒い時に人生の決戦がある。

毎年寒そうな大会場に神妙な面持ちで座っているセンター入試受験生の映像を見るたび、息子たちの受験期を思い出して胸がきゅんとなる。

彼らが三十路に差し掛かった今振り返れば、誰が何と言おうと、あの時が彼らの関ヶ原ではあったろう。
胸がきゅんとなるのは、いかに我が子を思おうとも、その決戦には親の助太刀がかなわないもどかしさを思い出すからである。
せめて彼らがインフルエンザにかからぬよう粉骨砕身し、トンカツを食べさせ、お守りとホッカイロを持たせるのみ。

その無力感や焦燥感も懐かしい。

昨年亡くなった母は数学が得意だった。
毎年センター入試の問題が速報で新聞に掲載されると、その数学の問題を老眼鏡越しにぐっと見据えて、いつまでも日当りのいい縁側にかがみ込んで解いていた背中を思い出す。

東京女子師範学校(現お茶の水大)の数学科を希望したが、親に確実に合格する同校の家政科を受けさせられた彼女は、新聞上の入試問題でずっとその夢を追い続けていたのかも知れない。

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久しぶりにゆっくり新聞を読んでいたら、昨日のセンター入試の問題が今年も掲載されており、英語の問題を前にしたらムラムラっときた。

高校時代英語が大嫌いで、長文を見ただけで吐き気がしてたものだけど、ここ1年、Johnnyと会話だけじゃなく読み書きも訓練してきたので、何だか出来そう!と思ってしまったのである。

結果は200点満点中163点。(リスニング50点は音源が無いので含めず)

これがどのあたりのラインなのか全く分からないし、点数はただの自己評価でしかないが、とりあえず私を受験敗者だと思っている夫は「すごいじゃん」と褒めてくれた。
(言外に、若い時それだけ勉強してりゃーなー、という態度アリアリ)

昔から苦手だった発音の問題はやっぱり苦手で半分くらい間違えたが(これはこれで大問題です)、配点が比較的大きい長文や、英文での出題が難なくクリアーできたし、何より、英語の長文を目前にした時に感じた、大海に身投げするカエルのごとし絶望感が無くなった。
毎週一つずつ仕上げていくアサイメント(だいたい出題の文と同じような長さだ)のおかげである。

五十の手習いも甲斐あるもんだと何だか楽しい。

ふと気付くと、そうやって母の跡を辿っている自分がいる。

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晩年の母は「あなたに残すものが何も無い」と嘆いたけど、沢山もらってますよ、あなたの輝き。



自宅、ツェッツル [フレグランス・ストーリー]

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明かりが戻った。

ダイニングの照明の電球が切れたのは昨年12月の初めだったから、今までどうしてたって話である。

11年前にこの家を建てた時に取り付けて以来初めての電球交換だし、取り外してみたら、細長くて持ち重りのする見た事も無い(って、今まで付いてたんだろがって話だが)クリアランプは、一目でコジマデンキには売ってないと分かって焦る。

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この照明は、ドイツの照明デザイナーIngo Maurerのデザインで、”Zettle'z"(ツェッツル=紙切れ)という名がついている。
(そのまんまだな)

円筒状のネットに、クリップで和紙を留めた長いワイヤーを自由に差し込むだけのいとも単純な仕掛けだが、初めてこれを見た時、一瞬歌舞伎の紙吹雪を想像した。
コンクリート打ちっ放しのダイニングにゴージャスなシャンデリアでもあるまいと考えた時に、その思い出を彷彿とさせてこれに決めた。

ダイニングの照明って、大事。

なぜならその明かりに吸い寄せられるように家族が集う場所を作るからだ。
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この明かりの下で、明日旅立つ新しい世界への不安と期待を友と語る夜もあるからだ。
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さて、電球探しの旅が始まる。

照明の販売元のヤマギワのHPで電球の品番を調べてネット検索するが、全く出て来る気配が無い。
東急ハンズにも切れた電球を持参して見せるも首を捻られるばかり。

ヤマギワに電話で問い合わせると、現在はこの電球が日本に無いということで(探しても見つからない訳だわ)、フロスト球の代用を紹介される。
早速取り寄せて取り付けようとすると、今度は細長い筒の奥に取り付け口があるので、素人には最後までねじ込めない。

もおおおお!

夫は業を煮やして、別な照明を買って来いと言う。
私の心も一瞬そちらに動きかけたが、この電球でいいと言ったヤマギワに電話してクレームを言うべきと思い直す。

電話するとスタッフが出張して来て1時間以上かかって取り付け、出張料5000円を徴収していった。
11年に一度とは言え、たかが電球交換に要した期間1ヶ月以上、費用が電球代と出張料で約8000円。

