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池袋、エントリー [フレグランス・ストーリー]

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始めて4ヶ月というのは免罪符になんないんだろうなあ。

四肢のリズムはそれぞれ違っていても、それがオーソドックスな刻み方のうちは、結構余裕だった。
あ、ドラムって意外に簡単、なんて、熟練ドラマーさんが聞いたら激怒しそうな不遜な考えもよぎったりした。

2月に、池袋と新宿の◯マハのバンド系クラスの合同演奏会やりますので、奮ってご参加くださいっていう先生の言葉は、とりあえずお知らせしとかないと上から怒られますのでやりますけど、まだこのクラスは曲を叩くのは無理ですからエントリーしないでね、というのが本音だったんだろうと思う。

なのにそれを鵜呑みにして、私の場合(年齢的に)来年は無いかも知れないということもあり、ほぼ無関心なクラスメイトを尻目に、いきなりエントリー宣言。

エントリーシステムは、40曲ぐらい候補曲があって、その中から自分の好きな1曲を選んでエントリーすると、他のボーカルやキーボードやベースのその曲のエントリー者とバンドを組んで、約3ヶ月一緒に練習し(まあこのあたりがメンバーによってはいろいろ面倒くさいこともあるらしいが)、演奏会に望むわけである。

候補曲をもらって家で半数ぐらいをYouTubeのドラムカバーを見てみると、素人目にも「初心者絶対お断り」な感じのものがほとんどで、あ、これは初心者向きに用意したなって感じの曲がちらほら程度である。

そんな中からゆっくりな曲は粗が目立つから、とドラムをやってる友人が、「この辺がいいんじゃないか」と選んだシュープリームスや斎藤和義をクラスへ持っていったら、冒頭の写真のバスタムを踏んでみれ、と先生がおっしゃる。

まったくノレない、感覚的に入って来ない、もちろん踏めない。
言外に「これは無謀です」とダメ出しされたんだと思う。

そのうえ傷つくのは、エントリーあっさり辞退の高校生クラスメイトが、つらっとそれを踏めちゃったりするから、なんか自分のセンスの無さ、瞬発力の無さ、反応の鈍さが浮き彫りになるんである。

あー、エントリーするなんて言わなきゃ良かった。

でも、3ヶ月ものすごく練習すればどうにかなる、多分。
才能が無いので、練習にかけてはヒトの倍以上やる自信も覚悟もある。
50ン年生きてきて、人生の難しいことの半分以上は努力でカバーできると思っているんです、私。

秋のヨーロッパに出掛ける前に、帰国時には多分もう無いのでどうしても食べておきたいものがあり、面倒くさがるダンナを呼び出して、人形町今半で松茸入りすき焼きを堪能する。
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ぷりっぷりの国産松茸ととろけるような松阪牛のコラボは、日本でいちばん美味しい食べ物かもなあとさえ思う。

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急に冷え込むようになった夜半に、熱燗と松茸の香りが溶け出した湯気に食卓が満たされて、さっきまでの落ち込みが徐々に癒されていく感じがする。

また言うけれど、よくぞ日本に生まれけり、である。

がんばろうぉ〜〜〜!



軽井沢、秋到来 [フレグランス・ストーリー]

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あんなに夢中だったゴルフから最近すっかり遠ざかっていた夫が、久々に2組でコースに出ると言うので、運転手兼お世話係として軽井沢に同行する。

私は2年ほど前からゴルフを完全に手放したので、今回もプレーは無しである。
娘時代から父についてチョコチョコやっていたから歴史は長いのに、ゴルフ、どうしてもお友達になれなかった。

出発の5時の時点で埼玉はまだ30℃。
しかし、碓氷峠を越えた夕暮れ迫るプリンス通りの気温計は8℃。
さすがのアウトレットモールの混雑も、夏の半分くらいの人出だ。

その夜は例によって夫と二人で散々飲んで撃沈してしまったが、翌朝彼をゴルフ場に送り届けると、夕方までは自分の時間である。

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業界最速って言ってるのが意味が分からんほど森の中ではsoftbankiPhoneは役に立たないので、シャバからほぼ完璧に隔絶される。

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電話にもメールにも邪魔されずに宿題に没頭したり、本を心行くまで読み込むことが出来るんだから、ご近所にやはり別荘をお持ちのsoftbankCEO様、これ以上繋がり易くしなくていいです。
案外ご自分もその環境を楽しまれているのではと、邪推したりもする。

夫がゴルフを終えて宿泊客を連れて帰ってくると、早速宴会である。
帰ることを気にせずに飲めるのは、山荘ライフの最大のメリットかも知れない。

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この夏から電子ピアノが(本当は夫の練習のためだが)山荘のリビングに設置されたので、ちょっと腕に覚えがある人は酔っぱらったノリで必ず鍵盤に指を置く。

前も言ったけど、みんなが集まるご飯を食べる場所に楽器があるっていい。

ただダベって飲むだけの平面な時間が、ぐっとアトラクティブになる。

セーターを着込み、床暖房を入れ、秋のワインを飲みながら、ああ、これから軽井沢の一番いい時期が始まるんだとうれしくなる。





ふじみ野、仲秋の名月 [フレグランス・ストーリー]

このまま永遠に秋は来ないのじゃないかと思えた激しい夏も、9月半ばを過ぎればやっぱり鳴りを潜めるものである。

義母がどうしても息子達の誕生日を祝うのだと号令をかけて集合した、台風一過の夜。
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松茸、栗、銀杏といった日本の秋が、細密な懐石料理となってテーブルに供される。
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これですよ、これ。
しみじみ日本に住んでいてよかったと思う。

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食事の後に着席したホテルのルーフトップバーには、今年初めての涼風と煌煌とした月光が満ちる。

桜の季節にも思うことだけど、こんなに国を挙げて季節を敏感に愛でる国ってそうそう他に無い。
それは号令とか規則によるものじゃなく、生まれながらに、日本人誰もが育つ過程で、我が身に浸透させてきた皮膚一枚の感覚なんだろうと思う。

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例えば(写真がうまく撮れなかったが)、みんなが駅からの帰り道で満月を見上げる。
ロータリーの菓子舗ではお団子が売られている。
ついこの間まで、汗が滴り落ちたTシャツにカーディガンをはおりたくなる。

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83歳のフラの先生が、「今日は仲秋の名月だから、これを楽しんでね」と育てた夜来香(イエライシャン)の切り花を持たせてくれた。

問題は山積だが、やっぱりこの国が好きだなあと思う。

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クリニックも創立16年目に入り、10年以上勤務してきた50歳前後のベテラン職員の退職がこのところ相次いだ。

本日の送別会での主役R恵さんの名言を借りれば、退職理由は「子どもには目は離せないが手が離れたので、ここで別な人生を考えたい」
皆、同じような離職の辞であった。

母親なら誰にでも、without childrenな自分の人生を思わず考えてしまう時が来る。
プライオリティが子どもから自分に移る瞬間だ。

人生は2回無いが、2種類あるのかも知れない。




ふじみ野、東京オリンピック [フレグランス・ストーリー]

2020年のオリンピック開催地に東京が決まった。

昨日日本中がそのニュースに踊った。


一枚の写真がある。

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父の書いた漢数字は一九五七とある。
1964年東京オリンピックのまさに同じ7年前だ。

キャラクターなどどこにもついていない粗末な衣服ながら、子供たちは一様にまるまるとして幸せそうだ。
真ん中で破顔一笑している1歳の私には知る由もないが、みんながバラ色の未来をを信じて疑わず、同じ方へ努力前進していた時代だったのだろうと想像する。

戦後わずか12年しかたっておらず、アジア初のオリンピック開催は(その当時決まっていたとすれば)それはまたもやみんなが同じ方向へ突き進む大きな座標ともなったことだろう。

日本はこんなふうだった。


オリンピック開催の年(かその前年)。
政府関係の父の知人が、(たぶん開通間近の)首都高速環状線を専用車で走って見せてくれた。

小学校に入ったばかりの私には車の窓からは空しか見えず、ちっともおもしろくないドライブだったが、父がしきりに感動していたことを思い出す。

宙に浮いて東京を一回りできる信号の無い道路は、夢の金色のリングのように当時の人には思えたことだろう。
地方の人を乗せて首都高を一回りするのは、超レアな一種のおもてなしアトラクションだったのかもしれない。

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(またこの写真使います・・・)
当時は全く予想されていなかったであろう重量と渋滞を支え続けてきた今日の首都高は痛々しい。


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つつがなく7年後まで生きたとして、今の50歳~90歳くらいまでの日本人が生涯で2回東京オリンピックを経験するわけだが、当時夫は8歳、私は7歳だったから、我々は意味が分かってさきの東京オリンピックを楽しんだ一番年下の世代とも言えるだろう。

誰もが同じ方向へ前進していたあの頃とは違い、日本はすでに老成し、持続可能性を模索する下降線の半ばにあり、「(オリンピック招致は)どこか遠い国の話しのようです」という福島の人々の言葉の通り、人々の向く方向は今それぞれに違う。

福島の人々の言葉を胸に刻み、原発事故とその後の汚染という負債を背負った国として、また老化の一途をたどり始めた成熟しきった国として、開催にどのような意義を持たせることができるかを考えつつ、我々はこれからの準備期間を過ごしていかなければならないのだと思う。




自宅、Every Breath You Take [フレグランス・ストーリー]

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9月!防災の日!
なのに、35℃!!

身体はキツいが、夏の間お休みになっていたレッスンたちが一斉にスタートするのは嬉しい。

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モチベーションを保つために、トイレに自作の単語ノートをばらして貼るという超原始的な暗記法も試行しているが、やらないよりはましといった程度である。

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友人が、持ち運べるスネアとハイハットを貸してくれたので、ゴムとプラスティックの安っぽい音に神経を逆撫でられながらやっていたドラムの練習が、ちょっと楽しくなる。

じゃんじゃんシンバルを入れる”パンチの・・・”のグレイスさん、カッコ良かったなー。

夏休み明け初めてのドラムレッスンがあって、錆び付いたスティック振りとリズム感覚を元に戻すため、この曲で8ビートを叩き続けるように言われる。



4分弱、ずっと同じターンタタンのリズムをバスドラ(右足)で踏み続けるって結構大変。
Fill inも単純だし、ドラムのエクササイズのためにあるような曲だ。
(電子ドラムだけど、この動画、初心者にはすごく参考になる!)

