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自宅、きもの [マイハーベスト]

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新春に催される高島屋の「上品会」(じょうぼんかい)というスペシャルな着物展で、年に一枚着物を仕立てることにしている。

会場にあふれる有名な織元さんや染め屋さんの着物と帯をあれこれ身体にあてながら、これ!という組み合わせに行き着く過程は、よくぞ女に生まれたり、と幸せを感じる時間でもある。

問題はそれらを実際に身に纏う日が、雑然とした私の日常ではなかなか見つからないことである。

着物を普段着で着ることに憧れて着付けを習い、パリで実際に着てみたこともあったが、ほとんどが腰エプロンか白衣で仕事する毎日ではそうそう着物の出番が無い。
結局、マスターしたはずの着付けも忘れてしまった。

今は考えを改めて、着物はフォーマルな場で着ればよいと思っている。
ブラックタイの第一礼装の場でのソワレは、露出が多い分貧弱な体型に年齢が加算されて我ながらシンドイと思うこの頃である。

その点、着物はモノ次第で(上品でない我が身も)上品に仕上がり、しかも外国の方々にもウケがよく、やっぱり日本人ならこれで出るとこに出ましょう!って感じである。
そう決めて以後、どんなに粋で素晴らしくても紬はやめて、華やかでちょっと現代的な(私の感覚ではソワレの感覚に近いもの)を選ぶようにしている。

着付けだって、やっぱりここ一番って時は悪戦苦闘してぐずぐずになったのを写真に撮られるのも馬鹿らしいので、プロの方にお願いするのが得策。
もうジタバタするのはやめてしばらく他力本願でいこうと思う。

上品会の帰り道、沢山の着物を見た興奮の余韻覚めやらず、本屋さんで一冊の文庫本と一冊の雑誌を買う。
まだまだあの衣擦れの音の中で夢を見たいと思いつつ。

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「クロワッサン特別編集/着物の時間」(マガジンハウス)

着物に一言ある著名人59人が、それぞれの一枚を身に纏い、着物への思いの丈を綴る。
ビギナーにとっての目からウロコ発言満載、お手本にしたいコーディネートも随所に。

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「きもの」(幸田文/新潮文庫)

ファストファッション全盛の世と比べる方に無理があるのは承知でも、つくづくなんてたおやかで丁寧な時代だったのだろうと感動する。

執筆されたのは昭和40年。
父、露伴が亡くなってから作家活動に入った文の死後30年経って出版された自伝的要素の強い作品である。

舞台は関東大震災前の東京下町。
とりわけ裕福ではないらしい一般家庭の三女として生まれたるつ子の目を通して、着物がまだ生活の主流であった時代の風習や考え方が、簡潔な文章でさくりさくりと描かれた佳作である。

「袷は五月一日から、単衣は六月一日から。・・・・七月一日からは絽だのうすものだの」と、衣更えの日を厳密に守って家族全員の着物を整えることは、その家の主婦の家庭技術を示すものと言われており、母親を先頭に祖母もばあやも支度に奔走する時代だ。
古びた着物はほどいて保管され、寝間着や布団がわに再利用される。

着物の着方や着心地を通して、るつ子は洞察力に富んだ祖母から女性としての身じまいや生き方そのものを学ぶ。
それだけ布地や裁縫が女性の身近にあり、着物が女性の身の丈を語る時代でもあったのだろう。

現代の私たちが失くしたものは、日本伝統の衣装である着物そのものよりも、このような賢い老人の教え、物を丁寧に使い込んでいく風習、そして着物が一役買っていた季節感だと気付かされる。

るつ子がこっそり母親について店じまい前の呉服問屋を訪問し、山と積まれた反物を目の前にした興奮と、そこから自分好みの一反を選び出すくだりは、今日の自分と重なっていとおしい。




自宅、日本語を書く部屋 [マイハーベスト]

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他界を知らずに亡母へ寄せられた年賀状宛に、それぞれ逝去の通知を出したら、そのうちの何人かの方からご丁寧な自筆のお手紙を頂いた。
主に退職後30年近く通い続けた俳句と聖書の勉強のお仲間の方々であった。
こつこつとあきらめずに重ねる勉強の量で周りから慕われていた母の様子を文面で知り、嬉しかった。

「これは一番大事なの」と言ってくれていた米寿にプレゼントしたカーディガンと一緒に、それらの書簡を大切にしまう。
あと数年で私も母が好きな勉強を始めた歳に到達する。

こちら、勉強の量を想像するだけで身が引き締まる。

リービ英雄。
本名リービ・ヒデオ・イアン。
ヒデオは父の友人の日本人が名付けた本名だが、日本人の血は流れていないという。

読んだ本は「日本語を書く部屋」(岩波現代文庫)
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国境、越境という言葉を随所で感じる。
日本語を母国語としない(両親はそれぞれ東欧系ユダヤ人とポーランド人)人物が書く日本文学というジャンルが非常に興味深い。

プリンストン大学で柿本人麻呂を研究。
「日本語は美しいから、僕も日本語で書きたくな」り、他国から日本へ「越境」して多くの外国人がそうするように英語でそれを表現したなら、それは日本語の英訳に過ぎないから、日本語で「原作」を僕は書くのだ、という理由は至極もっともだが、誰もが出来るワザではない。

その彼の日本文学を生み出す背景と思想、大学での講義などをまとめたのが本著である。

日本あるいは日本文学界の排他性、西洋と非西洋の段差。
日本ともう一つの母国を行き来する立場ゆえ生まれる視点や考えは、「単一民族」をどきりとさせる。

数か国を行き来するが故の彼のアイデンティティへの固執や、高度な異質性をはらんだ日本語の感じ方、常にボーダーを意識した切り口を本著では楽しみたい。

海に囲まれた島国で一民族だけが理解する言語に「越境」してきた頭脳明晰な黒船を、我々がどう迎えるかが問われているように思う。

千夜千冊でも。
http://1000ya.isis.ne.jp/0408.html

自宅、モモ [マイハーベスト]

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埼玉も一面銀世界であった。

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たまに都内でご飯食べようと、夫と珍しく意見が一致していた休日は、交通網の大混乱により、やっぱり家に籠ってそれぞれ好き勝手なことをする。

次男の本棚から抜き出した本の中から、彼にしては異色の一冊を読破することにする。
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「モモ」(ミヒャエル・エンデ著/大島かおり訳/岩波少年文庫)

「伽藍が白かったとき」が建築学科生の必読の書であるなら、この「モモ」は児童文学学科生のその一冊である。

数々の講義の中で引用され、評論された本著を(だから、あらすじも評価もほぼ自分の中で完結している)、”国文学科”児童文学専攻という名の下に結局読破することなくすり抜け、宮沢賢治やら新美南吉の探求のみに邁進してきた狭量極まりない学生であった己を反省し、なぜ、理系の次男が「モモ」に行き着いたのかは分からないとしても、ここは彼がチャンスを与えてくれたと解釈して本の扉を開くべきだろう。

児童文学学とは、突き詰めれば一貫して「ファンタジー」を解析する学問であったように思う。

児童文学が一般文学と決定的に異なるのは、圧倒的に成人より未体験事象が多い子どもへの影響をよくも悪くも常に意識して創作された文学だということだ。

ファンタジーを体験して鍛えられる想像力は、判断力ののびしろでもある。
子どもは児童文学に対峙して、厳しく困難で、だが素晴らしい現実へぶち当った時の対処や感動の幅を広げる練習を積み重ねるのだ。

30数年前、バブル期まっただ中に大学生であった私は、猪熊葉子師の下で学びながら児童文学の意義をそう位置づけたように思う。

「モモ」で取り上げられるのは、大人が否が応でも直面する”時間”の概念である。

廃墟となった古代円形劇場(この設定自体が時間の経過や、生き様を客観的に見世る伏線だとも言われている)に住む浮浪児のモモが、時間を節約するという一見良さそうな合理主義によって余裕という幸福を人々から奪っていく灰色の男たちに静かに立ち向かう。

1973年に世に出たこの物語が、当時経済成長とともにスピード化していく日常に生きていく子どもたちへの一考を促した作品であることは間違いが無かろう。
要所要所に散りばめられた、時間とは使い方や過ごし方によって長さも意義も違うという根本的な示唆は、40年経った今でも寸分も違わず、インターネットという時間短縮の魔法が席巻する世なら尚更、もし今自分が子どもを育てる立場にあったら是非とも我が子には会得してもらいたいと思える概念である。

「なぜ、子どもの頃のオレに本を読む癖をつけさせてくれなかったのさ」と、大学時代に的外れな恨み言を私に向かって吐いた次男の本棚からこの本を見つけ出したことは、まったくギャグかよと思うほどの痛烈な親子の偶然だ。

前出同様、編集学校の松岡正剛千夜千冊にも取り上げられているのでご一読を。
http://1000ya.isis.ne.jp/1377.html

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判断力ののびしろ、ねぇ。

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アイス、もう一つくれたら考えとくわ。





自宅、伽藍が白かったとき [マイハーベスト]

10年に一度のウィルスの大襲撃を受けた後は、家というシェルターを出ることに臆病になる。
電車の吊り革を掴む事を考えただけでもぞっとする。

なので連休は家に籠り、ひたすら体力温存・感染予防に努める。
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こういう時は何はともあれ愛する活字に溺れたいものだが、あいにく手持ちの本はすべて読み終わってしまった正月休みの後の事なので、急遽海外単身赴任中の次男の本棚から何冊か失敬することにする。

「あなたが面白がるような下らない本はありませんよ」

彼独特の口調が想像できるが、小難しそうな建築や哲学の書籍群の中から比較的与し易そうな数冊を引っ張り出す。

その中の一冊。
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「伽藍が白かったとき」(ル・コルビュジエ著/生田勉・樋口清訳/岩波文庫)

次男の上司であるI氏のブログによれば、「ガラシロ」として建築を目指す学生が全員一度は手に取るべき、いわずと知れたフランスの大建築家の名著である。
(しかし、この名著の美しい邦題を”グラコロ”みたいに言ってしまえる学生達っていったい・・・・)

コ翁が1935年、第二次世界大戦直前にNYを訪れ、当時のアメリカとフランスを底辺の2角に据え、白いカテドラル(伽藍)を意欲的に建設した中世ヨーロッパを頂点に仰いで構築した、光と陰をはらむ近代都市計画。

訳が原文に忠実であろうとするためかやや美文調で平素な言葉を避けており、具象と抽象が入り交じる文章と相まって、一読しただけではすっと頭に入って来ないので、ましてや部外者とくれば結構根気のいる分量である。