光の詩人インゴ・マウラーの世界に浸るのに、これが安いか高いかはユーザーの気持ち次第。

その下で過ごした11年はプライスレスだから、どんなに夫がイラつこうが私にはこの照明を今手放す事はできないと思う。



この家が年を取っていくにつれ、芸に円熟味を増していく役者を偏愛するように、私はこの家のファンになっていく。
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真新しかった頃はただのコンクリートの固まりで、新築祝いに来た義母には酷評もされたけど、思い出と好きなモノがどんどん詰まって来て、表情は豊かになる。
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家の素材に無表情なコンクリートを選ぶ醍醐味はそこにある。
美術館のように、飾るもので表情が変わっていく家にしたかった。
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夕暮れのちょっとした時に、ああ、写真撮りたいなと思う。
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何気なくドアを開けた時にNice!と思う。
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日々の生活を織り込んでアジの出てきたステージでもあり観客席でもある家に、たった一人の自画自賛ファンはそうやってアプローズを贈っている。
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自宅、お手伝いさんの献立 [フレグランス・ストーリー]

フェラガモのヴァラっぽいリボンの付いたハイヒール。
同じく大きなリボンが胸に付いた襟の高いガウン風コート。

彼女の出で立ちがまず、サツさんで100%形作られていたお手伝いさんへの私の概念を、180度ひっくり返した。

実は年末にかけての私のストレスの一つがこれであった。

5年近く我が家で働いてくれたサツさんが急に家の事情で辞めることになり、代わりの人材探しにはたった二つだけ最低条件を付与した。

料理上手、犬好き。

いとも簡単に「ピッタリの人が見つかりました」と連絡が入り、やって来たのがYさん66歳(!)である。

青森生まれ、洒落っ気無し、口数少なく、頑固一徹で、できるだけ自分の存在を我々夫婦に感じさせないように振る舞ったサツさんとは違って、おヨメさんの言葉を借りれば「自分がお手伝いさんを使っていそう」な風情のYさんは、開口一番「お料理には自信があります」とはっきり言い放った。

動物が大好きで今はネコだが、昔は犬も飼っていたことがあると言うし、相当なお家で働いて来た履歴書もある。
リボンやハイヒールで人を判断すまい。

そして・・・・・・皆さん。

主菜1品、副菜2品、汁物1品ぐらいという構成が、ベーシックな夕食だと思う私の認識が間違っている、あるいは贅沢なのでしょうか?
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Yさんは、これまで働いて来た(その中には銀座の開業医なんかもいる。履歴書が正しければ)ご家庭では、そんなこと言われたことが無いという。

某日のメニュー。
海老フライ、ホタテフライ、椎茸フライ、さしみ(イカ、エビ、メバチマグロ)。以上。
(主菜+主菜パターン)

また某日のメニュー。
焼き魚、ビーフン大盛り。以上。
(主菜+主菜以上のボリューミィ副菜パターン)

また某日。
筑前煮、紅白なます、かにサラダ、アボカドと生ハムサラダ。以上。
(サラダ攻め、主菜行方不明パターン)

ミナサン(トイプー3匹)のことは可愛がってくれているみたいだし、料理の仕事で生きて来たはずの彼女がそれでいいと言い張るなら、私の認識が間違っていたのかもとうっかり思い込みそうになるが、いや、中学校の家庭科でも基本の献立の品数はこんなもんであったと思い直し、まずはYさん、ウチのクリニックだってこうよ、と写真も見せる。
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そして百歩譲ってYさんの取り合わせが正しいとしても、私たち夫婦はサツさんが5年間忠実に作って来たその品数で慣れちゃっているんだから、そうしてよと頼み込むと、私では役不足ですかと涙にくれる。

たのむから、Yさん。

私は1ヶ月分が書き込める空欄の献立表をエクセルで作成し、まずは主菜と副菜と汁物に分けてプランを記入するように勧めた。
そうすれば何が足りないか、何が重複しているか分かるはずだし、材料だってどう使い回すかプランニングできるはずだ。

彼女は今までこんなことはしたことが無いし、レシピは頭に入っているから(つまり書いたものは無いということ)出来るかどうか分からないと渋ったが、勉強だと思ってしてみてよと押し付ける。
怒り心頭のグルメ夫を含め、私たちが我慢するのはおかしいよ。

お手伝いさんて、本当に難しい。

留守を預かってくれて、犬達を可愛がってくれるだけで私はOKとしようかという気もあるのだけれど、仕事一筋で滅多に都内へ食事にも出掛けられない夫が楽しみにしている食事をおろそかには出来ないのも、また決して贅沢なことではないと思うのだが。


日比谷、東京タイムアウト [フレグランス・ストーリー]

産婦人科に年末も正月もへったくれも無い。

そのとおり!!

しかし、まあわれわれも人の子だ。
束の間、人並みな年末年始を送ることをしばしお許しいただきたい。

喪中なので、年賀状無し、お飾り無し、宴会無しの、いっそシンプルで清々しい年の瀬である。

3日前にふと思いついたが取れるはずが無いと思っていたペニンシュラ・スパのフルディ・コースに、どうぞどうぞ、ご希望のお時間でお取りします、と愛想のいい返信メールが届いたので(去年まであふれていた中国人客不在ゆえであろう)、ぽつぽつと小雨が落ち始めたガラ空きの首都高を起き抜けノーメークでぶっ飛ばし、自宅ガレージを出てからかっきり45分でホテルの正面玄関に愛車を横付けする。