でも、この「Every Breath You Take」、いい曲だなあ。
ポリス、私たちの青春のバックに流れてた。

ドラムクラスに高校生の女の子が一人いて、「(こんな曲は)知りません。私生まれてないですから」とさらっと言われたのはズキンときたけど、まあいいか。

ドラムやってると、自分の今まで全く使っていなかった脳や神経のある部分が呼び覚まされるような気がする。
それって完璧ボケ防止だろって言われればそれまでだが、この感覚は実に楽しい。

帰りに寄った伊勢丹で、アメリカのFOLKMANIS社のパペットがあまりにも可愛かったので、お孫ちゃん達に、というよりは自分で欲しくて買う。
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・・・・で、こんなことをやってみる。



いや、ドラムでやれって!!



水戸、処暑祭 [フレグランス・ストーリー]

やばい。

またしても泣きそうである。

音楽や映画からもらう、さらさらと湧き出る泉のような感動と違って、親子のしがらみから生じる情念の迸りは、激情的で粘度の高い汚泥にも似ている。

87歳の父が暮らす老人施設では、毎年二十四節気の一つ処暑にちなんだ夏祭が催される。
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この施設の処暑祭はもう24回めというから、地方の小都市水戸では、ここは結構有料介護施設の草分け的存在の施設であろう。

今年のテーマはハワイアン・カーニバル!(えーと、意味がよくわかりません・・・)
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・・・というわけで、日頃お世話になっているヘルパーさん達もこの出で立ちである。

各テーブルに置かれたプログラムとお薬ポーチも、スタッフの手による切り絵のフラガールがモチーフである。
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この年中行事は、日頃施設で暮らして家族から孤立しがちな入居者達が、家族と共に一緒に飲み、食べ、歌って楽しむための貴重な企画だが、一方、家族がこの日訪れない入居者達にとっては、一層寂しい日であることは間違いが無かろう。

前々年の処暑祭に何かの都合で欠席し、でもまあ夫婦で入居しているんだから寂しくもなかろうと思った矢先に母が亡くなり、非常に後悔したので、父一人となってからは何が何でもこれだけは出席することにしている。
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午前中に用事を片付けて都内からの出発だったので、途中あまりの眠さにPAで仮眠をとっていたら、オープニングギリギリの時間となってしまい、ステージ正面のど真ん中の一等席にぽつねんと座らされた父には、ちょっと心細い思いをさせたかも知れない。

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アトラクションは、入居者と職員達のフラダンスやコーラスの他、著名なバーテンダーのジャグリングもある。

レイをかけられ、私の分まで常陸牛のステーキを2枚平らげた父は、日頃許可されないビールを心行くまで飲んだせいで、帰りは部屋まで上機嫌の車イスである。
それもこうしてお世話をしてくれるヘルパーさん達が身近にいて、ようやく成り立つ小さな幸福。
父は施設への不満しか私に訴えないが、こうやって余裕を持って父と接することが出来るのも、このサポートがあってこそなのだと思う。

父の、私たち家族に対するやり方が間違っているのではないか、と思い始めたのは、高校生の頃だったか。
独善的で、威圧的で、私や母が自分に逆らうことを決して許さない。
父には父のやり方でずいぶん私を引き立てようとしたのだとは思うがやり方が違っている、と反発した。

幼くして両親と死に別れた父は、配偶者や子にどういう風に接するのかを親から学べなかったのだと気付いたのはもっと大人になってからだったが、老いて何の力も無くなってもなお、私や母をコントロールしようとする父が、ずっと嫌いだった。

母が亡くなり、初めて自分の力で操縦するものが無くなり、父は今の自分がいかに無力かをようやく悟ったように小さくなった。

「お前が来てくれてよかった。」

そこでやめておけばいいものを、
「いや、一人でもよかったんだけれど、あそこで一人で座っていてもなあ・・」
と付け加えて、それまでの盛り上がりを台無しにするのは相変わらずだ。

私には夫や息子や孫がいるけれど、ああ、この人には私しかもういないんだと、胸が一杯になる。

「もう、お前に(来てくれたお礼に)やるものは何も無い。それを持っていけ。」

多分、いくらのものでもなかろう。
コレクションしていた中で、今は乱雑になった自分の部屋に、最後まで残しておいたひとつの小さな仏頭を、いくら「いいよ」と辞退しても、どうしても持ち帰れと言う。
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施設からの常磐高速は、単調で長い。

母が生きている時もずっとそうだったように、センターラインにいろんな思いが交錯して涙が出そうになる。

父の人生を、思う。






自宅、夏小物 [フレグランス・ストーリー]

40℃って、インフルエンザ時の体温と同じってことじゃないですか!

暑い。

先週Johnnyに「生まれ月の気温には人間、順応できるはずだ」とか言われたけど(根拠は何だ?)、私が生まれた50ン年前の日本の8月は、30℃越えの日は一週間ほどしか無かったですから!
しかも31℃とか32℃ですから。

私が生まれたギリギリ獅子座の時期は、昔はお店には夏の売れ残りしか並んでおらず、お洋服が大好きで、年に一度の誕生日というビッグチャンスにはどうしても素敵な洋服を買って欲しかったのに、いつもペラペラのバーゲンセールのワンピースなどをあてがわれて、ずっとずっと不満であった。

中学生の時だったか、母がやっと出始めた秋冬の新作であろうチャコールグレーのベルベットのジャケットを買ってくれ、まだ汗がだらだら流れるような季節なのに(そういえばその頃まで我が家にはクーラーが無かったように思う)、それを自分の部屋につり下げて、毎日飽かずに眺めたものだ。

今年の暑さには、夏バテどころか命の危険すら感じる瞬間があるが、子どもの頃から染着いた衣装や身の回りのもので暑さを逆手に取る方法は、意外に有効かも知れない。

さすがにきょうびの気温では効果も薄れるかも知れないが、和室や着物のしつらえを見ていると、エアコンなど無かった時代の日本人が、物理的にではなく、視覚的・感覚的に夏を涼しく過ごすために凝らした工夫に感動する。

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麻の長襦袢に、夏の紬、絽の帯。

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自然素材の小物。

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紬にも帯留めにも、水面をすいっと渡っていくツバメがデザインされている。
(昔の帯留めなので、これに合う細い帯締めがまだ見つからない)

着物周辺の、こういう季節のデザインが、私はものすごく好きだ。
日本人の、自然に対するセンスがいとおしい。

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話しは違うが、このカボチャっぽいフォルムのパラソルも、持っていると皆さんに褒めて頂く。

Di Cesare Designsという京都のカンパニーで、建築家がデザインした傘やパラソルを一つずつ手作りしているそうだ。
http://www.ddi-parashell.com

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着物の魅力をブった後でこう言うのもナンだが、この夏はほとんど身体中に風が入り込むマキシワンピとUGGのビーサンで通している。
先日、あまりにも可愛くてBaby's UGGのビーサンを衝動買いしてしまった。
今日がお誕生日の姫様に持っていって、感想を伺おう。

私が子どもの頃と違って、最近は秋冬物がずいぶん早く出回るようになった。
銀座のブティックには、見るからに暖かそうなツィード素材やチェックパターンのコレクションが並んでいる。

これから一年で一番おしゃれが楽しい、そして散財の季節が到来する。


自宅、照明選び [フレグランス・ストーリー]

ウィーンに照明を買いに行きたい。

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自宅を建てた時に、コンクリート打ちっ放しの硬質感を和らげるなーと思って、当時ちょっとした流行だったインゴ・マウラーの和紙を使った照明を多用したのだが、悲しいかな、和紙という素材は年月に負けるのだった。

セッティング後15年経って、本当に大好きだったZettel'zの紙片の劣化が酷くなり、とうとうダイニングの照明を変えることにした。

・・・で唐突にそう思ったのだった。

ウィーンのロブマイヤーに照明を買いに行きたい。
奥さん、何寝言言ってんですかって話しである。

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ちょうど千鳥ヶ淵の部屋に手を入れ始めた頃、オーストリア政府観光局のプレスツァーにライターの振りをして紛れ込み、ウィーンとザルツブルグを訪れた。

2月。
氷点下のケルントナー通りに面したクリスタルガラスの老舗ロブマイヤーは、硬質な輝きを放つ無数のシャンデリアで埋め尽くされており、それはそれは美しかったものである。
http://www.lobmeyr.at
日本でこういうショップはなかなかお目にかかれないと思う。

そこで、千鳥ヶ淵のダイニング用に、分離派の建築家ヨーゼフ・ホフマンデザインの、ちょっとモダンなシャンデリアを購入して日本へ送ってもらうことにした。
10年ほど前のことになる。

頑丈な木箱に入って届いたそのシャンデリアを無事取り付けた後、銀座の◯光で同じ物が3〜4倍の価格で売られているのを発見し、心の中で万歳三唱したことは、ずーっと前に書いたかも知れない。

何だかその成功体験(?)が尾を引いたのか、シャンデリアを買うという滅多に無いシチュエーションになってみたら、いきなりウィーンが出て来たのである。
しかし、まさかダイニングの照明を買いに、オーストリアへ飛ぶわけにもいくまいってことで、国内で散々探して、ようやくBarovier & TosoのLuxor(ルクソール)という照明にたどり着いたのが今年の新年のことである。
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これはトーヨーキッチンが代理販売していて、ショールームで見て気に入ったから、はい、明日取り付けてね、という訳にはいかず、オーダーを受けてイタリアに発注して初めてガラスから作られ始めるのだという。

その前にもちょっとこのショップとはゴタゴタがあってキレかけており、何だか一度はやめようと思うくらいテンションが下がったのだが、石の上には3年、シャンデリアの下には半年である。