あのNYの摩天楼群を見て開口一番「NYの摩天楼は小さすぎる」と言ってしまえるところがさすが巨匠。
建物を財力と技術力に任せて垂直に延ばしてしまったために、マンハッタンという地面をすべて有効活用できずに郊外へ郊外へと人の流れを横に延ばし、ムダな時間と税金を浪費しているNYの無節操は巨匠の怒りを買ったらしい。

諸君、摩天楼のすべての床面積をマンハッタン中に敷き詰めると考えれば、たった4階半の建物を並べるだけでいいんじゃよ、と。

だから当時巨匠が描いた「明日」のマンハッタンのスケッチは、摩天楼群が消えて、テーブル状の横に平らなビルが建ち並んでいる。
2013年の現在、残念ながらNYはそうなってはいないが、摩天楼を建設したアメリカ人の、意欲的だが傲慢な、自信たっぷりながら臆病な気質を、天に届かんとする伽藍を建設した中世ヨーロッパ人の気構えと幾度となく比較しながら見抜いていたコ翁の視線の端緒を、奇しくも70年後、世界中を震撼させたWTCの映像が思い出させることとなる。
(しかし、アメリカ人はまたその跡地にも摩天楼を築こうとしている)

本著については前出のI氏始め、数えきれないほどの専門家が解析や評論を試みているので、ド素人がとやかく稚拙な感想を言うまい。
かつての師松岡正剛(といっても彼の編集学校に入塾していたというだけだが)も膨大な読書録『千夜千冊』の一冊に選んでいるのでここに挙げる。
http://1000ya.isis.ne.jp/1030.html

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この本がちょっと楽しかったのは、学生の頃読んだであろう次男の跡を辿って読み進めたことである。

白い付箋やオレンジ色の棒線で、彼がどこに興味を持ち、どこを重要だと思ったのかが分かるのだけれども、私の貼っていく付箋とそれはあまり一致しなかった。

素人と一緒にすんな!と一喝されそう。

この本を彼の本棚に戻すかどうか、迷うなあ。




自宅、イングリッシュ・ペイシェント [マイハーベスト]

人間、勤勉であろうという気持ちを一旦捨てたら早いもんである。

夫がベトナムに住む次男と年末年始を過ごすために、束の間日本を離れる。
重症の糖尿病のクロの看病で私の同行はかなわなかったため、結婚以来初めての一人正月である。

正月は我が国最大のお休みエクスキューズだから、毎晩ストイックに続けるフラの練習も英文の活字も手放すと、こんなにも簡単にソファの上に根を生やすことが出来るもんであるという発見が、自分にとってはちとショックであったりもする。

大晦日、施設の父とご飯を食べて深夜帰宅した後は、シャンパンを開け、映画見放題の一人祭りである。
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DVDとCATVで6〜7本の映画を見、その合間にも外国のシリーズ探偵ドラマをつまみ食いし、深夜ミナサン(トイプー3匹)とベッドにもぐりこんでからはNHK「ケータイ大喜利」にスマホ参戦(当然だが採用されず)。

中には下らなすぎて途中で見るのを止めた映画もあるが、壮大な幻想の中のパノラマを彷徨うようなこの1本は収穫。

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第69回アカデミー賞9部門受賞「イングリッシュ・ペイシェント」(監督:アンソニー・ミンゲラ/主演:レイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシュ)は、英国最高の文学賞ブッカー賞受賞の「イギリス人の患者」(マイケル・オンダーチェ著)の映画化である。

第二次世界大戦下。
看護婦のハナ(ジュリエット・ビノシュ)が受け持つ患者は、記憶を無くしているが流暢な英語を話すため「イギリス人の患者」と見なされて手厚い介護を受けている。

しかし本来彼は英国地理協会に籍を置く、連合国側ではないハンガリー人の伯爵であり、そのために前線では捕虜生活も送り、彼のそのバックグラウンドが悲劇的なロマンスをからめとったらしいことを、観る者はイングリッシュ・ペイシェントの記憶にしみ込ませるように薄々感づいていく。

国籍というたかが人間の作ったルールが、国と国との争いである戦争という特殊な状況下で運命を左右させる偶然と必然の恐ろしさを、北アフリカの砂漠の砂塵を記憶の靄に見立てたかのようにして見え隠れさせる秀逸な技法。

酔ったぜ。

自宅で(映画鑑賞以外は)何もしなかったけど、元旦、2日は長男一家や親戚の家で新年会で酔う。
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じっくり腰を据えて飲むタイプではないパパをさておいて、酒豪のママとバアちゃんを撮影する碧ちゃんのカメラ目線。
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おんなってすごいなー
(by 碧)

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あたしもそのうち参戦いたしますわよ。
お兄様、覚悟なさいまし。
(by あかり)

ともあれ・・・

皆様、明けましておめでとうございます。





自宅、皺 [マイハーベスト]

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♪真綿色した〜シクラメンほど・・・・

毎年買うシクラメン真綿色ネタも今年で4回目である。
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2011-12-16
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2009-12-02
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2008-12-06

ちなみに2010年は「真綿色」が無かった。
残念!!
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2010-12-10-1

真綿色って雰囲気ある。

同じ白でも最近のシクラメンはピュアホワイトだから清々しくて軽やかだけど、これは重くて悲しい情感を含んだ白。
人はどんな感情で、白を真綿色と表現するのだろう。

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久しぶりに目覚ましをセットしないで寝る。

どんなに遅くまで起きててもいいのに、Eテレの「ニュースで英会話」スペシャルLIVE版を見ているうちに眠りに落ちたらしい。

ふと、一緒に寝ているクロの鳴き声で目を覚ます。
(毎晩ミナサンと同衾する3inワン・スタイルである)

付けっぱなしのTVからは見慣れないアニメが暗がりに流れ出ていて、クロのおむつを替えながら、Eテレの真夜中放映アニメという特異さに目と耳を奪われる。

どうやら舞台は老人ホームのようだ。

「銀行王」と呼ばれるその老人は、妻に先立たれ、家を売りに出して、このホームへ入ってきたばかりらしい。
(この辺は見逃したので想像するしかない)

最初食堂へ来るにも、ネクタイとジャケットをきちんと身に付け、周りの老人達のどこか奇異で哀しげな言動を客観的に観察していた彼に、だんだん変化が現れる。

財布を盗まれる。
会いに来た子どもは、自分をおじいちゃんと呼ぶがなぜだ?
時計も盗まれる。
黒い靴下もだ。
犯人は同室のあいつだ。
ジャケットの”上に”セーターを着る方がいいんだ。

やがて医師から見たことのある薬を手渡されて、自分はアルツハイマー病だと気付く。
周りの老人達と同じように。

それを悟られないように、いろんな手だてを試みる。
なぜなら「上」(上層階の重症者のための隔離病棟?)へ行ったら終わりだから。

亡くなった母の最後の一年間がこんなふうだった。
そして今、まさに父も。

「Arrugas(皺)」(原作:Paco Roca/監督・脚本:Ignacio Ferreras/スペイン・NHK第39回日本賞グランプリ)
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エンドロールの間、ずっと暗がりを見つめた。

有楽町、やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん [マイハーベスト]

休診日の木曜は、フラのレッスンと英会話の間に期日前投票を済ませ(住民票が東京1区にある)、夕方夫と久しぶりに都内で待ち合わせて食事をする。
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某社からのご招待でペニンシュラホテルへ。
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クリスマス前のホテルは華やかで心躍る。

地下のコンフェクショナリーでは、クリスマスのへクセンハウス作りが最盛期を迎えている。
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昨日忘年会で夜中までカラオケびたりだった夫の自慢は、今日本に影響を与えている多くの有名なアーティストやアスリートが生まれた1955年に自分も生まれたことである。
何でも自慢になるもんだなあと思う。

さんま、郷ひろみ、江川卓、野田秀樹、スティーブ・ジョブズ、具志堅用高(?)・・・・と枚挙にいとまが無いが、先日、円熟味が増しつつあるさなかで勘三郎が亡くなったのは、同年生まれとして何か思うところがあったようだ。

そして何より彼のモチベーションを頂点に引っ張り上げるのは、この方と同い年生まれという事実である。

桑田佳祐。

確かに同年代のアーティストの歌は、自分の歩んできた時代をそのままリアルタイムで写し取っているものだから、曲を聴いたり歌ったりする時は、「そうだよな、あの頃はそうだったんだ」と当時の自分を愛でる時でもあるわけだから、無性に心地よいのは理解できるような気がする。

他にさしたる趣味の無い夫は、桑田ファンの産科医(産科医の桑田ファンか)というアイデンティティでこの世を渡っているようなもの。
まあ、その入れ込みようはハンパない。

それほどまでなら、専門・実用書オンリーの彼でもきっと読むんじゃねえか、こんなもん。

「やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(桑田佳祐/新潮社)
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いつまでもデスクに置き去りにされているのを先行して読んでみれば、うん、確かに類まれな才能の持ち主なのであろう。
長きに渡り、これほど多くの曲を日本全土に染み透らせてきたアーティストを他に知らない。

彼に絶大な共感を覚えるのは、ロックにも英語のリリックにも確かに影響を受けながらも、アメリカに媚びず、色目を使わず、徹底して活動の場を日本に求めて独自の世界を構築したことだ。

歌詞に英語を使っていないわけじゃなく、むしろ多用しているのに、それをネイティブに近づけよう(あるいは真似よう)とするのではなく、どっぷりと日本歌謡曲風に投入する。
彼にすれば、英語なんかなんぼのもんじゃい、五七五に当てはめてやるわいって感じである。

 妖艶な Rock'n Roll  
 骨の髄まで・・・Maniac
 愛撫から Lose Control 
 宇宙(そら)が燃えてる Zodiac  
(Number Wonda Girl~恋するワンダ)

常々、歌詞が先かメロディが先かという議論はついて回るものだけど、ミュージシャンの彼の場合はもちろんメロディが先。
独特のテレもあって、このタイトルが付いている。

できたメロディに、ジグソーパズルのように言葉を当てはめていくわけだから、歌詞だけを全体として見たときにものすごく美しいとか、すっきり意味が通るかというと、なかなかそうはいかない。(少なくとも私には)
同じ世代のユーミンの曲なんかだと、歌いながら情景が浮かんでくるのに、彼の歌詞は字面で見て初めてなんて歌ってたかがわかるのは、そういうことなんだと思う。

2009年、転機が訪れる。

食道癌から立ち上がった彼は、著名な日本文学の文章を使い歌詞先行曲作りにチャレンジすることで(「声に出して歌いたい日本文学Medley」)、新しい境地を見出していく。
そして大震災があり、TSUNAMIが東北を襲う。

その後の曲には、美しい心の情景を思わせる歌詞がいくつか見つかる。

 現在(いま)がどんなにやるせなくても 
 明日(あす)は今日より素晴らしい
 月はいざよう秋の空
 ”月光の聖者達(ミスタームーンライト)”
 Come again please. 
 (「月光の聖者達(ミスタームーンライト)」)