さすがに正月イブイブ。

バレーサービスに車を預け、6階のスパに直行するのに3分。
香港のペニンシュラに比べれば笑っちゃうくらい小規模だが、こういう時は逆にアクセスがスムーズでよろしい。
東京にあるほとんどの外資ホテルが大きなビルの上層階にあり、地下の駐車場からレセプションにたどり着くのに何度もエレベーターを乗り継いだり、ウロウロ迷ったりしなければならないことを考えると、すごくいいと言う訳ではないが、やっぱりここだなと思う。

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抹茶とマコロンのウェルカムドリンクで始まる休日。

2時間のランチとリラクゼーションタイムを挟んで、2時間ずつのフルボディとフェイシャルのトリートメントが入る計6時間の大盤振る舞いコースである。

外は土砂降りで風景が霞み、スパに籠るには絶好の天気である。

「東京タイムアウト」という名前も脱力一辺倒の、指圧テクニックを取り入れたESPAの看板メニューでまずは身体の凝りを追い出していただく。
そうは見えないだろうが、元来気が小さく緊張がそのまま凝りになって身体に残る、セラピストからは一番カモにされそうなタイプなのは自分が一番よく知っているので、ここはおとなしくカモになっておく。

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プールサイドでのランチは冷たいものばかりで、ボディトリートメントで体温が下がっている身にはちとツラい。
おかゆがよかったよー。
熱燗がついてればなー(車で来たくせに)

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「プールもご自由にご利用ください」と言われたけど、水深1.4Mのプールに飛び込む勇気のない身長156cmは、ひたすらミストサウナで身体を温めながらうつらうつら。

その後リラクゼーションルームのふわふわカウチで、雑誌を読みながらいつの間にか本気で寝てしまう。

午後は乾燥が最大の悩みと言っているのに有無を言わせずクレイパックがセットされたフェイシャルを。
施術後のお勧め物販がまたそのクレイパックで、「お客様でしたら週2回くらいなさってください」と言われてがっくりくる。
こんなオバアさんがクレイパック週2回もやったら、皮脂がゼロになるぞよ。

それでも何か売らないとセラピストさんの加算にならないのだろうと、おヨメさんにあげるつもりで「えーと成分はアルガンオイルとかビタミンCとかです」(ESPA、もっと商品知識教育しろ)というそのパックも買う。

まあ、そんなこんなで笑いも取れたことだし、髪もヘッドマッサージのままべとべとでノーメイクでも、下りていけば正面玄関に自分の車が既に横付けになっており、また45分でさっと自宅に戻れるなら、今日の休日はよかったんじゃないかとのんびり考えている。

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ゆく年来る年。

今年も「おいで!パチュリ」をご愛読いただきましてありがとうございました。
ブログ始まって以来の波乱含みの1年でしたが、ここに書き記すことによってだいぶ救われた日々もあったように思います。

また来年も、何か新しい自分を一つでも発見できるように、前向きに歩いていきたいと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。





日本橋、Only Immigrants Can Save Japan [フレグランス・ストーリー]

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Rock, you!!

あかりちゃんは、(私もかなり気に入っていた)ウサギバッグを大変気に入ってくれたようだ。

息子しか持たない私には未体験の不思議な感情を、女の子は掻き立ててくれる。
それはきっと自分が子どもの頃、こうしたかったのだという甘やかな懐古の念。

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この小さな存在に、自分のささやかな夢のようなものが反映されてしまうのが怖くもある。

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Johnnyのレッスンも今年最後。

週始め、メールに添付されてきたA4一枚の記事を前もって読み込み、レッスン日前までに5つのクエスチョンへの答とサマリーを書いてJohnnyに送り、当日はその記事に付いて二人でディスカッションする、というのが毎週の流れだ。

記事はNYタイムス始め新聞や雑誌の最新のトピックが多く、世相を反映しながらも変に政治的にならず、時には風刺やジョークも加味されていて、取り組もうというこちらのテンションを削がないように熟考、厳選されていると感じる。

本日のお題は「Only Immigrants Can Save Japan」。
元入国管理局長の坂中英徳氏の提言をThe Japan Timesの米国人記者が取り扱った記事で、先週の「公衆の面前での授乳はOKか?」みたいな記事よりはかなりおカタい。
(この問題も、日本よりアメリカの方がナーバスなのにびっくりしたケド)

少子高齢化が年々深刻になっていき、2050年には人口の40%が65歳以上になってしまうという厳然とした統計を突きつけられても、日本政府のエンジンは未だかからない。

坂中氏は「2050年までに1000万人の移民を受け入れ、移民国家としてリスタートするしか日本が生き残る道は無い」と提唱して、論議を呼んだ人である。
彼の提言は少々乱暴な気もするが、これくらいのカンフル剤を投入しないと、移民受け入れか、自国での少子化解消かという二者択一の論議すら生まれない。
また、彼の移民国家案を渋る政治家や有識者の背景に、歴史的、民族的、地理的に「閉ざされた」日本がある、とする米国人記者の考えも興味深い。

産婦人科という家業をさておいても、考えれば考えるほど看過できない問題ではあるが、そこは英語力がついていかないせいで、大した議論にはならないところが歯痒くもあり、もっともっとブラッシュアップしなければと奮起するところではある。

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Johnny、今年も拙い英会話のお相手をありがとうございました。
また来年も頑張りたいと思います。




自宅、It wouldn't be Christmas without you [フレグランス・ストーリー]