ようやく、ようやく、その照明が届いた。
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天井高の関係で、ルクソールを千鳥ヶ淵に設置し、ロブマイヤーを自宅に運ぶことにした。
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Zettle'sは素材が和紙だったので10年ちょっとのお付き合いになってしまったが、そうでもない限り、照明は20年、30年単位で家の中心にあるものだろう。
そこに、ウィーンの凍てつく石畳や、まだかまだかと待ちわびた思い出が、一緒に輝くのは悪くない。

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ちなみに、寝室のシャンデリアは、同じく10年前にウラハラの古物屋で2万円で買ったもの。
立派に現役だ。

軽井沢、山荘の第2幕 [フレグランス・ストーリー]

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軽井沢私立林間学校開校。

埼玉から車で2時間以内で来られるこの地に、知り合いの老建築家に設計を依頼して山荘を作ったのは、12〜3年前。
産婦人科開業で長期の休みがとれない夫が手軽に休養が出来るように、と思ったのと、イヌたちを一緒に連れて泊まれる場所が欲しかったので、管理が面倒なのは分かっていたがあえて自前にこだわった。

息子達はすでに大学に入って家を離れており、彼らがここを利用したのは、僅かに都内の大学に通っていた次男が友達と一緒にスキーをしに来た1回のみであった。

山荘は、いつか私の心身のリトリートとなり、夫のゴルフの宿泊所となり、時には我々の友人を呼んで語り明かし、長く大人仕様の夏の隠れ家の風体であった。

しかし、4歳を筆頭に3人の子達を抱える長男の家族が、子どもたちが野外遊びを楽しめる年頃になったのを機に、訪れることになった。
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イヌも子どもも一緒になって、山荘は移動動物園がやってきた保育園状態である。

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夫は慣れないネットショッピングで紆余曲折の末に特大のビニールプールを買い込み(しかし組み立ては長男に任せ・・)、ちょっとジジ株を上げたつもりである。

夫は家系的にアンチアウトドア派なので、息子達は成長過程で夫に連れられて野外遊びをすることがなかった(だいたい夫自身が大の虫嫌いである)が、その辺を危惧した私の父が、実家周辺の有り余る自然の中へ息子達を連れ出し、虫取りやキャンプや磯遊びをよくさせてくれた。

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長男はサーフィンをやるので、日常にアウトドア生活があるせいもあるのか、場面が戸外に移ると俄然その本領を発揮する。
普段のかったるそうな態度がうそみたいに、傍観する夫を尻目にてきぱきと動き回る。
手さばきも慣れたものである。

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じいちゃんと買って来た花火遊びに夢中になる子どもたちに、安全に遊ぶためのルールも細かく指導する。
火の後始末も、翌日の朝にウッドデッキにくっついた蝋をこそげ落として掃除していったところまで、息子ながら完璧である。

自然の中で遊ぶには、自分の安全確保と自然を汚さないためのルールとマナーが必要だ。
息子達が、幼い日に実家の父と遊んだことでそれらを習得し、また次世代の子どもたちに伝えていけるのだとしたら、今は心の距離がある父にそこは素直に感謝したい。

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このじいちゃんは、アウトドアとはまた別な分野で、孫達に何かを残すのだろうか。

息子達のそれには間に合わなかったが、ようやく孫の世代に、軽井沢山荘は、自然と共存する楽しさを教える役目を担って、新しい幕を開けたように思う。



ふじみ野、あっちゃん [フレグランス・ストーリー]

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何だか、タイミングぴったりすぎる。
7月30日付け、朝日新聞。

不妊治療の助成に、法の枠が課せられた。

NHK「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」放映が、この制定に大きく寄与したであろうことは想像に難くない。

妊娠を望む女性がひとりでも多く、タイミングを逃さずに不妊治療に入れるための政府の前向きの姿勢と捕らえたい。

さて、雇均法制定以前に卒業した大学の学友が、我が家にやって来た。
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22歳で卒業して以来、関西と関東に分かれて暮らしていたが、数ヶ月前に恐る恐る始めたFBに、突然「あのmanaちゃんですか」とやって来た、前にも書いた、あっちゃんである。

私たちは大学構内の学寮で生活していたので、授業で一緒だったというよりは、当時の寝食のすべてが思い出に詰まっている感じだ。

窓に薄ぼんやりと赤く東京タワーが浮かび上がる真夜中のスタディルームで、「白いご飯が食べたい」(戦時中か!)と一合炊きの小さな炊飯器で二人でご飯を炊いたこと、消灯後までしゃべり過ぎて自分の部屋に帰るには(寮監のシスターに見つかる)リスクが高すぎ、一つのベッドにハイジとクララよろしくもぐり込んで寝たことなんかを、まるで昨日のことのように思い出す。

大きなお家に嫁ぎ、同居していたご主人のご両親の介護と看取りという苦労を経て、3人の息子さんを立派に育て上げたあっちゃんは、今は小学校の先生である。

雇均法の壁のせいか、周囲の擦り込みのせいか、私たちは自分たちの前に敷かれた結婚、出産一直線レールを疑いもせずに歩いてきた。
そのお役目を果たし終えて、さて、と世の中を見渡すと、バブルが崩壊し、モラルも女性の位置も変わり、触ったことも無かった怒濤のIT時代に突入していたが、様変わりした情勢の中で、何とかそれぞれの形で今、社会参加しているところも私たちは一緒である。

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お料理が得意なあっちゃんは、大阪から自前の調味料とエプロン持参で、包丁をとうの昔にお手伝いさんに明け渡した私に代わって、ご飯を作ってくれた。
真夜中スタディルームでご飯を炊いた経験は、伊達ではないのである。

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あっちゃんのFBで紹介されて以来、私がずっと食べたいと言っていた茄子と揚げ餅のめんつゆがけ。
美味でございました!

前にも書いたと思うが、「あなたは恋愛で結婚してはいけません」という親御さんの言いつけを頑なに遵守していたあっちゃんは、私と当時は医学部の学生だった夫とのデートにも何度か参加していたので、彼とも感動の再会を果たしたことになる。
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大学の軽音楽部のボーカルだったあっちゃんに敬意を表して、35年ぶりに3人でデートしようってわけで、近所のカラオケにも行く。
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二人で歌う歌は、もちろんユーミンの「卒業写真」。

あの頃の生き方を
あなたは忘れないで。

あなたは私の
青春そのもの。

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当時は皇太子妃だった美智子皇后も毎年ご列席されたグリークラブの演奏会や、大学主催のソーシャルダンスパーティが行われていたマリアンホール前で。


ふじみ野、The Destruction of US Utilities [フレグランス・ストーリー]

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碧ちゃん、収穫の夏。
幼稚園が夏休みになって、4LDKは彼のエネルギーで爆発しそう。
ママのため息が痛々しい。

一方、追い込まれるワタシ。
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飲み会、体調不良、怪我、その他諸々で、毎日ルーティンにしているフラ、ドラム、英語の課題がなかなか進まない。

だいたい、仕事から帰っての夕食後はのんびりTVを観るヒマなど全く無く、すぐドラムの練習を始める。
早い時間に音が大きいものを片付けんがためだ。

ドラムの練習が汗だくで終わると、そこでお風呂に飛び込む。
風呂上がりのローションパックを顔に貼りながら、フラの練習。

音が関係ないJohnnyの英語の課題は一番最後になる。
始めるのは早くても11時を回る。

その頃は、その日の疲れもピークに達して、とっても英文に集中できる状態ではない。

毎週A4一枚びっしりの記事を読み込んで、レッスンの前日までにはsummaryをまとめて送らなければならないのに、記事のテーマが興味の無い経済、科学分野だったりすると、言葉も専門的で構文もすんなり頭に入らず、のたうち回るような晩を何日か過ごすことになる。

単語を増やすにも読解力を養うにも、また自分で英文を書く力もこの方法でかなりトレーニングされるから、のたうち回る価値は十分あるのだが、難しいのは、皮肉っぽいニュアンスで書いてあったり、わざと逆の例を挙げるような一ひねりあるような記事で、言葉どおり読んでいるだけでは趣旨がまったく反対になってしまう。
いつもそこで引っかっかってしまうので、オチがないか、文脈上ちょっと異質なキーワードがないか、特に平坦な印象の記事の時には気をつける。

また、これが疲れる。

ベッドに入るのは早くても午前1時。
FBなぞいじってしまうと完璧2時過ぎる。
朝はいつも7時起床。土曜に限っては6時起きだ。

お肌のためには10時から3時までの成長ホルモン分泌ゴールデンタイムに寝ていなくてはならないのは十分分かっているけど、できないのよー、どうしても!

昨夜も今週の記事「The Destruction of US Utilities」でのたうち回った。
(こういうポリティカルかつ科学的な分野がサイコーに苦手)
http://grist.org/climate-energy/solar-panels-could-destroy-u-s-utilities-according-to-u-s-utilities/

最近アメリカでシフトしつつあるDRE(Distributed Renewable Energy=分散型再生可能エネルギー)に、従来の発送電システムを担ってきた公益企業が既得権と利益を奪われるとおののき、必死で「でもまだワイヤーによる送電網は必要だ」とあがいているような内容(だと思う。別にオチがあるの、Johnny?)だが、あの悲惨な事故にも関わらず原発推進に突き進もうとするどこかの国も、結局こういうことなんだろうか?



自宅、Thank You for the Music [フレグランス・ストーリー]

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毎年の知り合いの花屋さんの粋なお中元で、部屋中がカサブランカの甘い香りでいっぱいである。

さて、連日の猛暑の中、飲み会続きの2週間。
ツラかった・・・正直。

飲酒後の脱水状態で35℃の酷暑の中を歩き回っていたら、膝がガクガクしてすーっと意識が遠のく熱中症一歩手前の状態に陥り、チョー焦った日もあった。

普段からたいした手入れをしていないお顔だけど、このところ急に弾力が無くなり、皺が目立ってきたので、さすがにエマージェンシー、やばい!