何だかフラの歌詞を彷彿とさせる。

夫はクワタを語る時、俄然アツい哲学口調になり閉口する。
まあ、クワタを語りたいのであれば、とりあえずこれを読んでみなはれってことかな。





自宅、遥かなる大地へ [マイハーベスト]

毎年手袋を買う。

冬のアイテムで一番思い入れが深いのかも。

ここ数年、つんとすました淑女なレザーよりも、柔らかさに心がほどけていくような毛糸編みの手袋一辺倒だ。

去年バーニーズで買った毛糸編み手袋は、iPhone操作に必要な最小限度である親指と人差し指の先だけが空いており、めちゃくちゃ便利で使い倒し、穴が開いてしまった。

したままiPhoneを使うことを考えると指先が空いているのは必須条件と思われ探すが、ミトン型で指先をカバーで覆うものは沢山あれど、あのカバーを折ってボタンで留めるのは意外と面倒で心まで折れてしまうから、今年は妥協の産物ではあるけれど、二重に折り返して指先を包む生クリーム色のこれにする。
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透明のビーズが、まるでしずくのように指にまとわりつく感覚もなかなかよい。

凍えるような石の玄関に立ち尽くすMissマートルも裸足ではあまりに冷たかろうと、東急ハンズで見つけた靴下をはかせる。
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オーバーウェイトの夫が座ってみて動く(\(◎o◎)/!まじか!)と言うので、壊される前に滑り止めを装着したんである。

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ロッキングホースも、トナカイになるホーリーな季節である。

アロマテラピー講座が終了した夜、何もかも手放して深夜のCATVで映画を観る。
ここしばらく本も読めていないし、映画なんてなおさら。
その事実がまたストレスになるので、ま、ちょっとしたカンフル剤のつもりである。

たまたまやっていたのが「遥かなる大地へ」(監督:ロン・ハワード/主演:トム・クルーズ/ニコール・キッドマン)
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いやー、これは壮大なアメリカ開拓史として観るべきか、大掛かりなスペクタクル・コメディとして観るべきなのか、最後まで迷いつつ涙と失笑にくれる。

アイルランドから新大陸へ、自分の土地を求めて海を渡った出自の全く異なる二人が移民の苦労の中で惹かれ合い、ビーチフラッグよろしく、よーいドンで走り出して奪還した荒野の一角をついに手に入れる・・・・

大掛かりだが、大味ではない。
一夜の娯楽としては相当楽しめるし、この映画を通してプライベートでも結ばれた(のち離婚)という主演の二人は若くて絵になる。

でもなあ・・・・生き返るか?



軽井沢、ティファニーで朝食を [マイハーベスト]

もう10回目くらいだけど、観る度におしゃれな映画だなあと思う。

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「ティファニーで朝食を」(ブレイク・エドワーズ監督/オードリー・ヘプバーン)

軽井沢の気温は6℃。

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それでも暖房が入った部屋の日向はぽかぽか。
山荘終いにあたり、ありったけの布団を干す。

昨日、日々のノルマを何も果たさず、本を読んで過ごしたので、今日はちょっとスイッチを入れ直す。
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Johnnyの今週の記事は、Googleが開発中の、頭に浮かんだイメージをメモライズできる眼鏡型コンピュータについて。

うーん、欲しいような欲しくないような。
そこまでワーカホリックでもないしな。

老眼が着々と進む目が疲れたので、少し遠くを見るためにDVDを観ることにするが、30本ほど買いだめしたDVDはみんな見終わってしまった。

・・・でこの映画。

早朝、誰もいないNY5番街。

ブラックドレスにゴージャスなパールネックレス姿のオードリーが、デニッシュをかじりながらティファニーのショーウィンドウを眺めている。

どこか物悲しいヘンリー・マンシーニのムーンリバーがバックに流れ、彼女が一夜の「ビジネス」の帰りであろうことを想像させる。

このファーストシーンがたまらなく好きである。

富めるアメリカの掌からこぼれ落ちてしまった名も無い娼婦をヒロインに据えながら、あの時代はやはりどこかに希望が見えて惨めさを感じさせない。
どの場面でもジバンシーのコスチュームが可愛らしくて、細いオードリーにぴったりで、ため息が出る。
(特に兄の死を知って彼女が取り乱すシーンの、キャンディピンクのドレスが秀逸!クリスティーズで2330万円で落札されたらしい・・・)

今日初めて、彼女のアイマスクがティファニーブルーであることに気が付く。
ネットで調べたら、そんなことはティファニー・パパラッチ間ではとっくに語り尽くされたネタであるらしく、4500円で売ってた。
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同じシーンでオードリーが付けているイヤリング風耳栓も可愛いと思って検索したら、「同じようなのが欲しい」と言ってる人に、「ティファニーへ行って10ドルしか無いんだけど・・・と言えば、店員が出してくるかもよ」というレスが付いてて爆笑する。
(ご存知でしょうが、映画では、10ドルしか無いんだけど・・と言ったら電話のダイヤルを回す棒を店員が出してくる。結局は10ドルでお菓子のおまけの指輪にネームを入れてもらうのだが、その棒も見てみたい気がする)
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何度も観てどのシーンも覚えてしまっているような気がするのに、毎度新しいディティールを発見する映画だ。
それだけよく作り込まれてるってことなんだろうなあ。

Googleが開発中のProject Glass、こういう探し物には便利で面白いかもとふと思ったりする。




軽井沢、金平糖の降るところ [マイハーベスト]

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朝冷えきった山荘に着いて、リビングだけの暖房を付け、ソファに倒れ込んで昏々と眠る。

時折目が覚めると読みかけの本を読み、数ページでまた眠りに落ちる。
それを幾度となく繰り返して、とっぷりと森の中に闇が降りる。

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今日はもういい。
一日中本と心中してしまおうと思う。

一昨日の関越の所沢出口で割り込んできた軽トラとの軽い接触事故で、自分の限界を知らされた思いだ。

母の死で一旦止まった日常を軋ませながら再開した秋以降。
クリニックのリニューアルオープンに伴う新しい仕事が増えたところへ、5年勤めたお手伝いさんが辞め、孫の入院騒ぎがあり(おかげさまでもう少しで退院のようです)、セラピスト2人が産休と心の病気で現場を離れ、てんやわんやである。
その中で真夜中にHP作りを進めながら、毎朝6時起きで一日にいくつもの仕事を詰め込む日が続いているところへ、一昨日の父の入院の報である。

「7の倍数の女の厄年」なんて鼻っからバカにしていたが、これが厄年というのなら今は諸手を挙げて賛成しよう。

今年後半はいろいろな事情で大好きな海外旅行を諦めているので、この連休は山荘終いを理由に、ゆっくりミナサンと冬の軽井沢(これがまたいいんです)を楽しむつもりでいたが、父の入院でそれも消える。

しかし接触事故はこれ以上、今のままではニシジマ、アカンですよという警告灯だ。

昨日夫と父を見舞って、緊急性の無い、我が儘対処入院であるように理解したので(老人施設では連休などの手薄になる時期には時折あるみたいです)、今朝はミナサンを乗せて一気に関越を下ってきたのだ。

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夏の間うっそうと茂っていた木々がすっかり葉を落として、からんと明るい鹿島の森。

まるでコンファタブルな冬眠のベッドを作るような気持ちで、一部屋だけに暖房を入れ、明かりを灯し、浅い眠りの白昼夢と交互に江國ワールドの中を彷徨う。

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「金平糖の降るところ」(江國香織/小学館)

ブエノスアイレスと東京を行き交う愛の交錯。

「やわらかなレタス」のほんわかムードは影も形もない。
あ、このひとって漢字も書くのね(あたりまえだが)と、彼女をひらがなの作家だと思っていたので、まずはそこにびっくりである。

アルゼンチンに育った美しい姉妹の周辺に散らばるイレギュラーな恋愛関係を、不倫などという下世話な言葉を思い浮かばせずに描く江國ワールド。
海外生活経験をいかんなく駆使して舞台を海外へ飛ばしたところが、日本のモラルじゃ異端、あるいはくだらないと切り捨てられそうなシチュエーションを文学の高みに引き上げている。

それにしてもこのところ手に取る本はことごとく姉妹関係関連である。
男兄弟の糸はかなり淡白だから文学にはなり得ない気がするけど、濃いなあ、姉妹。



自宅、やわらかなレタス [マイハーベスト]

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自宅にクリスマスツリーを飾る。

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11年前の寒い朝、3mの大ツリーの下で、初代クロが息を引き取って以来、飾れなかったツリーである。

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当時のバカラのオーナメントは、その年をくっきりと我が家の歴史に刻むかのようだ。

今年はいろいろな事情で、出歩かない「おうちクリスマス」と腹を決め、久しぶりに自分の手でクリスマスを演出したくなった。

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表向き「孫のため」に、高島屋各店舗1体限定のドイツ製木馬をいち早く届けてもらい、目指すイメージが出来上がる。
子どもの頃、一年中で一番楽しみだったその思い出の中に時間旅行するための。

子どもの頃の幸せな思い出綴りが、ひとつの文学として成立しうることを教えてくれるのは、いつも江國香織さんの文章である。

「やわらかなレタス」は、ひらがなを効果的に使った柔軟な文章で歌い綴る、父上のDNA全開のエッセイ集である。

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「やわらかなレタス」(江國香織/文藝春秋)

彼女の作品の土台を支えるのは、前述した小説「抱擁、あるいはライスに塩を」も確かに、子どもの頃母親に読んでもらった童話であり、インテリで家族を慈しむ父親を筆頭とするあまやかで平和な家庭の記憶である。

特に”たべもの”(”食べ物”ではなく)に関する独特の感性は、読む者にジューシイな幸福感を与えてやまない。

彼女にかかれば、タラの切り身でさえ「でしゃばらない。控えめで、心根がよく、思慮深い魚」となる。

何より絶妙なのは、外国の童話に出てくる見ず知らずのたべもの、例えば『ムーミン谷の冬』(トーベ・ヤンソン)の「あたたかいジュース」、『ハイジ』(ヨハンナ・スピリ)の「白いパン」、などへの思いと追求、事実との出会いは、誰もが必ず持っているものなのに、彼女が書いて初めて文学として機能した気がする。

やられた、って感じである。
(私も、最愛の書『長くつ下のピッピ』に出てくる「カンゾウアメ」というものをたべたくて仕方が無かったのだが、パリで真っ黒のリコリスキャンディに出会って玉砕したりしている)

賢い両親に愛された幸せな過去は才能のひとつである、と彼女の作品を読む度に思う。

自宅、60歳からのフェイスブック [マイハーベスト]

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みなさま、こんにちは。
N家長女のメグです。

うちは人も犬も男性陣は心臓病、糖尿病、高血圧と、よくもまあというくらい成人病棟然としているんですけれどね、なぜかアタクシとこの人だけは鼻息が荒いんですの。
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そう、うちのオカンですけど、女は年とともに意気揚々としてくるっていうか・・・そう言えばピンキーも頑張ってらっしゃるわ。

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「60歳からのフェイスブック」(今陽子/マイナビ新書)

ピンキーとキラーズっていっても多分半分以上の方がピンと来ないのじゃないかしら。
1970年代にミリオンヒットを2枚出したグループのシンガーなんだけど、そりゃあ独特の出で立ちで目立っておられたそうよ。

当時16歳だったその方が還暦を迎えた今、若い者中心のフェイスブックに挑戦なさって人生を楽しんでるって、まあ文字通りの内容なんだけど、オカンはそのタイトルに触覚をずぶりと差し込んだみたい。
何なのかしらねー、あの人のツボって。

「〜歳からの◯◯」ってよく、「3歳からの英会話」とか「60歳からのバイエル」とか、一般的にはその年代向けじゃないことをやってのける独特のアチーブメントみたいなものを感じるんだけど、う〜ん、これはどうかしら?
FBを使ってる60歳ってそんなに希少?