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息子達を育て上げる過程の大半を過ごした横浜のマンション時代の友人を招いて、クリスマス・パーティをする。

前にも書いたと思うが、そのマンションでは仲良くしていた5組の家族ぐるみで、クリスマスと言っては集まり、バレンタインデーと言っては集まりしており、時には子どもを寝かしつけてからまたどこかの家(部屋)に集まっては騒いだものだ。
マンモスマンション暮らしはプライバシー筒抜けの大変さもあるが、私たちは利点だけを最大限に生かして楽しんだように思う。

残念ながらそのうちの2組の夫婦は別れてしまい連絡も途絶えたが、何とか努力して夫婦単位を継続している3組は時折集合する。
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昔は「全員赤いものを身につける」とかドレスコードにキーワードを入れて楽しんでいたが(真っ赤なペディキュアをしてきたダンナがいた)、今は「子育て完了」が全員の共通項&修了証である。

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今度は老後をどう暮らすかがもっぱらの話題になってもよさそうだが、ダンナ達が皆お坊っちゃまぞろいの所以か深刻さは無い。

今年近くに越して来た長男も碧ちゃんを連れて顔を出し、お世話になった叔父ちゃま叔母ちゃま達にイジられる。

クリスマス・イブは大騒ぎの後の静けさ。
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クリスマス休暇中ずっとクリスマスキャロル特集のAmerican Force Networkをシャワールームに流し続ける。

数あるクリスマス・ソングの中で一番好きなのは、トラディショナルな「Have yourself a merry little Christmas」。

昔のクリスマスカード風の画像も懐かしさを盛り上げる動画を探してみた。

今年、AFNの何とかっていうDJが「My favorite Christmas song」と紹介していたのがこれ。


しみじみといい曲である。



自宅、冬至 [フレグランス・ストーリー]

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はい、今日は冬至ですから、と、(これも何回ブログに書いたかなあ)暮れのご挨拶の大きなカサブランカと共に、馴染みの花屋さんが父上が畑からもいできたばかりという柚子を持ってきてくれる。

やった!

深々と足先が冷たい夜に、ひとりで(だんなは暮れの会合で不在)ゆっくり柚子湯に浸かるなんて、なんて贅沢。

亡くなった母が、冬至にはささっと晒生地を縫って袋を作り、なかに半分に切った柚子を入れてお風呂の準備をしていたのを思い出す。
お風呂が終わると柚子と共に捨てられてしまういい香りの移った晒の袋が、子供心にももったいないと残念だったのを思い出す。

さて、周りを見渡しても晒なんて無いので、ストッキング素材の水切り袋が柚子を入れるのに最適と判断する。
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まあ、色気が無いっていっちゃそうなんだけど、正解です。
そのまま捨てられるし。

もらった6個全部を投入したら、やっぱりちょっと皮膚がぴりぴりするが、ここ2、3日喉が痛くて風邪っぽい我が身にはありがたい。

11年間我が家の食卓を照らして来たインゴ・マウラーの照明が壊れ、イタリア製の所以か修理がおぼつかないので、アナログに、季節的に、キャンドルで明かりをとってみる。
(いや、そんなことやってる場合じゃなく、修理しろよってことなんだが・・・)
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暖炉の薪で囲っただけなので、下の受け皿に水は張ってあるが、注意していないと火事になりそう。

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オ・ホーリー・ナイトである。


自宅、プレゼントをどうぞ [フレグランス・ストーリー]

♪あーさひのなーかでーほほえんでーいるこの子は、ようやく届いたアニマルスツールである。
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最近の洋式住宅の例に漏れず、玄関の靴を脱ぐスペースとホールのスペースを分ける日本独特の「上がり框」という極端な段差が無い我が家では、複雑な靴のひもを結んだり、びったりしたブーツを脱ぐのに、ほとんど地べたに座り込まねばならない。

年々年老いてきた住人(夫と私)の不便もさることながら、お客様だってできるならそんな恰好はしたくないはずだから、玄関に小さなスツールが一つあればいいなあとずっと思っていたのである。

先日お孫ちゃんのプレゼントを探しにいった伊勢丹の家具売り場でこの子達に一目惚れしてしまい、店員さんに「太った男性が座っても大丈夫」なことを確認して購入を決めたのだが、北海道の工房で一つ一つ手作りするので納品までに1ヶ月以上かかると言われる。
http://www.takumikohgei.com/products/animalstool.html

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寒い北海道から埼玉へようこそ。

あなたの名前は「マートル」です。
(今、一番気に入っている精油の名前。なんとなくスツールっぽい気がする)

寒さのせいだろうか。
デパートを歩いていてもやたらファーっぽいものに惹かれる。

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1歳半のあかりちゃんは、「プレゼント何が欲しい?」と聞いても答えられるはずが無く、「バッグが好き」という半分はママの意図かも知れない助言を受けて、背中のジップでバッグになっているウサギを買うことにする。

瞳にブルーのクリスタルが入ったこの子の、子供だましでない大人の色っぽさが気に入り、値札も見ずに買ったら、子どものバッグと侮れない値段であった。

孫が出来てから夫もクリスマスというと鼻息が荒くなるらしく、先日は碧ちゃんを連れ出してはり切ってデパートに出掛けたが、「本物の新幹線はダメ」とパパに釘を刺されてきた碧ちゃんは他に欲しいものが無いらしく、夫は拍子抜けしたみたいだった。