この辺で一度、酸化した身体と肌のメンテをすべきでしょうと一念発起。

オフィキナリスに勤務しているセラピストの一人が、◯野友梨式のフェイシャルエステができるというので、エステほぼ初心者の私は、興味津々で駅の反対側の彼女のサロンに出掛けてみる。

自宅からほぼ5〜6分。夕食後シャワーを浴びて、スッピン、サンダル履きで夜風に吹かれつつそぞろ歩くにはちょうどいい。

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駐車場に寝そべっているバガボンドをからかいながら。

私がエステに行かないのは、あの無用にきらびやかな空間が苦手なのだからして、この近さとカジュアルなのが大変貴重である。

beauty & relaxation R's
http://salon-rs.com/

しゅーしゅー、ぴたぴた、いろいろやってもらって、もらったアドバイスは、お肌の水分、油分、栄養不足。
今までヴィアロームのフリクションとハイドロソル(これはこれですごくいいと思うんだが)に頼りきりだったが、さすがに年齢的にそれでは追いつかなくなってきたということでしょうな。

よおし!
高機能クリームってやつ、買おうじゃないの!

そういえば、このところメイクもマンネリで、この前軽井沢で一緒だった友人の真っ赤な口紅がすごく印象的だったのを思い出し、ついでにメイクもがらっと変えようと、土曜ドラムのレッスンが終わってから、鼻息荒くサマーバーゲンで大混雑の新宿へ乗り込む。

鼻息だけは荒いが、何を買っていいのか分からないので、とりあえず使い付けのブランドから。
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友人がとてもきれいに付けていた真っ赤な口紅は、私のようなぽってり口には合わないことが分かったので、シアーでワントーン落とした赤を購入。

販売スタッフの言葉がいい。

「お客様の場合は正統派の美人を目指してはいけません。ポップな赤で今風に仕上げましょう!」

はいはい、わかりましたよ。美人を目指すな、コケティッシュに行けってことね。
高機能クリームもゲットして、私を変えるぞというテンションを最高潮に押し上げる。

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ずっと買いたいと思っていたiPhoneの音楽を拡声させるスピーカーも届いたので、ドラム初心者には叩き易いと言われている80年代のディスコミュージックをインストールしまくって流し、叩くので、家中ダンシングクイーン状態である。

こうしてせっかく夏の疲れから脱出しようとしたのに・・・

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バスドラのバッドをガンガン踏んでいたら、突如右足に激痛、アクセルも踏めない状態に。

2年前ベトナムで相当ひどく捻挫したのが尾を引き、右足は酷使するとすぐこうなることを忘れていた。

気持ちはあるのに。
頑張ろうっていう気持ちは人一倍持ってるのに。

身体がついていかない。
お顔もついていかない。

それが年を取るっていうことなんだろうけど、それを言ったらおしまいだがな!


この曲、衣装を見ると笑っちゃうけど、聞くとじんわり当時の切なさが蘇ってくる。

純粋だったよなー、私たち。

身体もお肌もつやつやだったはずなのに、なぜもっとアグレッシヴに理想に向かって突っ走らなかったんだろう?
可能性は今の100倍も広がっていたはずなのに。

嗚呼。



軽井沢、ジジス&ババス [フレグランス・ストーリー]

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一人&ミナサン(トイプー3匹)の山荘生活は、人生の宝である。
緑と、押し寄せるような静寂が、自分の立ち位置を確認させてくれる。

・・・・が、こういう軽井沢も私の理想型だ。

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シャンパンを飲み始めた女性陣の傍らで、甲斐甲斐しく楽器を組み立てる男性陣。

新幹線組が早々と着いて旧軽銀座ショッピングを楽しんでいる一方、車組は軽井沢インター降りてから山荘まで2時間(通常なら15分)という地獄のアウトレットモール渋滞でへとへとになりながら到着し、ようやく山荘入りを果たしてのシーンである。

いつもの子育てマンション時代の友人夫婦たちと、束の間、激暑の関東平野を脱出しての軽井沢入りだ。

男性陣によって楽器が組み立て上がれば、女性陣が試し弾き。
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・・・と、試し叩き。
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手前で、一生懸命バスドラのバッドが動かないように、押さえていてもくれたりする男性陣。
Thanks!

そう!
今回の集合のテーマは軽音!

一番音楽的には立ち後れていた我が家の夫がピアノを習い始めたことによって、にわかに3組の夫婦のベクトルが同じ方向を向いてきたわけだ。
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真っ暗な森の中を歩いて馴染みの蕎麦ダイニングで散々飲んで食べて戻ってくると、またそこで好き勝手に演奏が始まる。
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みんなが集まるところに楽器があるっていい。
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ちょっとアロハな曲に移行すれば、フラのステップも踏んでみたりして・・・・
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・・・で翌日は二日酔い。

いやいや。
人生もこの年になって合宿をやるとは思わなかった。

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ひとりだけ軽音ぽくないヤツがいるが、まあいいとしよう。
次回までに私がコーディネートしなくちゃ。

まだ私と夫の楽器がよちよち歩きなのでバンドとまではいかないが、頑張っていきましょう。

バンド名はもちろん、ジジス&ババス。



自宅、真夏の果実 [フレグランス・ストーリー]

何度でも言いましょう。

暑すぎる!
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大都会東京の熱気が海風で流れ込んでくるらしく、埼玉の暑さはがっしりと動かない、切なくなるほどの暑さだ。
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久しぶりに自宅で、つまみは持ち寄りの飲み会をする。
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その日、大学で講義を受け持つことになっていた夫は、暗にご学友様たちと講義後どこかへ流れる算段をほのめかすので、これはチャンスと自分のスタッフたちとの酒宴を企てたのだ。

「そんなに早く帰って来ないよ」

頼むから中途半端に酔って帰ってきて私の飲み会をぶち壊さないでねと言ったら、返す捨てゼリフがこうだった。
なのに、夕方4時半頃電話があって「今から帰る」

オイオイ。

わたしゃー、まだ仕事だぜ。
銀座はどうした。ご学友はどうした。

やっぱ、埼玉の片隅に引っ込んでひたすら地域医療に身を投じていると、中央には出づらくなるんだろうか。

いいよ。
仲間に入れてやるよ。

程よくシャンパンが回ったあたりで、最近ピアノを習い始めたと知っているスタッフから夫へリクエストが投げられる。
まだ『真夏の果実』のイントロしか弾けないのだからまさかやらないだろうという常識を打ち破り、さっさと夫はピアノの前に座って8小節(!)ほどを披露。

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ちょっと!!それでいいんなら私も弾いちゃう。

・・・というふうに、もう右手だけだろうが、不協和音だろうが、半分酔っぱらった客の弾き手も次々に登場、電子ピアノに組み込まれたテクに助けられて初見で弾き語る。

1階のミナサンの部屋に押込められている私の古いアップライトだけだった頃より、リビングに置いた電子ピアノで楽器がずっと身近になった今日この頃。

いやー、楽しい。

ちょっとお酒が入って気持ちが軽くなったところに入ってくる音楽は心地いい。

今は初老の弁護士となった従兄が、昔実家に遊びに来るたびに父と飲んで酔っぱらい、酔っぱらうと必ずショパンを弾いて、それがめちゃくちゃ素敵だったのを思い出す。

真夏の果実。

我が家のそれは、ハートウォーミングな飲み会。



自宅、君の瞳に恋してる [フレグランス・ストーリー]

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暑すぎる・・・・

酷暑のうえに、時ならぬ雷鳴に脅かされて騒ぎまくり、もうミナサンはぐったりである。

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ドラムは音楽じゃなくてスポーツである(と思う)。

ドラムの練習セットを置いているのは、昼間はトップライトから燦々と真夏の陽光が降り注いで十二分にあったまった階段室(エアコンも無い)だから、こりゃーツラい。
一応、ダイソンの扇風機なぞ置いてみるが、熱気をかき回すだけでほとんど役に立たない。

30分も練習に励めば汗びっしょりになるので、練習はお風呂の前限定でやる。
塩舐めながらやらないと、熱中症で倒れそうである。

本当にドラムやる人全員がこんな思いして練習してるのかなあとふと不安になる。

大人がグダグダ暑さに文句を言っている脇で、元気なのは子どもたちだ。

汗だくで幼稚園から帰るなり水だけ一杯飲んで、さっと教材の入ったリュックを背負い、ジュニアシート(マセラティの座席が低すぎて外が見えないとご不満なので)を抱えて、「ヤマハ行ってくる」と妹に高らかに言いおき、パパに刈られたいがぐり頭で出掛ける碧ちゃんはオトコだ。

ばあちゃん、惚れてまうやろーっ!