ま、確かにもうオッサンになりつつある息子達のママ友と会っても、オカンはFBのフの字も聞かないらしいわ。

ピンキーの場合はお仕事にはFBを使わないと宣言されているけど、実際にはほとんどお仕事がらみ(=ファン)のアクセスみたいだから、人前に顔を出して不特定多数のファンを相手にするお仕事の方にはFBは、60歳だろうが、70歳だろうが、有効で楽しいのかも知れないわね。

それはつまり、実態の世界が彼女のSNSワールドに寄り添っているからなんだと思うの。
彼女は、そこが若い子のバーチャル・コミュニケーション一辺倒の危うさとは一線を画す「60代からのフェイスブック」だとおっしゃってるわけね。

FBは、ベトナムにいるアタクシの天敵(たまーに帰ってくると、オラ、そこどけってソファから追い出すのよ)みたいに、普段容易に会うことのできない国境を越えた友人と付き合う人たちにはもってこいのツールよね。

それから何よりも去年の震災みたいな非常事態には、本当に威力を発揮すると思うわ。

あ、そうそう。

にしじまクリニックのFBページもスタートしたんですのよ。
皆様、おヒマがあったらのぞいてやってくださいませね。
FBページはアカウント無しでも見られるんですのよ。

それではみなさま、ごきげんよう。

by メグ




自宅、奴隷になったイギリス人の物語、Help [マイハーベスト]

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竣工以来敷きっぱなしだったダイニングとリビングの麻のカーペットの裏側が、劣化して粉が吹いてきたので撤去。
12年ぶりに本来の床がむき出しになって、木材が秋の日差しを浴びて深呼吸をしているようだ。

「読書の秋」「芸術の秋」「スポーツの秋」。

標語のように刷り込まれた秋の三大形容詞のせいか、何かちょっと知的に忙しくしていたいのがこの季節である。

季節にふさわしいかどうかは別として、まるでオセロがひっくり返っていくような二作品を。

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(カバー写真Amazonから拝借)
「奴隷になったイギリス人の物語〜イスラムに囚われた100万人の白人奴隷〜」(ジャイルズ・ミルトン著/仙名紀訳/アスペクト)

話は、17〜18世紀、ヨーロッパの大国がアフリカから黒人を北米に送っては売買していたほぼ同時期、イギリス南部の海岸地域から100万人ものイギリス人が拉致され、モロッコの北部沿岸のイスラム教徒のもとで奴隷生活を送っていたという「誰も知らないアフリカ」である。

筆者がもとにしているのは、実際に貿易船の乗組員で20年以上も残忍きわまりないスルタン、ムーレイ・イスマイルのもとで悲惨な奴隷生活を送った後、脱出に成功したトマス・ペローの生涯。

この逆の(ヨーロッパ人がアフリカ人を奴隷にした)ケースはあまりにも知られた史実なのに、なぜこの部分は歴史学のスポットが当たらなかったのだろうか。
まずはその裏腹というか、対比に驚愕する。

イギリスが、アフリカ人を北米に連れて行き売買するもう一方の手で、自国民の奴隷をスルタンに渡す多額の金で買い戻すような矛盾をどう考えていたのかという真っ当な疑問は、こういう歴史や国家間の闇にいくら投げかけても愚かしいばかりだということは承知である。
それほど人権への意識は、永い時間をかけて今日ようやく確立されてきたものなのだろうし。

オセロの裏側は、
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「ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜」(テイト・テイラー監督/エマ・ストーン主演/2011年)である。

1960年代のアメリカ南部。
黒人のメイド(ヘルプ)を差別する白人上流社会に疑問を抱く作家志望のスキータ(エマ・ストーン)は、メイドたちの心の叫びを結集させて既に奴隷解放に向かっていた北部社会や議会に訴えようと、彼女たちに取材を申し込むが、報復や失職を恐れるメイドたちはなかなか協力してくれない。

白人と黒人という対比と重みは、正直日本人にはピンと来ない。
平等は「読書の秋」同様、我々にとっては刷り込まれた観念で、戦いで勝ち取ったものでも、身を切ったものでもない。

どちらが表でどちらが裏なのか。
真横から見ればオセロの両面は全く同じ体積なのに。





ふじみ野、サザビーズ [マイハーベスト]

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塗り替えたばかりの極上の白がまぶしいクリニック。
一年を通しても、こんなbeautiful dayはそうそう無いんじゃないかというような秋晴れである。

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建物の裏手では、クリニックのエクステリアを一手に管理するハシモトさんが、芝生の手入れに余念がない。
「写真撮っていいですか」とリクエストすると、「おう、帽子脱いだ方がいいかな」と気前良く麦わら帽子をかなぐり捨ててくれた。(・・・が、その下にも帽子があった・・・・)

ハシモトさん、いつもありがとうございます。ゴールデン・ティースがまぶしいです・・・・

今日は仕事に出られたが、このところちょっとオーバーワーク気味で、土曜には私にとっての黄信号である偏頭痛の発作もあったので、2晩ほど夫より早寝させてもらい、ベッドの中で仕事と全く無関係の本を読む。

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「サザビーズ」(石坂泰章/講談社)

著者の肩書きは、株式会社サザビーズジャパン代表取締役。
いわずと知れたイギリスの世界的アート・オークション・カンパニー、サザビーズの日本法人の筆頭である。

さて、美術品オークションというイベントそのものが日本ではあまり馴染みがないが、実は世界の美術オークションのシェアの95%を占めるサザビーズとクリスティーズのそれに、それぞれ1回ずつ参加したことがある。

とは言っても、私の場合は何千万、何億というお金が動く絵画や美術品ではなく、コレクションしている鼻煙壷という小さなスナッフ・ボトルのオークションで、台湾の骨董商に代理で競り落としてもらっただけで、金額もごく些細なものである。
それでも前もって送られてくる図鑑のように立派なカタログに載っている気に入った品が、エスティメイト(オークション会社が鑑定して評価した価格)に出来るだけ近い値段で自分の手元にやって来るのは、ハッピーな気持ちになるものである。

本著はもちろんそんなささやかな話ではなく、億単位の美術品が、価値と逸話と共にどのように人から人へ渡っていくのか、その仲介をする仕事の面白さ、醍醐味が満載されている。

と同時に、「なぜGDP3位の日本で、美術品市場あるいはオークションが発達しないのか」という謎にも何度も触れられていて興味深い。

絵を飾る広い家が無いから、とか、そもそも新進作家の絵を買い取って育てるパトロン的な文化が無いから、とかいろいろ理由はあるらしいが、一番頷けるのは「絵を楽しむことと金銭の話は切り離したい」という日本独特の美学といおうか精神論が根底にあるという見方である。

絵や美術品は美術館で観るもので、個人で所有するものではないという日本では一般的な考えを、時にはこんな職業の方から眺めてみるのも時には面白いし、なんか仕事でへたれたなと思う時に、全然違う世界のことを考えてみるのは良薬だと思う。





自宅、K [マイハーベスト]

通常診療を続けながら、改装工事の最後の締めの調整に走る。

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先に出勤した夫は新しい家具を見て、あれがダメだ、ここがまずい、とクレームで満ち満ちた電話をよこす。

だから最初に相談してんだろーがっ!!

怒り怒髪天を衝く。

工事を計画し、資金を調達し、アイミツをとり、業者を決定し、手配をする。
インテリアのデザインを考え、デザイン事務所に依頼し、家具を調達する。
孤軍奮闘である。

そこを飛び越して結果だけを批評するのは、そりゃー容易いさ。

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朝から飛び回って、あっという間に日が暮れる。

私はまだ帰れない。

本当なら読み終わったその日に生々しい読後感を書きたいのだが、そんなこんなで、この本を読み終えてから1週間があっという間に過ぎてしまった。

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「K」(三木卓/講談社)

同じ詩人同士の妻に先立たれた静かな悲しみが、感情の起伏を押さえて、ひたひたと満ちてくる佳作である。

しかし、その妻は、決して筆者に賢く寄り添っていた訳でもなく、万人から尊敬されるような人格者でもなく、浪費癖があり、夫を何十年も自分から遠ざけて別居を強いるような、良妻賢母のカテゴリーからも、世間一般の常識からも、遠くかけ離れた女性である。

筆者はただその指示に粛々と従い、家計のために別居の中でも精力的に執筆し、その報酬を無条件で妻に手渡し続ける。
自分は、彼女がいて欲しい時にだけ必要で、それ以外のほとんどの時間は不必要な存在なのだということも知っている。

そして、彼女を看取る瞬間、ようやく40年以上の結婚生活の中で最も自分が必要とされている時が来たと思うのである。

これは、男の静かで悲しみに満ちた勝利の咆哮である。
男は、自分をずっと支配下に置き、翻弄してきた妻へ、かくも深き慈愛のまなざしを注げるのである。

妻に先立たれた男の寂しさは、誰もが言い、書き、従ってその類いの本は無数に近く存在する。

朝から不満たらたらの夫よ。
よく聞きなさい。

その逆は、あんまり無いわよ。



軽井沢、クリスマス・ストーリー/ロバと王女 [マイハーベスト]

なぜか、カトリーヌ・ドヌーヴである。

高校生のころだったか。
「シェルブールの雨傘」を観て、あ、日本勝てないわ、と思ったんである。
その映画の芸術性もさることながら、こんなきれいな人がいる国ってどんなだろうと思ったのだと思う。