未だかつて無い不景気なご時世だが、クリスマスというイベントの名を借りて、誰かのために何かを買う楽しみを存分に感じたい。

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ブティックではシャンパンが振る舞われる季節である。

ふじみ野、冬を楽しむエッセンシャルオイル [フレグランス・ストーリー]

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今週の土曜に迫った、オフィキナリス第7回講座「冬を楽しむエッセンシャルオイル」のレジュメ作りに、2日間没頭する。

早々と10人の参加枠が埋まり、ハンドマッサージにいらした何人かの患者様に「参加申込みしました!楽しみにしてます!!」とハッパをかけられ、退路はすっかり絶たれたのである。

途中から「おいで!パチュリ」においでになった方々は、私の本業が何なのか分からないかもしれないが(それほど本筋から逸脱してしまっているブログである)、一応アロマセラピストである。
一応説明しておくと、パチュリはかなり複雑な香りの精油の名前で、一番好きだという訳ではないけれど、発音がカワいいのでタイトルに抜擢されたんである。

クリニックでアロマテラピーを実施する草の根活動の一環として、患者様対象で1年に2〜3回いろいろなテーマのアロマテラピー講座を開いている。

教科書丸写しのありきたりの講座ではなく、私自身が実際どういう風にアロマテラピーに接しているかを知って頂き、より身近にアロマテラピーを感じて頂こうというのが、毎回の自分へのテーマでもある。
また医療現場という超現実の中で実施されるアロマテラピーは、観念的でなく科学的に、というのも、いつも気をつけている点である。

冬をテーマにしたアロマテラピー講座は、今までやりたくてやりたくて仕方がなかったが、年度末の怒濤の慌ただしさに押し流されて先送りになってきた超懸案事項である。

寒くなって風邪やインフルエンザが流行り出す冬は、夏に比べて部屋が閉鎖されて香りが感じやすくなり、抗感染作用や1.8シネオールのような強力な呼吸器障害緩和作用を持つ成分を含有した精油が大活躍する時期でもある。
実際ここ10年以上、葛根湯とアロマテラピーを駆使しまくって風邪やインフルで床に伏すことから逃げおおせてきた体験を、お伝えしたくて仕方がないのである。

毎回レジュメを作るために教科書や本を読み直すと、いつも新しい発見がある。
それは以前勉強した時には無かった体験とか経験則とかが、従来の知識に混ざり込むからなんだと思う。

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レジュメは張り切り過ぎて10ページの長丁場になってしまったし、予定しているクラフトのハンドクリームを試しに作り出したら面白くて、いろんなブレンドを作ってしまい、職員に押し付けたりする。

プラナロムのシアバター(熱を加えなくてもやわらかい)とホホバのみで作れるクリームは、簡単だし、手の殺菌用、寝る前のチェストラブ用、などとブレンドを変えて作り置きすると楽しい。

手の香りは生活全般を支配するから、ハンドクリームとしてお気に入りのブレンドを作り、10mlほどの容器に小分けして持っていると、外出先までオリジナルがついてくる。

作り方は、シアバターとホホバで希釈した精油のブレンドをがーっと混ぜて、容器に詰める。
以上である。
希釈度だけちゃんと算数する。

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Badgerのバームも、用途に応じたアナグマのイラストが可愛くてベッドサイドに置いているが、みつろうが入っているのでちょっと固めでスムースに塗るには苦労する。

寝る前に、自分で作ったスイートオレンジとジンジャーとカルダモンのクリームをチェストラブする。

その瞬間、冬がいとおしくなる。



品川、フラでクリスマス [フレグランス・ストーリー]

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土曜、千鳥ヶ淵にお掃除が入っている間、日本橋のデパートに駆けつけてお孫ちゃん達の洋服を買う。

退院してきた弟を「ワンワン」と呼ぶのも無理は無い。
お姉ちゃんは若干1歳4ヶ月である。

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そのあかりちゃんは、パリのプラザアテネで買ってきたルームシューズがいたくお気に入りである。
(う〜ん、見る目あるなあ)

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進呈!

明けて疲れを引きずったまま、フラスタジオのクリスマス・ステージである。
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始めに今年1年の総括のようなものがあり、120〜130人ほどの生徒の中で「今年がんばった人」5人の中に自分の名前が呼ばれて仰天する。
(なかなか古風な慣習である)

大きなステージに立った訳でもなく、毎週1回のレッスンでいっぱいいっぱいだったのにといぶかりながら前に立つと、マイクを外された先生の口が、
「お母様を亡くされたのによくがんばったわね」
と動いて、思わず泣きそうになる。

違います、先生。

母を亡くしたのに頑張ったんではなくて、亡くしたからなおさらフラに逃げ込みたかったんです。

母が亡くなった夜の、カホロで踏みしめた床の冷たさを思い出す。

毎晩、仕事や家の雑事が終わってから、心が壊れていったスタッフや、入院した孫や、母の死後自暴自棄に陥った父の影を振り払うように、真夜中の2時3時に一人踊った日々はいとおしい。