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それこそ熱心に練習に励んでいるらしく、毎週レッスンに付き添う毎に進歩の跡がちゃんと見えるのが素晴らしい、とばあちゃんは感動する。

先週、クラスメイトの前でソロで弾くミニ発表会があり、名刺を差し出しそうな律儀なお辞儀に、肝心の演奏はそっちのけで、撮った動画を見ながらおヨメさんと爆笑した。
演奏はもちろん100点、動画を見たじじバカ夫は「すげえなあー」と感動しきりであった。

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毎週アニキが張り切って出掛けるので、「(ヤマハへ一緒に)いきたい」と訴えるのに置いていかれる妹は、アニキの練習を密かにしっかり聞き取って楽譜を諳んじており、第ニ子のアドバンテージをフル活用して追い上げる。

ばあちゃん見習わなきゃいかん、この子たちを。
環境に文句言ってるうちは本当のプログレスは無いと思え、と暗に諭されている気がする。


友人が、「この曲がノリがよくて練習にいいよ」と勧めてくれた『君の瞳に恋してる』のドラムバージョンを探したら出てきた動画。

やっぱり子どもってすごいな。


この二人のオトコはおかしいやろ。


自宅、母と俳句 [フレグランス・ストーリー]

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庭のアナベルを家の中でも楽しむために、パウダールームにも生ける。
外来種なので、日本のアジサイと違って茎が弱く、雨が降ると倒れてしまう。
ただただ台風の余波の雨になぎ倒されていくのは忍びない。

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母の棺をこの花で覆ったので、どうしてもこの季節は故人を想う。

そこに訃報を伝え聞いた方々から、今だにお手紙や聖書や俳句の勉強会に参加していた母の映像DVDが送られて来て、私の知らなかった母を垣間みる。

『向日葵の黒き首垂れアヴェマリア』

戦後、洗礼を受けてクリスチャンとなった母は、退職後に参加し始めた句会で佳き師と出会い、導かれてキリスト教俳句という分野に歩を進めた。
ズブの素人から思えば、たった17音の中に季語を入れこむだけでも大変なのに、そこにもう一つ制限が加わる(キリスト教関係の語を入れ込む)わけだから、自ずから寡作にもなろうと思うが、母は”一日一句”をモットーとして毎日100回の腕立て伏せと共に、句作を怠らなかった。

『花韮をダビデの星として愛す』

黙って一人黙々と庭の手入れをしている時が一番幸せ、と言っていた母らしく、作句には植物を詠んだものが多い。

自己顕示欲が一切無く、どんなに勧められても句集を作らず、また聖書の勉強会での多くの発表なども全く記録を残さなかったので、家の外の母の姿は私には知る由もなかったが、図らずもこうして多くの母を愛してくださった方々が彼女の思い出を拾い集め、紡いで手渡してくださる。

感謝の一言である。

『詩編繰る手の影淡き夜の秋』

一人何を思い、長い夜を机に向かって過ごしていたのだろうと、思わず胸にあついものがあふれる。

この勤勉さと謙虚さをなぜ娘の私は受け継がなかったのだろう。




水戸、父の日交々 [フレグランス・ストーリー]

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老人性鬱病が二人いる。

陽気で人なつこいと言われるプードルのくせに、この暗さと気落ち感が子犬の頃からの持ち味のべべは、人間に換算すると80歳の今、ようやく年齢が性格に追いついてきた形だ。

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父の日、母の墓前に庭のアジサイを捧げてから、もう一人の鬱老人のもとへ。

母が亡くなって1年。
虚勢を張る相手がいなくなって父は生きる気力を一切失ってしまった。
それほど大事な相手だったらもっともっと大切にしてあげればよかったのに、と心で何度叫んだことか。

独断的な父に振り回され、それでも文句一つ言えずに60年連れ添った母は、「これで私の勝ちよ」とあっさり一人で旅立ってしまった。
母が最後に翻した反旗は、父にとってあまりにも大きかった。

訪れる前に「何か欲しいものある?」と電話で聞くが、答えはいつも「(死ぬための)ヒ素」。
おいおい、王道のブラックジョークかよ、と思う。

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アイランドサンダルとクリニック当直という最高のプレゼントを持ってやってきた長男も、それを聞いて「戦中派の選択だな」とばっさり。

まあ、それでもヒ素ではなく、焼きたてのパンやら、晩酌に食堂で出してもらうお酒なんかを持って訪れれば、カツサンドを頬張りながら私の話を聞いて笑ったりもする。
夫がピアノを始めたと言うと、いきなり都内で痔疾の手術をしたという話しが始まるからこれはボケたかと思うと、
「手術をして帰宅したらお前がピアノの練習をしていたのに、痛みにイライラして、やめろ!と怒鳴ってしまった。あれは申し訳なかった」
とちゃんとオチは合ってるので、まだ大丈夫だと思う。

しかし、痔の痛みにひびくピアノって、どんだけ下手だったんだろうとこちらも申し訳ない。

さて、我が家の「父」は息子に当直をしてもらい、メグにはこんなプレゼントももらい、サイコーの父の日である。
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この頃「家飲み」が彼の中ではブームらしく、その日のように当直医がクリニックを守っている日は、自らコンビニでつまみなどを買い、家で飲もうよと言う。
飲んでしまうと、ルーティンの宿題やら練習やらが出来なくなってしまうので私はあまり飲みたくないが、父の日とあらば仕方ない。

二人で本気で飲むと、どうしてもここまでの半生の反省会になるが、彼の場合、もういつでも死んでいいと思えるだけのやり尽した感を持っているのが心底羨ましい。

この頃、人生の満足度って、面白いことをやったとか、お金持ちになったとかじゃなく、どれだけ自分が社会に貢献したか、で決まるもののような気がする。
その点、夜昼なく自分の使いうる時間をすべて産科医療に投じてきた彼の人生に悔い無し、とは、そばで見ている私でさえそう思う。

納税者二人を育て上げはしたが、未だ自分のことにかまけている私の人生満足度はまだまだ限りなく低い。

そう言えば、水戸の父も「定年まで働いて、その後20年母と各国を旅行して楽しい人生だったとは思う」と言っていた。
社会貢献度という点ではイマイチな気がするが、まあ、彼がそれでいいと言うなら私はあえて何も言うまい。

父の日は、こうしてはからずも二人のオトコの人生を総括する日でもあった。

幼稚園の父親参観に行って感動しきりの長男含め、世の父たちに心からエールを送ろう。



自宅、記譜法 [フレグランス・ストーリー]

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庭の白いアジサイが満開である。

去年は母が亡くなった7月初旬に満開だったことを思えば、今年は約1ヶ月近くも早いということなんだろう。

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屋上からは俯瞰し、

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バスルームからはブラインド越しに楽しむ。

じめじめして日の当たらない北側の長年のデッドスペースは、10数年前の家の竣工時には夫が大張り切りで天然芝練習グリーンなんぞを作ったが、排水が悪く芝はあっという間にダメになってしまい、その後数回に渡る試行錯誤の末にこの形にたどり着いたのである。
なんか、やれやれである。

その夫は、この頃やけにピアノにハマっている。
このところ当直の先生方の学会出張が多く、ほとんどクリニックに泊まり込んでいるが、院長室にもキーボードを設置してイヤホン装着で頑張っているらしいんである。

たまに帰ってきて弾いているのを聞くと、#ついてる曲なんかもいつの間にか出来ていたりし、きれいな先生相手に「理系の頭で弾いてると思う」みたいな持論をブチかましたりするので、音楽に文系も理系もないわ!と心の中でツッこみながら、ついこの前まで楽譜が読めず、ドの位置が分からなかったヒトとは思えんと思う。

この前、東進林先生が悪ガキ相手の授業で「記譜法」についての題材を取り上げているのをついつい観てしまった。
我々は今当たり前のように譜面を読み(夫には当たり前でなかったが)、技術さえあれば外国の人とだって同じ音楽を演奏することが出来る。
そこに国境は無く、言語のように優劣も無い。
なるほど音楽という形の無いものを全世界共通の記号で表せるようになったことは、なんと画期的で素晴らしいことなのだろうと、先生の授業ではなく、記譜法の方に感動した。

英語を習うことが楽しいのは、大げさにいえば、そのスキルを獲得することによってある程度国境をまたぐことが出来るからだ。
夫も今、音楽、楽譜という国境が取り払われた世界に魅せられ始めているのかも知れない。

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父の日のスイーツ。

お父さんのイメージがビールとネクタイというのも、◯ニンシュラホテルにしちゃちょっと貧困な発想なのでは、と思う。


自宅、敗北感 [フレグランス・ストーリー]

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人にはそれぞれ人なりの美学っていうもんがあって、別に第三者から見れば、だからどうなのっていうくらいのつまんないことかも知れないけれど、「ここだけは崩したくない」というポイントがあるはずだと思うんである。

ポイントとしては、有名な画家さんの「死ぬ間際まで絵筆を離さなかった」などという崇高なものから、我が夫の「カラオケの音程のセッティングは絶対いじらないで歌う」とかいうどうでもいいものまでいろいろあるにしても。
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それをこだわりとも言うし、突き詰めればアイデンティティーにもなるわけだから、他人から見てどんなにくだらないことでも、やっぱり出来るだけ守り抜いて欲しいと思うんである。

私の最後の砦はこれであった。
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小麦色の肌(この言葉も懐かしい)が健康的でかっこいいとされたバブルまっただ中に青春を駆け抜けてきた者にとって、日焼け防止グッズというモノがそもそも人生の既成観念にそぐわない違和感があるものなんである。
紫外線がシミを作り、肌の老化を早めるなんて、30歳過ぎてから言われたって、もうさんざん焼いちゃったし感いっぱいだし、積み上った「日焼け=上等」という価値観はなかなか崩せない。

灼熱のコート上を、帽子にサングラス、長袖、長ズボンでプレイする50代オバちゃんたちに密かに「じゃあ、テニスやるなよ」と心で毒づきつつ、30代を簡単な日焼け止めクリームをなすり付けたぐらいのヒラヒラスコート姿でテニスに明け暮れた価値観は、今もって顔全体を覆う真っ黒なサンバイザー(あれ、どう見ても第三者からは何も見えていないように思えてコワイ)とか、この手袋(っていうのかなあ)は、ビジュアル的にダメでしょう!と健在である。

それが将来の自分にダメージがあるとしても、その時点の自分の見てくれがそんなに酷くないうちは、ま、いっか、もいっかいヨメに行くわけじゃなしと不等記号は日焼けの方に開いていたが、昔バカにしていたオバちゃんたちと同じ年代になってみると、なぜ彼女たちがかくもしんどそうな姿でプレイしていたかが痛いほど分かるのである。
オバちゃんたち、バカにして本当にすみませんでした。

日焼け=無理。

ハリの無くなった肌が日焼けすると、本当に美しくないのである。

それでもこの手袋をして運転するのだけはイヤだったので、ウィンドウに紫外線カットフィルムを張ったり、運転する度に腕中に日焼け止めを塗りたくって数年凌いできたが、やはり夏に軽井沢に出掛けるようになって長時間運転が増え、もう、どうにもならなくなった。