週末は、夫と共にまた軽井沢。

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アロマキャンドルに灯をともし、床暖房を入れる。
ここから山荘終いの11月末までが、私の最も愛する山荘ライフである。

本やDVDに埋もれて、ホットブランデーだのシナモンティーだのを傍らに、夫と私は膝掛けにくるまりながら思い思いの週末に没頭する。

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夫は展開が早いハリウッド映画や邦画のファン。
(「ヘア・スプレー」を観ています)

とろりと叙情性がとろけ出すようなフランス映画を私が見出すと、画面の前から離れていく。

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「ロバと王女」(1970年フランス/J・ドゥミ監督/カトリーヌ・ドヌーヴ主演)

カトリーヌ・ドヌーヴが最も美しかった頃(多分25歳頃)の一作と名高い映画で、何年か前に再リリースされたものだ。
シャルル・ペローの童話に題材を取った40年前の作品なので、背景やストーリー展開はそれなりに古びているのだが、彼女の輝くような美しさで、今観ても最後まで引っ張っていけてるという感じがする。

ただ王女が家出しようとした原因は実父王からの求婚を逃れるためという半道徳的要因もあり、そもそも童話として適切なんだろうか。

かたや、4年前に制作された「クリスマス・ストーリー」(2008年フランス/アルノー・デプレシャン監督/カトリーヌ・ドヌーヴ主演)
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「ロバと王女」で際立っていた芸術的ともいえる彼女のフェイスラインは、年齢という名の貫禄に消され、折れそうだったウェストは幾重のドレープに覆われているが、そこは大女優ドヌーヴ、太り方すらゴージャスで色っぽい。
ヘプバーンが年齢を重ねて、さらに細くなって女っぽさを完全に消し去ったのと好対照である。

小さな町の工場主の妻として4人の子どもを育て上げてみれば、それぞれがいろんな思いや問題を抱えてそれぞれの人生を生きているものだ。
クリスマスと自分の病気にかこつけて家族全員を呼び集めてみれば、別々に暮らしていたがゆえに沈静化していた昔のしがらみが、止まっていた時計の針を動き出させ、噴出する。

今やいい大人である息子や娘の泣く喚くの大騒動を、じっと眺めつつ自分のスタンスを崩さないゴッド・マザーがハマリ役だ。

子供たちの不倫も裁判沙汰も、そして自らの骨髄移植さえも、重厚なマダムにとっては人生のお飾りでしかない。

この再リリースが話題になった時の会見で、彼女はこう語っていた。

「私の人生で(私自身が他人の)お飾りだったことなんて一度も無いわ」

ひゃー、死ぬまでに一度は言ってみたい、このセリフ。



軽井沢、クィーン [マイハーベスト]

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気軽ければ病軽し。

I'm sharing Susan's feeling.

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?????

今回は無理矢理夫にねじ込んだわずか3泊の山荘滞在なのに、欲張って本5冊、雑誌3冊、レンタルDVD2本(どう考えても全踏破は無理でしょう)を持ち込むが、夫のカエレコールによりあえなく本4冊とDVD1本を未遂で残すことになり、残念無念。

鑑賞した1本のDVDは、ある意味究極のセレブ嫁姑バトルである。

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「クィーン」(2006年/ヘレン・ミレン主演/スティーヴン・フリアーズ監督/ピーター・モーガン脚本)

しかも「ヨメ」は、自分の息子の歪んだ愛ゆえ子どもを置いて婚家を追い出された若く美しい世界のミューズ、しかも薄命である。
これはどう考えても姑の負けである。

しかし、この姑、ただ者ではない。
大英帝国のクイーンだったからである。

1997年8月31日。

スコットランドのバルモラル城で夏期休暇中の女王一家のもとへ、ダイアナ元皇太子妃の事故死のニュースが飛び込んでくる。

「厄介なヨメが、またとんだことを・・・・」

庶民レベルならこう出てしまうはず。

しかし、そこは世界一のセレブ、「ダイアナはもう王室を去った身、我々は静観することしかできません」と威厳たっぷりにピシャリ。
言い換えれば、イギリス王室はダイアナの死に関して何もしませんよ、ということ。

正論のような気もするが、ここはせめて大人になって「謹んでお悔やみ申し上げます」ぐらい言っときゃよかった。

あの1週間、この極東の国の一市民たる私だって、なぜ女王は出て来ないの?と不思議だったもん。

さー、イギリス国民は怒った。

イジワル姑!!(・・・と言ったかどうかは不明)
ダイアナがきれいで人気があるからやっかんでいるんだろー!(・・・と多分いや絶対英語で言っている)
離婚だって悪いのは王室の方じゃないか!(・・・How do I say in English?)

果ては、王室が事故車に細工して謀殺したとまでささやかれたのを覚えている。

非難のうねりを前に、若き革新のリーダー、トニー・ブレア首相の諌言により、25歳で即位してからずっと、重厚な歴史に裏打ちされた国家を自らの意志で治めてきた自負を曲げて、世論に屈する形でダイアナの喪に服する女王。

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(ダイアナ妃の葬儀が行われたウェストミンスター寺院)

マスコミに屈しなければならなかった屈辱、当主の孤独。
非難渦巻く市井の中で、「これは(ダイアナではなく)あなたに」と少女から花束が差し出される場面では、思わず(私が)落涙する。

常に女王に寄り添い、No.1サポーターのフィリップ殿下、厳しいママと世論の板挟みになってオタオタするチャールズ皇太子を含めた王室一家のプライベートな光景が、びっくりするほど一般家庭っぽくて微笑ましい。

「犬たちっ!」という女王の号令一発、「はいはいはい!」とばかりに走り出てきて散歩の足下に寄り添うSusanの子孫のコーギーたちが、いつもながら心和む風景の脇役だ。
(女王様だろうが、イジワル姑だろうが、犬さえ飼ってりゃ私にとってはいいヒトなのだ)

今年、華やかなダイヤモンド・ジュビリーの式典や、ロンドンオリンピックでヘリから飛び降りたピンクのスーツ姿の女王は、記憶に新しい。
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女王は完璧に国民のベストアイドルに見事返り咲いたのだ。





軽井沢、母の遺産 [マイハーベスト]

「思ったほど涼しくはないわよ」とiPhoneの向こうの夫に告げた直後に、むき出しの二の腕に這い上がってくる冷気に震え上がり、昨晩はクローゼットから引っ張り出した羽毛布団を二重にして眠る。

相変わらず残暑がぐだぐだと居座っている首都圏を後にして訪れた今年4度目の軽井沢は、たった3週間のうちにすっかり夏の避暑地の陽気さを脱ぎ捨てて、凛とした秋の気配を漂わせている。

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厚い靴下をはき、パイルのパーカーを着込み、アロマキャンドルと午後早くから舐め始めたロックのコニャックで時折ことっと意識を途切れさせながら、決して薄くはない本を一日で読み切る。

なんと贅沢な一日の使い方だろうと自己満足する。
猛暑の埼玉でいつも通り診療にあたっている夫には、心の中で何度も謝っておく。

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「Aujourd'hui, maman est morteー今日、母が死んだ」

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「母の遺産ー新聞小説ー」(水村美苗/中央公論新社)

この本が、母の死を題材にしたどの本とも違っているのは、カミユの「異邦人」の書き出しのこの言葉を、主人公がずっとずっと口にしたいと待ち望んでいたと平然と吐露することである。

多くの人が書評で「これは自分のことではないか」と思った、と書いていることから、私も自分があの時感じた静かな安堵感が決して異常なものではなかったと思い知るのである。

『老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか。・・・・・・・娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛、自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。』

この本に出てくる「ママ」とは正反対で、母は女としての贅沢や我が儘を一切削ぎ落した人生を送ってきたので、私はそれを尊敬していたし、母も「あの子の言うことだけは間違いがない」と頼りにしてくれ、私たち母娘は本当に良好な関係だったと思う。
悪役はこの本とこれまた正反対でいつも父の方であった。

それでも母の晩年では、93歳という年齢に抗えずに発現してきた認知症の初期症状である被害妄想が、常に知性で自分を制してきた彼女を一変させてしまった。
最後の半年ほどは、これまでの彼女の経験則や信念が、湧き上る黒雲のように脳を蝕んでいく病変に絡めとられていく恐怖を、母自身が感じているのがよく分かった。

西日が真っ向から照りつける常磐高速を埼玉に向かって戻りながら、いっそ恐怖を感じないまで呆けてしまった方が、私も母もどんなに楽だろうと何度思ったことか。

しかし、もう洗い方すら分からないのに、下着だけは自分で洗うから(お洗濯サービスに)渡しません、と、わずかな信念の芯をこちらの世界につなぎ止めた状態のまま、母の肉体はあちらの世界へ旅立っていった。
母の苦痛には、すんでのところで終止符が打たれたのだ、と思う。

著書は、贅沢で我が儘な母親の死に安堵する50代娘の精神的・身体的周辺を、饒舌な文章で分厚く書き切り、見事である。

後半、母の死後、主人公が逗留する箱根のホテルでは、アガサ・クリスティばりのミステリー仕掛けも用意されているが、私には、主人公姉妹が「やっと逝ってくれた」と母の死を喜び合うまでの前半がなんとも衝撃的で胸を突かれた。
ともすると安っぽく下世話になりそうな夫婦間や50女の問題を、姉妹の会話という形であけすけに暴露しつつも品を失わないところに、著者の力量と知力を感じる。

姉妹とは、かくも露骨でかくも共鳴性を持つ存在なのか。

一人で母の死に向き合い、自分の感覚にずっと後ろめたさを感じていた私には、それがただ羨ましい。









自宅、素数夜曲 [マイハーベスト]

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蒸し暑いけれど、待望の雨の後の高いクリアな空。
気がつくと、いつの間にか傍に寄り添っていてくれるのが秋の気配だ。

紫外線アレルギーのせいで、日曜は一日家に籠って過ごす。
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「お義姉さん、それ、厄年よ。どこでもいいから近くの神社へ行ってお祓いしてもらって」

症状を聞いた義妹が、電話の向こうで畳み掛ける。

テニスのやり過ぎで今回と同じ紫外線アレルギーが出たのが35歳の時だった。
やっぱり同じマンションの友達に、引きずるように川崎大師に連れて行かれた。

「女の厄年は7の倍数、男の厄年は8の倍数」と何かのCFがTVで流れた時、夫と「じゃあ、56歳はどっちも厄年なんだね」とバカ言い合ったのはつい2、3ヶ月前。
迷信・スピリチュアル度数限りなくゼロに近いが、こうもピッタリ当てはまると、母が亡くなった今年何かがあるかも、いや、もうあった、と激しく動揺する。

去年56歳だった夫にとっては何が厄だったか(震災か)分からないが、男女の最小公倍数、侮れん。

ここ数年あり得なかった読書の挫折感を味わったのもその一環かも知れないなんて、そして己の理解力、忍耐力の欠如をその上に乗っけるなんて、厄年ってのこと?!