どんなに小さなことでも最大限に評価してくれ、私のアイデンティティーを大切にしてくれた母を、81歳の先生に重ね合わせる。

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小さなガラスのクリスマスツリー。
地道な歩みに対してご褒美を頂く喜びをしばらく忘れていた。

この年でもこうなのだから、これが子どもだったらどんなに嬉しく、自己評価を高めることだろう。
お孫ちゃん達にはこれでいこうと思う。

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フラたっぷりの4時間。

フラとこの先生に出会えてよかった。



自宅、クリスマスが今年もやって来る [フレグランス・ストーリー]

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本日は模様替えした千鳥ヶ淵サロンで仕事である。

次男が残していったLCチェアでウシ柄だらけになる。

終わってから、お孫ちゃん退院の報を受け、丸の内のエシレで、マドレーヌを詰め合わせたバスケットを医療センターへのお礼に買う。
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フランス人スタッフもいる思いっきりデイリーな感じの店内には、とろけるようなバターの香りが漂い、1コ、2コ買ってその場で食べる人も。
サロンのウシ柄を思い浮かべる。

Tokyoがやけにきれいである。

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都知事が不在だなんて信じられないような美しい大都会である。

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サロンの窓の外は、しんとした紅である。

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クリスマスツリーがどのビルにも飾られていて、心が躍る。

先日S子と、彼女イチオシのダニール・シムキンの「くるみ割り人形」を観たので、クリスマスは駆け足でやって来るように思う。
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普段、カワいいものには惹かれるけれど、家の中をファンシーにしたくないのでぐっと我慢している。

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でもクリスマスはその自戒を破る恰好のエクスキューズなので、お孫ちゃんのためとか言い訳しながら、メリーゴーランドとか、ロッキングホースとか買ってしまう。

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リースはちょっと大人ぶって、まるでフェルト地のようなマグノリアをひたすら一方方向に差し込んだものにする。
ちょっとハワイのレイっぽくて気に入っている。

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ちょっと心折れることが続いたので、バレエを観ることも、華やいだ街を歩くことも、部屋を飾ることも、我が身への栄養点滴だと思う事にする。

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クリスマスが今年もやって来る。




軽井沢、紅葉 [フレグランス・ストーリー]

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燃えるような紅葉、というのはよく聞くが、秋の日差しが溜まり込む谷間の紅葉は、透けてきらめくような光景である。

仕事のため、一足先に新幹線で帰宅する夫を駅まで送ってから、三笠通りをぐんぐん北上して白糸の滝まで行ってみる。

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軽井沢の町よりぐんと標高が上がるため、紅葉の色が一段と鮮やかな景色が両脇に広がる。

”50歳からの一眼レフ”(結構気に入ってます、この挿入句)である初心者向けカメラでは限界があるのか、何度撮っても自分が感動したままに画像に映し込めないものの一つが、この紅葉の風景である。
光源が無数にある宝石も、カメラがフォーカスポイントを迷ってしまうのか、うまく撮れないことをこの前のピアス撮影で発見)→超ド素人発言。

そんなわけで、カーテンを開けた山荘の中にいると、まるで黄金の緞帳に囲まれているような華やかさなのだが、なかなかそれを写し取れない。
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夏にカラカラと山荘中を開け放し、戸外と一体化する気分も爽快だが、晩秋の林間にぬくぬくと部屋を暖めて閉じこもる幸福な閉鎖感は、山荘生活の中で一番の醍醐味、クマやヘビの冬眠の気持ちが分かろうというものである。
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大量の本と、ちょっぴりの仕事と、ホットブランデーと、クルミとミモレットと、ミナサン(トイプー3匹)。
That's all である。

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ふじみ野、56歳からのピアシング [フレグランス・ストーリー]

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院長室を退出せんとする夫の前に顔を突き出し「気付かない?」と問えば、まあ面白いように視線を宙に泳がせて挙動不審になるもんである。

何をそんなに慌てるのかとこっちがびっくりする。

「あ、髪切ったんだ」
切ってねーし!)

「やせた?」
(2キロ太ったし!)

まあ家にいても相手の顔をまじまじと見ることなんてここ10年くらい無いから、今陽子が私の席でご飯食べてたってわからないんだろうな。

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今さらピアスである。

10年ほど前にも一度あけたのだが、すぐに飽きてふさがってしまった。
持っていたピアスも、おヨメさんに似合いそうなのはあげてしまった。

今、改めて、56歳が伸びた髪を後ろにひっつめた顔を見れば、そりゃあ生活感がにじみ出るものである。
顔の作りも迫力が無くなるので、せめて両耳にきらりと一粒あればなあ、と夏前から考えていたのである。

5週目というのは、レッスンとかトレーニングとか月4回とされている類いが皆お休みなので、突然ぽっかりとヒマが出来る。
ピアスの穴あけとシミに塗る薬をもらうなんて、緊急性の無い受診はどんどん後回しになっていたが、今日を逃せばもう来年までヒマが無いと一念発起して、近所のO皮膚科に行く。

顔なじみのO先生は、最近導入した電子カルテシステムの不満を並べ立てながら、ついでみたいに「ハイ、失礼」ばちん!
ああっ、心の準備が・・・・

もう一回、ばちん!