着物を着る時に、袖から日焼けした掌が出るのも避けたいと思うようになった。

毎夏、デパートでこの手袋売り場の前まで行っては何も買わずに引き返したものだったが、ついに1週間前、新宿の伊勢丹で「こ、これください」と一番近くにあった、よりにもよって一番ババ臭い色のを引っ掴んで店員さんに渡した。
ちゃんと選べば、もっとましな色や形があったかも知れないが(売り場にはそれはそれはたくさんの種類の手袋があったのだから)、この手袋をして左ハンドルを握るという時点で敗北決定、形状や色なんかはどれでも一緒だと思った。

これを着用しても、老いていくスピードが変わるわけじゃなし、汚くなっていくのも変わらないんだと思う。
変わったのは、「それでも自分の美学に忠実でありたい」という潔さ。

私、年を取るということは決して嫌じゃない。
むしろ積上ってきた我が人生にはリボンをかけて眺めていたいくらいだ。
イヤなのは年齢による美醜の問題ではなく、こういう小さなこだわりを一つ一つ手放して角がすり減っていくことなんである。

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首筋を焼かないために夏もストール。

嗚呼。



ふじみ野、夏は夕暮れ [フレグランス・ストーリー]

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どの季節が一番好きかと問われれば、断然初夏である。
それも梅雨入り前の湿度が低い夕方限定で。

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一年で一番日が長いこの季節は、仕事が終わって駆け戻れば、明るいうちにバラ色の界隈の中へミナサン(トイプー3匹)を連れ出すことができる。

この時期に吹き渡る風は、楽しげで肩の力が抜け、しかも咲き乱れる白い花々の香りを含んで甘く、かぐわしい。
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(クリニックの泰山木。何とも言えない濃く甘い香りを毎年振りまく)
被毛がこの風に吹かれ、心地よさそうに目を細めて歩くミナサンを見るのが大好きだった。

それぞれに年老いて、去年からミナサンの散歩はかなわなくなったが、この夕暮れに遭遇すれば家じゅうの窓を開け放して風を入れる。
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冬の間ぐっと縮こまって外気温との差に難渋していたコンクリートの壁が、一斉に呼吸を始めるようだ。

チーク材の床に大の字に寝転がって、荒々しいむき出しの壁を渡る風に吹かれていると、なんだ、人間はこんなことで幸せになれるんだなと思う。

6月最初の日曜は、普段すれ違いの休日を好き勝手に送っている我々夫婦が、珍しく「予定なし」という一致点を見た日だ。
しかも、異様に早い梅雨入り後の中休み、からりとした晴れ。

確実なかのマジックアワーの到来を予感して、1年中で一番贅沢な晩餐の準備を始める。

初夏に合うのはキンキンに冷えた白ワイン。
シャブリを2本冷蔵庫に仕込む。

二人で気に入っている近所のフランス菓子屋のカスクートを買いに走る。
ブリーチーズと、トマト・ショルダーハムの2種類。
サーモンとクリームチーズのそば粉クレープも買う。

コンビニのシャウエッセン・ソーセージを、トリュフソルトで炒める。
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じゃ~ん!
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なんて簡単な白ワインディナー。
そう、贅沢なのはメニューじゃなくってシチュエーション。

ほぼ真昼間の4時頃から飲み始めて、一昨年までだったら十分ミナサンの散歩にも行ける6時頃には二人で酩酊状態。

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どうよ、一発覚えたてのキラキラ星でもぽろろんと弾いてみれば、と次第に濃くなる夕暮れの闇の中で夫を振り返れば、とうにあちら様は夢の世界へ飛び立たれている。

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春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。
・・・じゃなくて、夏は夕暮れ、だなあ、絶対。




自宅、中高年から始めるらくらくピアノ [フレグランス・ストーリー]

爽やかな初夏の風薫る休診日。

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去年、ロンドンのポートベローマーケットで買ったヴィンテージのスカート、ようやくデビューである。

声がなんとか出るようになったところで、2週間ぶりのフラと英会話フルコースから帰宅すれば、ポロロン、ポロロンとたどたどしいピアノの音が、微妙なやる気と共に2階からこぼれ落ちてくる。

夫がようやくピアノのレッスンを開始して2週間である。

外に出掛けていくのはどうしてもイヤだと言い張るので、仕方なく出張個人レッスンを手配した。
(いい大人なんだから自分の習い事ぐらい自分で手配して欲しいものだ)

やってきたのはパリに10年も留学していたというプリティな先生で、バリバリ王道を突っ走ってきたらしく、「好きな曲はサザン」と言ったらさらりとスルーされた。

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「今手元にこれしか無いんですけど」と置いていかれた楽曲集は、タイトルがあまりにも直球でミもフタもない感じで、中身は「荒城の月」「仰げば尊し」「みかんの花咲く丘」って、中高年も高年の方に重点置いてる感じで心萎えた(少なくとも私は)。

なんか私がイメージしていたのとはちょっと方向が違う気がしたが、とにかくスタートして欲しかったし、当の夫は、「先生(お互いに先生、先生と呼び合う不思議なレッスン)、お上手です!」「素晴らしいっ!」と、きれいな先生が降らせてくれる賞賛の土砂降りにすっかり気をよくし、当直の日もクリニックで練習するからハンディタイプの電子ピアノを買ってくれとまで言い出すくらい(だからいい大人なんだから自分で買ってくれって)だから、とやかくは言わないことにした。

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「毎日、夕食後30分はピアノの前に座ること」
という子どもに言い聞かせるような私の言いつけも今のところ守って、こころなしか上達したようにも聞こえる。

何度右手と左手を別々に練習してから合わせる方がうまくいくと言っても、無謀に両手を転ばせるから、息子だったら張り倒してるところだが、まあ楽しければいいのだ、中高年は、と言葉を飲み込む。

常に母子の命と隣り合わせの夜も昼も無い仕事で、ゆえに気晴らしをと思ってもなかなかこれまで掴めないできた夫だが、ここでささやかな楽しみを発見してくれたら嬉しい。

毎週1回、孫の碧ちゃんの音楽教室にも付き添うが、こちらはこちらで慎重で自信無さげなところを褒めまくって押し上げていく。
じいちゃんも孫も同じように、未だ真ん中のドの位置がアヤシいってのがおかしい。
(遺伝か血筋か?)

息子達のピアノレッスンの時はどんな気持ちだったかなんて忘れてしまったが、オトコどもの習い事、何かと周囲が大変なのは間違いが無い。




自宅、練習用ドラム [フレグランス・ストーリー]

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初夏という、爽やかで大好きな字面の似合う日曜は、窓の清掃とグリーンの手入れが入るのに、恰好の一日だ。

終日必然的に在宅を要求されるから、今日はこれをやるぞ・・・・1週間以上前に届いたはいいが、全く荷解きする気になれなかった大きな段ボールを睨みつける。

練習用ドラムを組み立てるんである。

買うにあたってネットでいろいろ調べると、どーしても自分で組み立てるという行程は免れることができなさそうで、しかも「組み立て方の説明書も無かった」とかいう恐ろしげな評価も載ってたりして、女性の常として工具使うのが大の苦手なわけだから、それは何とも気が重い買い物だったのだ。

でもクラスの他の3人はみんな買ったと言うし、いつまでも雑誌重ねて叩いている訳にもいかなくなって注文ボタンを押したけど、やっぱりここからなのだ、大変なのは。

こういう時のためにダンナがいるでしょうということには、我が家の場合、全くならない。
何しろ切れた電球一つ替えられない、スイッチオフ夫である。

父がこまごまと家の手入れを何でもやるフツーの家庭に育ったので、結婚当初、夫が電球も替えてくれない、ゴキブリも捕ってくれないというシチュエーションに非常に戸惑った。
聞けば義父も、引っ越しの時に、義母が親戚を総動員して新居に荷物を運び入れ終わった最後に、自分のタバコの箱だけ持って移ってきたというから、遺伝なのか。

今日を組み立て日に充てたのは、結果論から言えば正解だった。

「やりましょうか?」

ドライバーを持ったまま考え込んでいるオバサンを見かねて、まず植木屋さんが声をかけてくれた。
(狙い通り!)

それでもハイハットの組み立て方を前にして二人で悩んでいたら、窓ふきの業者さんの中の若い一人が「オレ、詳しいっすよ」。
なんと本業はドラマーだった。

ありがとうございます!皆さん!!

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かくして組み立て上がったドラムもどきは、最初洗面所に。

なぜ洗面所かというと、我が家ではそこが一番居心地がよくて、最も頻繁に使う場所だから。
冬は床暖房も入り、明るくて、音楽も流れる。
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フラの練習もここでするので、大きな鏡もある。(まあ、ドラムの練習には必要ないわね)
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しかし置いてみて、まずは材料になっている強烈なゴムの匂いに負ける。
そして叩いてみて、その何の配慮も無いただただ騒がしい音に我慢が出来なくなる。

これはドラムなんかじゃない。

練習にだってなるものか。
この音を聞いていたらドラムが嫌いになってしまいそうだ。

洋服なら即買いするのに、この1万数千円の買い物をずっと自分がためらっていた訳がはっきりした。
組み立てが面倒なだけじゃない。
楽器の練習用ならそれなりに出す音色にも配慮をしてもらいたいけど、そこのところはすっ飛ばしてただ叩ければいいという音楽からほど遠い違和感とチープな大きさにためらったのだ。

組み立てを手伝ってくれた人たちには感謝しつつも、セットは階段下のスペースに移動となる。
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本物を手に入れるにも防音装備からという大掛り性は、ドラムという楽器の特殊性だ。

うーん、折り合いをつけられるかなあ、私。


ふじみ野、母の日 [フレグランス・ストーリー]

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美しい日曜日であった。

花を贈る相手のいない生まれて初めての母の日。

白い花が好きと口癖のように言う母には真っ白な花だけを集めて、義母にはもう少し色鮮やかな花を毎年当たり前のように贈ってきたが、去年のこの日、母はどうして自分が花を贈られたのかを理解できなかった。

電話で「母の日よ」と話しても要領を得ない返事だけが虚しく返ってきて、でも最後に「まあ、あなたがやることなんだから(花を贈られるのも)きっとそれが正しいんでしょ。」といつも最後にたどり着く結論に達するのだった。