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「素数夜曲〜女王陛下のLISP〜」(吉田武著/東海大学出版会)

なんて素敵な題名だろう、と書評を読んで感動し、中学校の因数分解で自分の頭脳も空中分解させた後、8回目の厄年が巡りくるまでの人生において、一度も関係修復できていない数学にお友達リクエストするつもりで手に入れてみたが、最初の数ページを読むのに2週間を要し(どんなに長い小説でも最長1週間で一冊をルーティンにしている)、挫折した本である。

数学はついぞ私に承認をくれなかったのだ。

母校で教鞭を執られていた「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦先生を敬愛し、生前「数学ほど面白く美しいものはない」と言っていた母が、自分の血を引かない娘にどんなに落胆していただろうと想像するが、自分でもこんなに脳の数学的分野が欠損しているとは思わなかった。

1と自分以外に約数を持たない自然数である素数が、無限に続いていく数列の中に不規則に出現する。
その数列の美しさに魅入られて、幾人もの天才が不規則性を規則付けようといろんな方法でトライしたようだ。
藤原先生の著書によく出てくるが何のことやらさっぱり見当がつかなかった「フェルマー予想」(現在は解決済み)も、おお、ここにおられたのかという感じである。

そこまでは分かった(・・・違っているかも知れない)

残念ながら「ワタシ、文系」と人生を言い訳してきた頭脳はここまでで、巻末の素数表を眺めながら、厄年という棚またはエクスキューズの上にそっとこの本を置く。

今年は8回目の厄年ということでいいのだろうか。

7は素数で、素数表で見ると私のこれまでの人生に、素数の年は16回出現している。
7の倍数が厄年なら、素数の年にだって何か共通の出来事があったかも知れない。

厄年っていうのも、結局そういうことなんじゃないか。
突出した人生の出来事に共通の最大公約数を探したら、7や8が出てきたっていうような・・・・

もしも母が生きていたら、知能がこの程度な娘が、それでもこの本の数ページをめくった事を褒めてくれるだろうか? 

いや、どんなに嘆くことだろう。







自宅、犠牲(サクリファイス)〜わが息子・脳死の11日〜 [マイハーベスト]

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完璧に冷房病である。

軽井沢で3週間、自然な気温に身を任せていたので、24時間冷房漬けの生活が堪える。
足下が冷たく、肌がかさかさになり、29℃に設定してもパーカを着込まなければ寒くて仕方が無い。

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冷房を切ればいいのだろうが、厚き被毛に覆われたミナサン(トイプー3匹)のためにそれができない。
身体が酸化してぼろぼろになりそうなので、ハニービネガーを熱々のお湯で割り、ひたすら飲む。

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さて、母が逝ったこの夏、身内を失った人たちが書いた本を何冊か読んだ。

多いのは伴侶、特に妻に先立たれた手記で、愛憎を含め感情が迸る。
また親の死は、順序としての正しさ、寿命という考え方、本人の人生の達成度によって折り合いを付けられるところに救いがある。
しかし、どんな知力をもってしても、どんな理屈をもってしても、納得も表現もエクスキューズもかなわないのが子供との別離である。

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「犠牲(サクリファイス)〜わが息子・脳死の11日〜」(柳田邦男/文春文庫)

大方の本と本著が際立って異なるのは、自死を選んだ息子の死に際を凝視し、記録し、ノンフィクション作家である筆者なりの結論を導き出すというあまりにも冷静すぎる過程を経て、我が子との別離に折り合いをつけている点である。

そして突然前触れも無く旅立ってしまった母とも決定的に違うのは、生と死の狭間にある脳死という「時間」が残される者に与えられたことである。

脳死が是か非か、臓器移植医療のために無理矢理作られた定義かどうかという議論に対しては意見を言う立場に無い。

表題の訳「sacrifice」は、切望する願いを聞き入れてもらうために身を捧げる「生け贄」のことであり、筆者は、息子の死とその臓器提供というサクリファイスによって、生前心を病んで社会の役に立てないことに絶望していた次男が救われるのだという結論に、脳死という時間を使って到達する。

それはとりもなおさず、すでに意識の無い次男が救われるのではなく、残された筆者や家族がそう思う事によって、自分たち自身が救われるために導き出された論理であることに気付かなければならない。

私が読んできた本は、方法こそ違え、すべて「二人称の死」(一人称の死は自分の死、三人称の死は第三者の死、一番辛いのが二人称の親、子供の死だと筆者は位置づけている)を自分が受け入れるためのあまりにも遠く、困難な道のりの軌跡である。

文学、宗教、哲学、科学など、人間が生み出したあらゆる論理は、愛する者との抗えない死という別れを正当化し、自分をねじ伏せて納得させるために存在するのだとさえ思えてくる。



軽井沢日記、ミラノ、愛に生きる [マイハーベスト]

今年はジルサンダーが絶対可愛い!

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(ジルサンダー2012秋冬コレクションから)

8月に入ると、酷暑と戦いながらも秋冬のファッションが気になる。
それまで夏バテ気味でユルかったファッション雑誌たちが、俄然色めき立つのもこの時期である。

普段パラパラとめくる暇しかないファッション雑誌を数冊買い込んで山荘に籠もり、この時期わんさと送られて来るカタログと見比べつつじっくりと眺め、にわかドン小西となる。

ジルサンダーは、ラフ・シモンズ最後のコレクションで、ヘンにガーリーにならないピンクがいい。

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「ミラノ、愛に生きる」(ルカ・グァダニーノ監督/ティルダ・スウィントン主演)は、そのラフ・シモンズがこの映画のためにデザインした衣装が、ミラノの背景に際立つクラッシィな映像が評判を呼んだ作品。

53歳で妊娠して話題を呼んだ坂上みきさんが、文春だか新潮だかの評論で熱に浮かされたように絶賛していたので、DVD化を待ってすぐさま手に入れたものだ。
満を持して山荘に持ち込み、クォーターサイズのシャンパンをお供に鑑賞。

う〜ん。

映像は確かにジルサンダーの雰囲気とスタイリッシュな豪邸のインテリアが絶妙なコントラストを醸し出し、ドイツのモダンオペラの舞台を見ているような上質なゴージャス感があり、ただただ、美しい。
ティルダ・スィントンの油っこさのないスレンダーな体つきにぴったり寄り添い、装飾を一切削ぎ落したフォルムで見る者を圧倒する、ラフ・シモンズの知的でグレイッシュなセンスは、オープニングのモノトーンの雪景色と重なり、家業と子育てを成功させた深みのある世代の女性からきっと絶大な支持を得るであろうと思わせる。

いっそ彼のPVならよかった。

栄華を誇った家業が時代とともに移り変わっていく中で、3人の子供を育て上げた美しいミラノマダムが成功を夢見る若い男と恋に落ちる。
あり得なくはない、というか、非常によくあるストーリーである。

お相手がシェフなので、料理の画像もスタイリッシュで楽しめる。
料理がストーリーの展開に絡む工夫も評価しよう。

ただ、あまりにも二人が唐突に恋に落ちるので面食らう。
息子の親友と恋に落ちるなら、私も思わず現実をいろいろ見渡してしまった(!)が、もっと複雑な心のひだの奥を描いてほしかったように思う。

ラストも、マダムがドレスを脱ぎ捨てていきなりトレーナー姿になって終わるので(まあ、裕福な生活を捨てるという暗示なんだろうが)、ぎょっとしさえする。

シャンパンの泡がひとつ、ふたつ。

この美しい映像を世に出すために、このストーリーはどうしても必要だったのだろうか?

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軽井沢日記、旅する哲学 [マイハーベスト]

暑い。

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奮発したダイソンがようやく日の目を見る。

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インスリン注射で「生かされている」クロのだるさはいかばかりかと思う。

今回山荘に戻ってからずっとぐずついた天気で肌寒かったが、一転輝くような晴天に恵まれる。

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大喜びの大ハッスルで、たまった洗濯物をすべてデッキに広げる。
その下で優雅な朝食をとるはずのパラソルなんぞはお蔵入りである。

滞在が長くなるにつれて、避暑、リゾートといった色合いが薄れて、だんだん生活が日常の手あかにまみれていくのは致し方あるまい。

午前中は、父が出来なくて放り投げた遺族年金請求の代行事務に終始する。

母は自分の生涯を父や私の世話にならずに全うしただけでなく、いくばくかの貯蓄資産を残してもいる。
公立高校の教師を40年間勤め上げたので、今や批判の的の公務員年金をこういう形で、ずっと意識の上で彼女を支配し続けてきた父に残してもいる。
あっぱれな女性である。
(誤解の無いように付け加えれば、遺族年金とは、遺族が自分の年金をもらっている場合多い方を選択できるという選択肢を与えるだけであり、決して二重に受給できる訳ではない)

しかし、お役所相手の手続きは、煩雑で融通が利かなくてダサい。
私ですら頭の中で何度も反芻しながら解読しなければならないようなこの手続きを、大方は老齢で亡くなった人と同じくらいの年であろう遺族が完遂できるとは到底思えないのに、長女が代行するとなればそのまた2倍くらいのステップが必要なのである。
(それもあちこちに電話してようやく分かるのである)

リアリティの最たる具現のこの仕事の後は、山積みの仕事の宿題を脇に置いて、一旦本の世界にリトリートする。

そこは極上のエキゾシズムの世界である。

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「旅する哲学」(アラン・ド・ボトン著/安引宏訳/集英社)

人はどうして旅に出るのだろうか。

とっくに解明されていなければならないはずのこの問いに、自分の道行きと先駆者のナビゲイトを絡めて思索する、なんともソフィスティケイテッドな手法のなじみやすい哲学本である。

例えば、せっかく12時間以上のフライトの末に行き着いた魅力満載の異国で、一人ホテルのミニバーのビールを飲んでポテトチップスだけの夕食を摂る。
ガイドブックはあそこの名所に行け、ここのレストランが有名だ、と喚き立てるが、そことの温度差に戸惑う自分を、レースのかかったフランス窓の外からじっと見つめているもう一人の自分。

そして何度か自問したことがある様々な旅の問いが湧き上る。

なぜ、ここに来たのだろうか?
あんなにプランを立てるときは楽しかったのに。

この旅で自分が得て帰らなければならないものは何なのだろうか?

何をもってガイドブックのテンションまで自分を引っ張り上げればいいのだろうか?