ピアシングって結構ちっちゃく人生観変わるもんである。
髪をバッサリ切るのと同じだ。

息子達も盛んにあけたがったのは、高校生の時だったか、大学の時だったか。
まだ齧りかけの世の中の理不尽さに、ちょっと盾突いてみたかったんだろうと思う。

そう、何かにちょっと盾突きたい。
そんな妻のインディペンデントに、夫はなんと鈍感なことだろう。


白金その他、東京散策 [フレグランス・ストーリー]

3ヶ月もの夏休みを経て、聖心のクラスがまた始まったので、土曜の朝は早起きである。
白金台まで電車を3本乗り継いで1時間半。
本当にご苦労なことである。

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白金台駅から聖心までは、東大の医科学研究所のある白金キャンパスを抜けていく。
今の季節、木陰の並木道が実に心地よい。

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古くクラシカルな校舎に、いかにも若者のものらしき自転車が行儀良く日向ぼっこしている、アカデミズムあふれる大好きな光景。

1週間長引く偏頭痛を持て余したが、外は足下にマテバシイのドングリが散らばり始め、気温も湿度もぐっと下がって、がっちりしたブーツで街をどこまでも歩いていきたくなる季節だ。

千鳥ヶ淵のスクリーンを変えてからインテリア熱がスイッチオン。
古くなったラグや照明を新しいものに代えようと、10年以上も前に自宅を新築したとき以来のインテリアショップ巡りをしながら、都内を歩き倒す。

当時はインテリアショップの聖地のようだった青山界隈は様変わりして、下手に手出しの出来ない個性的なブティックが建ち並ぶ。

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プラダブティック青山。

http://allxa.web.fc2.com/a-map/jp_tokyo/prada/prada01.html
スイス出身の建築ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロン作の何とも美しいビルである。

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その向かいににぎやかなカフェ、と思ったら、だまし絵の壁画である。

インテリアがお目当てなのに、ラルフ・ローレンで碧ちゃんとあかりちゃんのお揃いを買う。
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男女でぴったりお揃いがあるのは、このブランドぐらい。

骨董通りを突き抜けて、六本木通りを渡ると西麻布。
ヒルズの方へ上がる住宅街で、じっと2階から通りを眺めていたカレ。
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写真を撮ったらにっと笑った気がした。
網戸は、もうこれでいいってことになってるみたいだ。

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東京は美しい街、としみじみ実感。

この季節の散策、おすすめです。





水戸、母の埋葬 [フレグランス・ストーリー]

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秋晴れの日に、母を埋葬した。

7月の逝去から既に3ヶ月が経っていた。

前述したように両親はクリスチャンなので、仏式のしきたりには捕われず、誰かの「お母さんをあなたの気が済むまでお側に置いておあげなさい」という言葉を唯一の拠り所とし、埋葬の手続きをゆっくりと進めていたら、こんなに日が経ってしまったというのが正直なところである。

30年ほど前、私が大学生だった頃に、その後に起こる我が家のちょっとした事件を予見したかのように、両親は自分たちのお墓を作ることに熱中した。
折しも売りだされた市の公園墓地の見晴らしのよい一角を買い取り、聖書の一節を刻んだ小さな石碑をあつらえ、大谷石と玉砂利を敷き詰めたささやかな敷地にそれを一つだけ立てた。

線香台や花瓶や卒塔婆も一切無し。

超シンプルなその墓には、30年以上、二人が飼っていたインコの「チッチ」のお骨だけが入れられていたが(本当は人間以外のお骨は入れちゃいけないらしいが)、今回母がようやく満を持して入居(?)することになったのだ。

お坊さんも一連の儀式も一切無し。
親類縁者の立ち会いも無し。

父と夫と3人で、母が永遠に土に帰ろうとする瞬間を見守った。

徐々に認知症が進行しつつある父が、いつの間に用意したのか、二人でよく歩いた尾瀬の土を用意しており、骨壺の脇に置く。
この先しばらくは母がこの中に一人でいると思うといたたまれないが、それも先にちゃっかりと入っていた「チッチ」の存在が気持ちを汲み上げてくれた。

記憶と意識が薄れつつある父が、どんな思いで、彼女との60年近い生活が石の蓋で閉ざされるのを見守ったのだろうと思う。

父と母の結婚生活は、私から見ればいろいろなアンバランスやほころびもあったけれど、芸術への愛という大筋の共通点があったことで、多分に救われていた面があった。

お互い定年で職を辞してからは、毎年絵画や音楽やキリスト教をテーマにした旅行に出掛け、まだ海外旅行が一般的でなかった時代には聖書やレコードや画集の中でしか出会えなかった場所や舞台を、実際に確かめることに至上の喜びを見いだすという点で、二人は極上の相棒だったように思う。

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まだ幼かった息子たちを連れて実家に帰る度、母が嬉しそうに旅行先の写真を見せてくれたり、ちょっとしたお土産をくれたりし、今度はどこどこへ行って何々を見たいの、というような話を聞かせてくれたりした。