母親という存在がすごいと思うのは、どんなに記憶が摩耗しても、我が子が絶対に正しいのだという一念だけは決して失わないことだ。
自分が仕舞って忘れてしまったものを、他人が盗ったと思い込んで、激しく時には口汚くさえ罵りながら混乱の淵に沈んでいく時も、必死に私の顔を見ながら正しい出口を探ろうとしていたかのように見えた。

施設は彼女にとって必ずしも最高の居心地ではなかったと思うが、それも「あなたがここにいるのが一番いいと言うから」という一念にしがみつくように、決して自宅に戻りたいとは言わなかった。
どんなに私のそばで暮らしたかったろうに、それも一言も言わなかった。

私が施設から帰る時は、どんなに足腰が弱っても玄関のアプローチまで見送りにきて、車に乗った私に窓を開けさせ、顔を寄せて、
「ヘルパーさんたちがみんな、かっこいいお嬢さんですねって言うのよ」
と何度も言い、その時だけは得意そうだった。
そしてまたいつものすがるような目で、
「わたし、もうすぐ死ぬような気がするのよ」
と囁いた。

そして1ヶ月後、本当に逝ってしまった。
どんなにすがっても自分と一緒にいてくれない娘に愛想を尽かしたかのように、私に一言も言わずに。

もう、いいわよ、と。
あなたが訳の分からない花なんか贈らなくていいようにしてあげる、と、彼女の突然の旅立ちはそう告げているように思えた。

でも、お母さん。
私は今年も母の日に花を贈りたかった。

分かってくれなくてもいい。

私だってお母さんのこと、考えていない訳じゃないのよと、言い訳させて欲しかった。

大好きな白い花を、たくさん、たくさん買ってあげたのに。
いつもポケットに入れてたキャラメルも、いっぱい、いっぱい買ってあげたのに。
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息子夫婦から母の日に。

せめて、一瞬でもあなたがそう思うことで不安を忘れたのだったら、頑張ってかっこよく生きていくね、私。










池袋、ババマゴの新学期 [フレグランス・ストーリー]

春から週に一度は子守りである。

孫の碧ちゃん(4歳)が◯マハの幼児クラスに通い始めたので応援なんである。

先週は下の二人を見ていることにした。
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夫がタイから買って来たイスに座って、ベトナム在住の次男が台湾で買って来たカワウソ(?)のぬいぐるみを抱っこしているあかりちゃんはまだ2歳にならない。
もうひとりの彩ちゃん(6ヶ月)は後ろで黙って転がっており、世話が無い。

息子しか育てていないので、女の子は物珍しい。
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お絵描きでも絵本読みでも結構しつこくねばるので、何気に成果があがったりする。
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キラキラするアクセサリーに興味があり、指輪をはめてやるとチョーうれしがる。
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ぐずりもせず、お菓子も食べず、2時間よく遊んだ。
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(あー、2世代違うとお肌の差が厳しいわね)

さて、お孫ちゃんも◯マハだが、前述の通りバアちゃんも◯マハなんである。
◯マハさんにだいぶ貢献してしまったんである。

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今日は、昨日から風邪っ引きで喉も痛いし微熱もあるので、他の予定はすべてキャンセルしたが、どうしてもドラムだけは行きたかった。(だってGW中右足が筋肉痛になるくらい練習したんだもん)
ので、マスクにストール喉3重巻きという、初夏にしちゃあまりにもアヤシげな恰好で出掛けちゃうんである。

洋服は衝動買いするくせに、決まりきったドラム練習用キット(1万円くらい)は銀座の店を見て、ネットでもさんざん見回って、それでも迷って未だに買えていないので、家では雑誌を重ねて叩いている。
だからクラスに行って本物のドラムを叩くと、めちゃくちゃ気持ちいい。

ちょっとリズムが複雑になってくると、前頭葉やそれぞれのシナプスが必死に指令を繋ごうとしてピキーンと緊張するのだが(解剖学的に詳しいことは不明)、先生はダジャレを言いながらでも叩けなくちゃだめと言って、
「西島さああ〜ん、今日は何で来たんですかあ」
とか、叩いている途中でわざと回路を遮断する。

「東上線でえす!」と言いながら、無用なシンバルをジャーンと入れてしまったりして、若い方の二人が「ったくオバサンはよ」という顔をする(ような気がする)。

でもいいもん。
ボケ防止には最適よ。

最初、友人に言われたノリで始めちゃったものの、ほんとにこんなもん続くんかいなと自分でも危ぶんだけど、結構コレ好きかも、と思う。

何が好き、って半分はスポーツだから、これは。
1時間のレッスンが終わると、まだ冷房が入ってないせいかも知れないけど、汗びっしょりだ。


好きな曲を聴いていても、今まで気にもしていなかった一番後ろのドラムが聞こえるようになる。
これくらいの速度なら叩けるかも?とか不遜にも思う。
(エルトン・ジョンが、薬物中毒のロバート・ダウニーJrに救いの手を差し伸べたとされるPV。ちょっとサイコっぽくてかっこいいです)



軽井沢、夫について [フレグランス・ストーリー]

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夫が慌ただしく帰っていった。

通常の分娩では危なそうな患者様を帝王切開にする、と当直医からの連絡を受けてものの30分後に軽井沢を出るすし詰めの新幹線に飛び乗り、明後日までの休暇をぽいと屑かごに捨てて、多分私より大事なA3のでかい資料のファイルを抱えて帰っていった。

こういう時の彼は素早い。
一気にスイッチが入ったかのように、生き生きと見えさえする。
そのギャップがものすごい。

とにかく家のことは何もしない。
昨日言ったことだって覚えていない。
旅行に行けば文句ばかり言う。
独りよがりでKY。

自分の体重の管理も出来ない。
身なりだって全然構わない。
お風呂にだって準備を全部整えてあげないと入らない。
お金や家やクリニックの管理も全部私がやる。

趣味が無い。
人付き合いが下手。
話も下手で座が盛り上がらない。

いびきがうるさい。
寝言は叫ぶ。
ガタイに共鳴するのか咳もくしゃみもラウド。

日常の彼の一挙一動が、いちいち私の神経を逆撫でる。
一人の方がよっぽど平和で楽だと思う。

もうこんな手のかかるガサツなダンナはイヤだと何度も放り出しそうになるが、その度に私を思い留まらせるのは、彼の仕事へのずば抜けた集中力だ。

医者は皆そうだと信じたいが、特に年間800件近くのいつ始まるか分からない出産を扱う産科クリニックを一人で率いるのは、多くの患者様たちが心配してくださるように、自分の生活のすべてをクリニックに捧げる覚悟の上である。
わずかな休暇も、思い切って海外へ出なければ今日のように彼の心からクリニックが離れることは無い。

それでも彼は仕事が好きだと言う。
患者様のためなら50時間でも60時間でも寝ないで治療できる。
映画館では5分の予告編の間に寝てしまうのに、だ。

緊急時に一気にトップギアまで持っていくために、普段の彼はスイッチをオフにしているのだ、とリコンの一歩手前でいつも自分に言い聞かせる。

給料はそこそこでいいから趣味に費やす休みが必要というイマドキの若者に、産婦人科医ほどウケない職業も無い。
産科医が絶滅危惧種と言われる将来を憂う。

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大好きなパパにいきなり置いていかれたメグが途方に暮れる。

こうしていつも我が家の休暇は唐突に終わる。




軽井沢、NYの後 [フレグランス・ストーリー]

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いつも旅行ブログの後は、何から書き始めていいのか戸惑うものである。
あまりにも日常とのギャップが大きいからである。

自分でも旅の興奮覚めやらず、復路のキャビン内ではこれは日常に戻るのに数週間かかるんじゃないだろうかと思ったりするのだが、人間の身体と精神は悲しいほどに順応性が加わっているもので、日本に着いた途端、あっけなく1週間、ジェットラグも無く普通の仕事生活をしてしまう。

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実際普段の生活に無いようなパーティに顔出したり、ヘリに乗ったり、三ツ星レストランに行ったりする濃密な異空間を短時間であれ忙殺される日常に挟み込んだことは、間違いなくその後の仕事や生活のモチベーションに繋がると信じよう。
またそのギャップが、普段の生活への勢いになったりもすると頑張ろう。

それでもGWという助け舟に乗って、一旦頭を冷やすつもりで、ミナサン(トイプー3匹。すべて持病持ちの老齢犬)と夫(これまたお約束の成人病持ち)を乗せ、予想通りの大渋滞の関越を強行突破して、軽井沢の山荘に漂着する。
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軽井沢はまだ新緑さえもおぼつかない、春の浅さである。

冷えきった山荘に床暖房を入れ、ほこりとりの家具カバーを外し、とりあえず寝る準備を整える。
半年間眠りについていた山荘が、みるみる生気を帯びてくる。

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ドラムのスティックも持参で、この連休中に若いモンに遅れを取っている部分を挽回するんである。

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夜は久しぶりに深酒して、この頃めっきり共通の話題が減って話が噛み合なくなってきた(これは自然の現象なんだろうか)夫と、どうでもいい話題をしゃべり倒す。

スローなブギにしてくれ。


自宅、fly away [フレグランス・ストーリー]

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国家の闇を見るような気がする。

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Terrorism develops nationalism.