この本は、そんな逡巡する旅の一見ネガティブな瞬間こそが哲学への入り口だと暗示し、偉人たちのナビゲートによって導き出された答えを用意してくれる。

例えば、

多くの人を旅へと駆り立てるエキゾシズムとは何か?
・・・母国が渇望しているもの。

なぜ、旅の途中で写真を撮ったり、土産を買ったりするのか。
・・・人間が本来持っている、美しいものを所有したいという欲望ゆえ。

これらはフロベールの、母国とは生まれたところではなく自分が惹かれた国を自分で決めるもの、ラスキンの、カメラは「見ること」と「意識してみること」、「理解すること」と「所有すること」の区別を曖昧にする、という結論に繋がっていく。

その思想を導く錚々たる顔ぶれのガイド役の旅の軌跡も、読んでいて実に楽しい。

ああ、また旅に出たくなってきた。





軽井沢日記、ハウス・オブ・ヤマナカ〜東洋の至宝を欧米に売った美術商〜 [マイハーベスト]

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客人は帰京し、夫も仕事のため、慌ただしく新幹線で帰って行った。
軽井沢は天気がぐずついて身体もだるく、本日は再び引き蘢って本を1冊読み上げることにする。

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ガラ空きのNail Barでしてもらったジェルネイルが、まだ今週いっぱいは休みだぞという気分を醸し出す。

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「ハウス・オブ・ヤマナカ〜東洋の至宝を欧米に売った美術商〜」(朽木ゆり子著/新潮社)

19世紀末にニューヨークへ進出し、20世紀の半ばにかけて激動の日米関係に揺さぶられた美術貿易商山中商会の軌跡を、丹念に少ない資料を掘り起こしながら辿る労作である。

幕末から代々大阪や京都で古美術商を営んで来た山中家は、ロンドン、フィラデルフィアの万博で高く評価された日本の美術工芸品へのジャパン・クレーズ(日本熱)に踊るアメリカに勝算ありと見てニューヨークへ進出する。
1894年(明治27年)のことである。

山中商会は五番街に豪華な店を構え、日本から大量の美術品や工芸品をアメリカに運び入れて、ロックフェラーやフリーアなどの大富豪や美術館相手に約50年の間スケールの大きな商いをするが、第二次世界大戦が始まり敵国資産管理人局の清算事業により解体される。

このような美術商が日本の美術品を海外へ流出させたとの批判はさておき、まずは個人で膨大かつ高額な美術品をコレクションする数々のアメリカ富豪とヤマナカ・カンパニーの対等な渡り合いが圧巻である。
筆者も海外流出を批判する立場には立っておらず、日本の美術品の価値を最初に見いだしたのが外国人であったからこのような美術商が存在したのだという冷静な結果論に終始している。

ボストンやメトロポリタンといった錚々たる美術館のコレクションに意見を言えるだけの豊富な専門知識を持った彼らは、大前提に商業的な意図があったにせよ、今のように交通網が発達していなかった時代に美術品を大胆に移動させ、日本の文化を欧米に広め、高める役割を十分に果たしたと言える。

ちなみにロンドン支店長が、戦火でコレクションが焼失するのを恐れたパリ在住の浮世絵の大規模な蒐集家から、神戸川崎造船所社長松方幸次郎の命を受けてコレクションを買い取り、約8000枚の浮世絵が戦火の中ドーヴァー海峡を越えたエピソードは、彼ら美術商が輸出だけでなく、日本への美術品の「里帰り」にも大きな役割を果たしていたことを物語る。(現東京国立博物館所蔵:松方コレクション)

普段見ることも考えることもあまり無い美術品の流通の意味を、本著を通して二つの角度から俯瞰してみるのも面白いし、大戦前夜ロンドンやニューヨークの店の責任者たちが自らの死を覚悟しつつも所蔵する美術品の行方を必死で模索するくだりは、はらはらする映画を観るようである。






軽井沢日記、マッチポイント [マイハーベスト]

昨日一日は洗濯も掃除も出来ない不安定な天気で、夜になれば毛布にくるまっても歯がガタツくほど寒かったが、今日は一転、湿度の低い、雨が暑さを洗い流した後の清々しい朝を迎える。

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パンと紅茶だけの遅い朝食はテラスで。

仕事との縁を絶った誰にも邪魔されない生活は、油断すればどこまでも自己本位にだらけていってしまい、社会と接することさえ排除してしまう危険な生活と表裏一体である。
実際、自分とは全く縁が無いと思っていた引きこもりという状態の淵さえ見る気がすることがある。

だから「勉強は朝の涼しいうちにやりなさい」と叩き込まれた小学生のなつやすみのけいかくどおり、お昼までの涼しい時間はJohnny やMartinから出されたノルマを必死こいてやり、果物と素麺程度の軽いランチの後は本を読む時間にあて、4時近くなって少し気温が下がって来たら買い出しや近所の小さな美術館にぷらりと散歩に出たりする生活を、規則正しく繰り返す。

小学生の夏休みとちょっと違うのは、夕方明るいうちにひとっ風呂浴びた後、最大のお楽しみのシャンパンかビールに酔いしれる極上のマジックアワーが待っていることである。
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Anyways・・・・

Johnnyの宿題は昨日で仕上げてメールで送ったので、今日は先週のMartinとのレッスンのレコーディングを聞き返し、自分の間違いを拾って文字に書き起す作業に取りかかる。

しかし何度やっても、この自分の会話を聞き直すという作業は本当にしんどいもんである。
文章として考えればどう考えてもそれはねーだろっていう己の会話や、ごまかしている(つもりはないのだが)笑いや、妙にシーンとした間を、ダイレクトに自分に聞かせなければならないのだから。

とてもじゃないが、40分ずつの2レッスンを続けて聞く体力が無く、折り返し地点のショートブレイクのつもりで見始めてしまったDVDにハマる。

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「マッチポイント」(監督:ウディ・アレン/主演:スカーレット・ヨハンソン)

2005年、NYとスタンダード・ジャズを使い続けたウディ・アレンが初めてロンドンとオペラ楽曲にシフトチェンジして撮った作品。
背景にテート・モダンや30セント・メリー・アクス、ビッグベンなど、ロンドンの観光名所がてんこ盛られ、先日のオリンピックのマラソンコースと共に、英国政府観光局のPVじゃないかと勘ぐりたくなるくらいの大サービスである。

ある意味、期せずしてタイムリーな鑑賞である。

オペラの楽曲がBGMに使われているのと筋書きの三文オペラっぽさの一致は、監督の狙った故意路線なのか、シニカルなギャグなのか、そこんところが判別できず。

但し、アメリカの資本主義で成り上がったイマドキの億万長者なんかへったくれの、長い歴史に裏打ちされたイギリスの上流階級の生活や特権意識は、映像と脚本で楽しめる。
そして無階級の移民たちがそこに入り込もうとするには、やっぱりこれしかないのね、という妙な納得感もあり。

スカーレット・ヨハンソンはハマリ役で、後半になるにつれて俄然本領発揮。

しかし、いくらウィンブルドンのお膝元で撮影するからって、テーマをテニスのレット(ボールがネットに触れてエリアに入った時、サービスをやり直すこと)やマッチポイントに絡める必要があったのかという疑問はかなり尾を引く。


軽井沢日記、はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある [マイハーベスト]

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皆さん、「崖っぷち犬」て覚えてますか・・・

べっちゃん!目が遠い、遠いってば!!

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母が生前、「ほんとにこの子はほっこりといい色ねえ」と口癖のように言っていた毛並みは、人間で言えばその母に近い年になった今でも健在である。

メグがMeg Ryanのブロンドなら、こちらはRichard Gereのロマンス・グレーである。
(飼い主の欲目100%)

もうさすがに心臓が弱っているので無理をさせないようにと獣医さんには言われており、散歩もしなくなったけど、山荘のデッキをゆっくりと歩く姿は、余生を誰にも邪魔されたくない気難しい老文学者の風体である。

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ここ数年、軽井沢も日中の最高気温が30℃に近い日が何日かある。
昼食後の2、3時間が、さすがに森の中でも何にも無しでは被毛をまとったミナサン達にツラそうな日があり、ついにダイソンのファンをネットで買って届けてもらう。

ちょっぴり敗北感である。

そんな午後は、浅野屋までパンを買いに行くのすら億劫になり、ひたすら山荘に籠って宿題の英文を読み込むか、本の世界を彷徨うことにしている。

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「はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある」(宮田珠巳/本の雑誌社)

もしかしたらあるのかも知れない墨瓦蝋泥加(メガラニカ=昔、西洋において南半球にあると信じられていた大陸。古のいくつかの世界地図にも載ったが、結局そんなものは無かった・・・)を探して、流浪の旅に出る私の心。
かんかん照りのシャバから隔絶された山荘で寝転がって読むのに、これほどぴったりなタイトルが他にあろうか。

いわゆる読書の指南本やガイドブックは巷に数あれど、これは「もしかしたら有りそうだけれどでもやっぱり無いんじゃない」ジャンルを描いた”メガラニカ”本のコレクションという突出したユーモアが、他と一線を画す。

ここで紹介されている本は、自分の専門分野以外の本はムダだから読まない、という人類は一生出会うことも無ければ、出会おうともしない本たちである。
たとえ時間を潰して読んだとしても、結局無かったり、後世間違いだったと実証されたり、知らなくも生きるのに何の支障も無いような世界なのだから、実生活の役には立たない内容なのである。

しかし、それらは本当に「ムダ」なのだろうか?