あの頃が、二人の最も充実した黄金時代だったのだろうと想像する。

この夏整理していた母の遺品の中から、よく新聞に季節ごとに掲載される格安ツァーの切り抜きが何枚か、札入れの中に大事そうにしまってあるのを見つけ、胸を衝かれる。

母は、旅した何十か国もの異国への思いを、たった10センチ四方ほどの新聞の切り抜きの中にはせ、繋ぎとめ、思うようにならない身体を置いて心を飛び立たせていたに違いない。

母は決して私に連れて行ってくれとは言わなかったけれど、なぜ私は、80歳でエベレストの上空をセスナで飛び、「これで私の海外旅行は終わりにするわ」と言った言葉を鵜呑みにして、自分で旅してきた場所の数分の一にでも彼女を伴うことを考えなかったのだろうか。


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そんな後悔の十字架を私は一生背負っていくのだろうと思う。


東京駅、Over The Century [フレグランス・ストーリー]

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Over The Century.
(いいキャッチフレーズですね。この頃、新HPのキャッチフレーズをJohnnyまで巻き込んで練り直しているので、やたら他人のそれが気になります)

建築家辰野金吾による東京駅丸の内駅舎完成から約100年後の今年10月初日。
1945年に戦災で焼失したドーム・屋根を復原して、赤煉瓦のクラシカルな、しかし堂々とした駅舎がお目見えする。

最初は高層ビルに立て替えるプランだったようだが、多くの人々の意見を集約して復元ならぬ「復原」と相成ったのは、日本の建築史上まれに見る英断だったのではなかろうか。

施行にあたった鹿島建設のHPは、読めば読むほど興味深く、復原あるある満載だ。
http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/index-j.html

丸の内OL時代、毎日昇降した駅舎であるうえ、皇居を挟んで反対側の千鳥ヶ淵に居場所を得、さらに近辺のベルリッツに通うようになって、丸の内は今の私にとって、都内では最も馴染み深い場所のひとつである。

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丸の内オアゾの正面玄関前の辰野金吾氏は、満足げに北口方向から駅舎を眺めている。

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千鳥ヶ淵の我が家もその10分の一ほどの時間が流れ、すっかり色褪せた桜のパターンのスクリーンを変えてみた。

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お濠の緑に溶け込むような、草花のボイル地。

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合わせて家具の配置も変えてみる。

ちょっとイギリスの味・・・なんて自己満足。

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こちらは、Over The Decade・・・かな。


新都心、運動会 [フレグランス・ストーリー]

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お兄ちゃま、がんばってくださいませ。

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あたくしもゼッケン付けて、気持ちだけ参加しておりますのよ。

幼稚園の年少さんの碧ちゃんの運動会である。

長男一家にとっては初めての運動会。

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碧ちゃんと長男はお揃いのハーフパンツ。
その気合いの入れようが分かろうというものである。

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ママは前日に緊張のあまり夢まで見たという、凝ったお弁当で応援。

夏休みに引っ越したため、先月からこの幼稚園に入園した碧ちゃんは、ちょっと不安げにこちらの観客席へカメラ目線を送りつつも、可愛らしいお遊戯で登場。

ワンコーラス、踊っては、
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ハグ。
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踊っては、
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ハグ。
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ようやく2つ3つのプログラムがこなせる程度の年少組は、存在そのものがひとつのパフォーマンスである。

その分、親の出番がハンパない。
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親子競技は、子どもを抱えたパパが走るという過酷レース。
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こればかりは若い親が多い年少組が圧勝である。
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(子どもも軽量ですし・・・)

懸念された台風も逸れ、日中は汗ばむほどの天気に恵まれた。

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それぞれに渡された金メダルを胸に、碧ちゃんはこの日一番のドヤ顔で、ご褒美行進である。

パパ、ママ、あかりちゃん、応援本当にお疲れさまでした。

碧ちゃん、本当なら碧ちゃんを応援しなければならないのに、思わず「しょうちゃん、ガンバれっ!」と長男の名前を呼んでしまったばあちゃんを許してください・・・・



神保町、Don't worry, Be happy [フレグランス・ストーリー]

およっ?

ところは白山通りと靖国通りがぶつかる神保町交差点。
ビルの上階にある床屋さんの看板に目が釘付けになる。

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DON'T WORRY BE HAPPY???

やった!
Nickに報告!

前述したとおり、Nickのblogは日本にあふれるおかしな英語表記を一刀両断する英語世直しblogである。
http://upgradeenglish.blogspot.jp/

I found your blog material!

交差点を渡りながら撮った写メを辛抱強い教師陣にすぐさま送りつける。

しかし・・・・

「やあ、Mana、ありがとう」と彼らからメールが返ってくるも、結果的にこれが世直しblogにアップされることはなかった。

なぜなら、このフレーズは有名なポップソングの歌詞だったから・・・・



博多弁の和訳がめっちゃ雰囲気。
血圧測定器に前足突っ込んでるコも可愛過ぎる。

「ボクのblogにそんなに興味持ってくれてありがとう!」
「あれを見つけたってことは、いつも英語にアンテナを張っているってことだからすごくいいことだよ!」
                                                        
辛抱強い教師陣は、私の失態を責めることなく一生懸命慰めてくれるのだった・・・・・

DON'T WORRY BE HAPPYじゃなくて、Don't worry, Be happyと書いてくれてりゃな。



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