多くの人がそう言うように、それもまた真実で、それを繰り返しながらこの国は団結し強大化してきたのかも知れない。

久々の日本脱出なのに、セキュリティレベルアップ。
JFKの長蛇の列を想像すると気も萎える。

そもそも海外へ飛び出す身軽さは、ある意味「習慣付け」のなせるワザである。

この頃「海外へは行きたくないし、ほとんど行かない」という人によく出会い、いつも次は何処へ行こうか虎視眈々と国外脱出を狙っている身としては思いっきりハシゴをはずされる。
最近のトレンドらしいが、何だかPCの容量を2割くらいしか使いこなせずにいる自分みたいで、ちょっともったいないと思う。

しかしそれはその人の人生というデバイスの個々の容量なんだから、他人にとやかく言われるスジアイじゃないこともわかってる。

海外へ飛んでいくというのは、生活を違う舞台に置くということだから、普段と違った準備が要る。
それが面倒くさいという人もいる。

旅は準備期間が楽しいと思っていた私は腰を抜かしたが、今回納得した。

以前のように2、3ヶ月に一度、夜な夜なベッドの上にスーツケースを広げていた頃と違って、今回約1年ぶりにパッキングを始めたら、もう面倒くさくてたまらない。
NYtimesの現地予報をチェックすれば毎日毎日そりゃあChangeableで、一日で20℃近く乱高下するから、もう何を持っていったって完璧は無いとあきらめる。

現地の天候と旅程を頭に入れて、出来るだけ持ち物を削ぎ落してコンパクトに荷造りするのは、冗漫な文章を編集校正して簡潔明瞭な名文を作る作業に似ていて、それが楽しかったのだが、長く間を空ければ空けるほどそのセンスが鈍るのである。

それでも明日出発となればやらねばならないのである。

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2回のパーティはこのルブタンのクラッチでテンションをマックスへ無理矢理持っていく。
着物だってカクテルだって構うものか。
手荷物に入れたら完璧セキュリティチェックに引っかかりそう。

これが「攻め」だとすれば「守り」も入れる。

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鶯宿梅。
海外で勇気を奮い立たせるのはいつも梅干しの香り。
(これ自体、すでにババア発言)

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松崎煎餅の夕霧。
醤油の香りを焼いたといっても過言ではない極限の薄さのパリパリ感は、オリーブオイル漬けの日々の中の一時の安らぎ。

そして孤独なホテルで万が一体調崩した時の頼みの綱カロリーメイト、と。

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下調べは多分、万全。
地図と記事が呼応するように付箋で関連づけた。

Fly away soon.


銀座、猫派 [フレグランス・ストーリー]

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お天気のよい銀座の歩行者天国で必ず見かけるこの子たち。

陽光に誘われて綺麗な銀座通りをそぞろ歩く人々の幸せに、この子たちがさらにピースフルな光景を提供していることは間違いが無い。

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問題はこの子達自身はこれを楽しいと思っていないかも知れないというところらしい。

自分のFBに写真をアップしてからちょっと気になって調べてみたら、ネット裏で結構な論争が繰り広げられているのにびっくりだ。

猫たちはみんなシュシュを首輪代わりに付け、子猫時代はピンクのショールを敷いて日向ぼっこしているふうだったので、私はてっきり4丁目近くのどこかのお店の飼い猫だと思って気にもしなかったけど、実はどっかのおじさんが連れてきてストリート表示板の上にわざわざのっけているというのだ。

・・・でそのおじさんは、みんなが「かわいいい〜」と群がって写真を撮りまくるのを、後ろの方でにやにやしながら眺めているらしい。

う〜ん。
これで何が問題なのか。

とくに見物料徴収する訳でもないし、みんな喜んでいるんだからいいんではないのか。

アンチ猫おじさん派は言う。
2m近くある表示板に無理矢理のせられた猫達は降りるに降りられず虐待されているのだと。
虐待って穏やかじゃないし。

それと猫を運んでくる際に、おじさんが地下鉄の座席に猫を直に座らせている(おじさん、どっから来るんだ!)のも問題らしい。

ふう〜ん。

お天気のよい銀座で日向ぼっこするのは猫達が好んでしているもんだと思っていたので、何だかピンと来ないディベートだが、猫派にしたら一理あるのかも。
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(いつも動物病院の受付カウンターで寝ている猫ちゃん。寝床のカゴからはとっくにはみだしている)

飼ったことが無いので、猫の習性と気持ちが分からずそこまで。

Johnnyと先週はNYタイムスの「That Chuddly Kitty is Deadlier Than You Think(可愛い猫ちゃんは、あなたが思っているより凶暴です)」という記事を勉強した。
http://www.nytimes.com/2013/01/30/science/that-cuddly-kitty-of-yours-is-a-killer.html?_r=1&

ここでも猫はcontroversialだ。
自然環境保護団体と殺処分に反対する団体とを激突させている。

人間に寄り添うことが何よりの幸せと習性づけられている犬の単純さに比べ、謎の多い複雑な猫の仕草に強烈なラブコールを送る人は少なくないし、公開されている動画も圧倒的に面白いように思う。
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自宅、もしもピアノが弾けたなら [フレグランス・ストーリー]

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いやー、楽しすぎる。

もしも〜、ピアノが弾けたならって歌ってばかりいないで、ホントに弾けよ!と心で毒づくこと約5年。
夫の決心がようやく固まったんである。(ったく世話焼かせて・・・)
重いのは体重だけでなく、腰もだったんである。

定年退職後すぐに俳句の同好会に入り、それまでも描いていたスケッチを合わせて、施設に入るまで吟行や句会を楽しんでいた母に比べ、趣味を持たない父の老後はあまりにも無気力で哀れだ。
二人の老後を見比べるようになってから、「仕事が趣味」と公言して憚らない夫に毎日のように私は提言してきたのだ。
仕事は趣味と言いません、て。

どんなに好きでも(まあそれだけ仕事が好きなら、男として半分ぐらい点数あげてもいいけど)義務と責任と対価が生じるのが仕事だ。
年をとって頭と身体が弱れば義務と責任は全う出来なくなるものだから、そこで仕事はお終いになるのがなぜ分からん。
その時、「仕事が趣味」なんてほざいて、自分の「好き」を掌からこぼし落としてきた男の手には何も残らんのだぜ。

そんな夫が唯一「やってみたい」と言い続けてきたのがピアノだった。
所詮「カサブランカ」のAs Time Goes Byに憧れたぐらいなんだろうが、だったらやればいいじゃん。
私だったらその場で検索かけて教室でも先生でも探して、明日から行き始める。

仕事が忙しくて出掛ける暇がないなら3軒先に「ピアノ教室」の看板がかかってるじゃん。
いい先生かどうかなんてまずは考えずに、とりあえず私だったらそこのドアチャイム押してるなって思うが、そこが違うんである。

いろんなピアノ教室のチラシや先生の紹介をちらつかせても、そして息子達も使った私のアップライトが目の前にあるのに、「やっぱりいいや・・・」の彼の一言でいつも話は絶ち消えに。

そんな夫が、ピアノやドラムを家で楽しんでいる友人宅に招かれてから、「やっぱりピアノやろう」と思ったらしいのだ。

私はすかさず銀座の山野楽器に行って、電子ピアノのかなりいいバージョンの購入を決めた。
女房のお古なんかじゃテンション上がらんのだろうし、大人の習い事はまず恰好から、でいいと思うのだ。

値段もみせて心理的に退路を断つ。
FBにもアップしてサポーターも付ける。
ご飯が終わったらすかさず座って弾き始められるように、リビングのど真ん中に置く。

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そのために、インテリアのアクセントにもなるハンサム顔のピアノである。

まだレッスンが始まらず譜面が読めない夫にかわって、とりあえず私が試し弾き。

いやー、息子達のヤマハ以来触っていなかった鍵盤楽器、こんなに進んでるとは。

もう20年以上弾いていないし、音感も年と共に衰えるのか、最初はどうしても音が一音さがって聞こえ閉口するも、まあ、インプットされた演奏に合わせて弾けば(しかもデジタル画面で譜面をちゃんと追ってくれる)それこそ弾いているのは右手だけでも「As Time Goes By」だろうが「ミスティ」だろうがめちゃくちゃ素晴らしいムードに仕上がる。

夫が「ん?」と書類から目を上げて「おまえ、うまいな」と思わず一言。
「ま、ね。」と種明かしはせずにおく。

いやー、大人のおもちゃ万歳である。

これから真摯にピアノを習おうというよい子たちや、真剣に楽器に取り組んでいる皆様にはとんでもないオッサンとオバサンかも知れないが、日に日に無彩色に陥りつつある老後生活を彩るための必要ズルであろう。

これなら夫もきっと何とか右手だけでも弾けるようになれば、素敵な曲が沢山弾けるような楽しい錯覚に陥ることができよう。

乞う、ご期待。

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私はこっそりドラムの練習を始動。



千鳥ヶ淵、一人ぼっちじゃない夜 [フレグランス・ストーリー]

それはそれはもう、心配でハゲそうであった。

3月16日という突拍子もない時に、開花してしまった東京の桜。
「開花は29日あたり」という月初の予測に従って4月の第1週に組んだ千鳥ヶ淵の花見のスケジュールを、大車輪で1週間はようやく繰り上げたものの、あっさりと23日には満開宣言。

葉桜見ながら花見という大誤算だけは避けたいと、できれば保冷剤にお濠をどっぷり漬け込みたいと願いながら日々を過ごしたが、結果オーライであった。

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桜は今年も待っていてくれ、遠来の客をもてなしてくれたのである。

前日、仕事の後でパーティの準備をしつつ、暮れていくお濠の景色を眺めて心の中で、
「Good job, Chidorigahuchi!」
と、叫ぶ。
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花曇りの夕暮れの色が消えて闇があたりを支配していくにつれ、灯がともり、白く桜が浮き上がってくる。
ある意味、マジックアワーである。

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お互い対岸を照らし合う千鳥ヶ淵のライトアップは、遠近感がこの上なく美しい。

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パーティは20数名の客を迎えて、桜色のシャンパンとロゼワインでスタート。

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去年と同じように、セラピスト仲間の朋ちゃんの旦那様、高橋マコトさんが歌とギターで盛り上げてくれる。
http://macoto-gtp.jimdo.com

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日
一人ぼっちじゃなかった夜

去年と同じメンバーの中には、この1年で大切な家族を見送った人もいる。
私も母を。

マコトさんの歌を聴いていると、ほんとうに一人ぼっちじゃないって思える。

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去年と同じように、桜の雲の上に満月が微笑む。

自然の現象にも仲間たちにも恵まれた自分の人生を、感謝したい夜である。




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