もしかしたら有るかもしれない、というわくわくした好奇心を排除した人生は、なんと味気ないものだろう。
(そんなこと、オマエに気の毒がられるスジアイは無い、とおっしゃられるであろう)
もしかしたら無いかも知れない、その世界がトンでもないものであればあるほど、そこに遊ぶ想像力は研ぎすまされる。
(あくまで持論である)

ばっくり食いついたメガラニカな3冊を注文し終え、旅に出た心が戻って来る。


自宅、沈黙の春 [マイハーベスト]

専門書と実用書オンリーの夫とは、傾向が違いすぎて読書について話し合うことはあまり無い。
これは結構寂しいことだ。

ところが先日、読みかけの本があまりにショックだったので、白ワインが血流に溶けていくがままに、
「今読んでる『沈黙の春』って本にさー、」
と切り出すと、いつもならふーんと彼の鼻先で回れ右して帰ってくるベクトルが、
「それ、なんていう人が書いた?」
といきなりボールドになったので驚く。

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「沈黙の春」(レイチェル・カーソン/青樹簗一訳/新潮社)

本著は、動物学を専攻したレイチェル・ルイス・カーソン女史が1962年に出版した「Silent Spring」の全訳である。
私がちょうど小学校に上がる年、日本は除虫菊をコイル状にした「キンチョーの夏」の煙が各家の縁側に立ちのぼる、一見のどかな、しかし社会は高度成長のアクセルをグンと踏んで猛スピードでばく進していた頃である。

日本で「公害」「農薬禍」という言葉が騒がれ出したのはその10数年後、そのはるか以前からカーソン女史は、人間の生活を向上させるために開発された、例えば殺虫剤のような化学薬品の数々が、人間の快適さと引き換えに、小さく弱い動植物を殺傷し、それが食物連鎖を基盤とした地球の生命体のバランスやサイクルを破壊しつつあることに警鐘を鳴らし続けた。

夫は高校の化学の授業で、課題図書となっていたこの本を「読まされた」というのである。

それほどの”古典”でありながら、今の地球の現状にこの提言はピタリと当てはまるばかりか、放射能という地上最悪の汚染物質を拡散させてしまった今日の日本の心に鋭く突き刺さる。

土を汚し、罪の無い小動物を殺し、しいては人間の生命を脅かすのは、化学薬品や放射能そのものよりも、自分たちの豊かさや快適さだけを追い求めた他ならぬ人間の欲であることを忘れまい。

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9日早朝、一人突然旅立った母との別れに、庭にあふれるほどに咲き乱れたアナベルを両腕いっぱいに摘む。

庭いじりと白い花をこよなく愛した母にしてあげられることが、今はもう、これしかない。



自宅、アイアン・ハウス [マイハーベスト]

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オランダのアロマセラピスト、Willからメールをもらう。(右端の彼女である)
ロンドンのIFAカンファランスで知り合い、ビジネスカードを交換したんである。

カメラを持参していなかった彼女は、このブログを見て、写真を自分のFacebookやニュースメディアに使ってよいかと打診してきたのである。
彼女のHPを覗いてみると、オランダ語は読めないが、何となく英語に近いので内容がものすごく充実しているのが分かるような気がする。
http://www.dedragendenatuur.nl/

あの低気圧の中、オランダから大揺れのフェリーで19時間以上もかけて来て、カンファランスとワークショップだけ参加してすぐにトンボ帰りしたんである。
何だかチンタラと観光もしてしまった我が身を恥じつつオランダのアロマテラピー事情を聞くと、やはりイギリスやフランスのようなわけにはいかず、特に医療現場でアロマテラピーを行うのは難しいと、日本のそれと同じような問題を抱えているようだった。

飛行機は高いからとフェリーで来たのに、ワークショップを行った病院のファウンテン・センターにはちゃんとドネイションを残していき、彼女たちの志の高さというか、アロマテラピーへの情熱の濃さというか、そういうものを見せつけられたような気がする。

ロンドン滞在中も持ち歩いていた本は、久々のハードボイルドタッチのミステリである。

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「アイアン・ハウス」(ジョン・ハート/東野さやか訳/早川書房)

飛行機の重量制限完全無視の400グラムを携帯して、地球半周を往復したわけである。
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(ふつー、計るかなあ)

時間を持て余す機内でも、時差ボケで眠れぬ夜にも読んだけど、全く読み終わる気配の見えない分厚さ。

孤児院アイアン・ハウスで育った兄弟の弟は大富豪に引き取られ、兄はギャングの大親分に拾われる。
もう笑っちゃうくらい当たり前な設定であるが、その結末では意外な血筋が導き出される。

それでなくてもエクサイティングな海外には不向きでも、国内で有り余る時間を退屈せずに使い込みたい方には、是非。






自宅、八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅 [マイハーベスト]

一冊の本との出会いが、あまりにも劇的で、自分とつながった赤い糸が見える気がすることがある。

イギリスへ発つ2日前、「買い物しようと町まで出かけたが、財布を忘れて愉快なサザエさん」状態下の本屋で、この本の糸のしっぽを捕まえる。

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「八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅」(清川妙/小学館)

ぱらぱら立ち読みしているうちに、55歳でベルリッツに通い始めたことや、イギリスへのひとり旅がどんなに彼女の人生を豊かにしたかの記述を見つけて、もう他人事とは到底思えず、即座にレジに持って行こうとしたが、ランチ食べるお金も無いサバイバルな状況を思い出し、泣く泣く手ブラで帰宅してAmazon経由で手に入れる。

イギリスで飲んだ紅茶の味が消えないうちに、時差ボケで眠れない夜を利用して一気読みする。

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太陽が顔を見せないこの時期にヨーロッパから帰ると、ジェットラグが長引いてツライ。

筆者は53歳でふと思い立って英語の勉強を始め、自分の進歩のスピードに疑問を感じて55歳でベルリッツのマンツーマンレッスンを受け始める。

「レッスンは愉しかった。今から思えば五十五歳という歳は、なんと若く、未来をたっぷりはらんだ年齢だったことだろう」
というセンテンスに、真夜中の燈火の下で思わず涙ぐむ。

2年前にベルリッツに通い始めてから、特に英語必須の仕事や試験という目的も無く、決して安くはない学費と勉強に費やす時間が、浪費だと言われても仕方が無いというビハインドな気持ちがいつも私には付きまとっていた。
この先、この英語を私は何に使うのだろうか。
ただ、旅行がちょっと便利になるだけでいいのだろうか、と。

あとせめて10年若ければ、と何度後ろを振り返ったことだろう。

でも、筆者に言わせれば、55歳は「未来をたっぷりはらんだ年齢」なんである!
そんなこと言ってくれる人が今までいなかったのだ。

現実的な目的があるか無いかなんて、英語を勉強する資質には何の関係も無い。

「ていねいに、ひたすら、書くこと、読むこと、その間に旅することもはさんで生きてきたら、いつのまにかこの年になっていた」

そう!私はそういうふうに歳を取りたいの!

最初は目を合わせるのも厭だった外国の人と、少しずつ意思疎通ができるようになるおもしろさ。
その人たちの目を通して知る、新しい日本と外国の感じ方。
中、高、大学とさぼりまくった英文法の絡まった糸がほどける快感。
書いた文章を褒めてもらえる時の、学生時代にあったような得意な気持ち。

そんな他愛のない喜びを、私とこの筆者は共有している。
そして図らずも、今の私をこの本は肯定してくれている。

この本を、「英語学習方法を知るにはあまり役に立たなかった」と実践的に批評する向きもあるが、これはハウツー本ではない。
これは、何かを勉強することの楽しさに年齢は何の邪魔もしないこと、その勉強がどんなに日々を豊かにするものかを知った人が謙虚に語る人生の歩き方である。


がんばるぞー。








自宅、屋根裏プラハ [マイハーベスト]

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去年、バスルームの周りに植えたアナベルに、こんなにたくさん蕾が付いた。

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清々しい白いアジサイに囲まれたバスタイムを想像するだけで絶大な幸福感を覚えるが、開花時期がちょうど来週のロンドン滞在と重なりそうで、ここでもまた「春の心はのどけからまし」状態である。

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フィリップ・ジョンソンのタウンハウスをパクった水庭が、光の井戸として機能する季節になる。

海外ではどうなのか知らないが、日本じゃ建築家っていうとこジャレた職業に思える。
またこの写真家っていうのも、カッコイイ。

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「屋根裏プラハ」(田中長徳/新潮社)

還暦を超えた「あたし」は、史上最年少で個展を開催し、長年ウィーンやNYを拠点にして写真活動や研究、カメラ評論などに携わり、現在はプラハにアトリエを持ってトウキョウとの優雅な二重生活を楽しんでいる輩である。

なんか、このバックグラウンドを聞いただけで、カッコよくありません?

う〜ん。
一言で言っちゃうと、この本、カッコ良すぎてある意味、引くのである。

「あたし」はニコリテスリー7番地の、築90年近いエレベーターの無いアパートのペントハウスまでスーツケースを引っ張り上げ、『狭いキッチンで天然瓦斯のコンロに着火。そのブルーの炎の美しさに一秒だけ見とれる。佃のタワーマンションが持っていない宝だ。都市に恋するとはこういうことなのだ。』

うわー、こういうことっってどういうことだよ?
凡人の読者の頭の中は、身悶えするほどイマジネーションでいっぱいになる。

「あたし」は醜悪なツーリズムに翻弄されるトラベラーなんかではなく、ビロード革命を経て彼の国がどう変容したかも、プラハの月がどんなに青いかも知っている。
「あたし」のパスポートは“合冊”(査証欄がスタンプでいっぱいになり、2冊目を継ぎ足すこと)されて分厚く、たまに混載して送った写真集が粉砕したボヘミアの赤ワインで優雅な赤に染まってしまったヘマもやっちゃったりする。

しかし、そのヘマも、共産主義時代に西側列国の民として在住したスリルも、何もかも絵になる。
多分、それを本人も自覚していると思われる筆力である。

アメックスの機関誌のカメラマンであった旨の記述を見つけて、いかにも、と溜飲を下げる。
「Departures」というこの機関誌は、写真はもちろん、視点がたまらなくエグゼクティブで、読めば必ずその記述のとおりに世界を辿ってみたくなる。

異国に一人住む。

残り少ない自分の人生に、そのゴールを探し当てようと逡巡する。





自宅、浮世の画家 [マイハーベスト]

たまーにちょっとしたヒマが出来て、大都会トウキョウを彷徨うことがある。

ぶらりと小さなギャラリーに立ち寄ったり、何を買うでもなくお店を見歩いたり。
そんな時に、これは!と思う作家さんや商品に出会うことが多い。

最近のヒットはこれ。
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ソニプラで見つけた文庫本カバー。

いつも電車の中では本を読むことが多いが、コレなら前に人が立った時に、
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こんなカオもしてみようと思う。

「これ、フィリップとmanaちゃんに」とS子がくれた文庫本に早速装着する。
フィリップには原語本を、私には翻訳版を。
もう少し帰国までに時間があれば、これはフィリップとのディベートの格好の題材となっただろうに。

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「浮世の画家」(カズオ・イシグロ/飛田茂雄訳/ハヤカワepi文庫)

日本人が日本について書いたものを、日本人が翻訳本で読むという構図は、新渡戸稲造の「武士道」と全く同じで、読みながら私の意識は舞台である日本を空から俯瞰するような、不思議な感覚に捕われる。
なぜかと言えば、5歳で日本を離れて英国籍を取得したイシグロの描く祖国は日本そのものではない。
彼が永遠に追い求めるアイデンティティを具現化した「どこか」である。

しかし、「日の名残り」とともに、挫折を味わった老人が懐古する風景を描かせたらイシグロの筆はピカイチだなあと思う。
「日の名残り」では黄金時代のイギリスを、この小説では虚栄の大戦に踊らされた日本を。

それは平たい視線で眺めれば決して真っ当だとは言い難い時代なのだが、老執事や名画家の知性というフィルターを通して語られると、こうも穏やかな自戒に満ちた思い出に熟成していくのだろうかと感嘆する。

さて、原語で読んだフランス人の感想は。






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