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ふじみ野、かぐや姫の物語 [マイハーベスト]

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つくづく貧乏性なんだと思う。

仕事も習い事も次々にお休みなったので、時間があるのに課題が無い。
いつもニッチな時間を細々とアサイメントやドラムの練習に充てて生活することに慣れ切っているので、ヒマなことに対する罪悪感がハンパない。

死んだマグロのように、TVの前に長々と横たわっていられる夫が不思議で仕方無い。

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結婚して35年、こんなに(よく言えば)のんびりした年末年始があったろうかと思う。

年末、クリスマスツリーを片付け、1年に一度しか日の目を見ない正月の漆器類を出してくると、気分が急に純和風になる。
塩数の子の塩抜きをし、大鍋一杯の雑煮用のだしをとるのに躍起になっても、時間はまだ余る。

よーし。
そんなら映画行くわ。

とりあえず夫も誘ってみるが、案の定TVの前から数ミリも動きたくなさそうだ。

休み直前のJohnnyのレッスンで、宮崎駿引退後のジブリ第一作「かぐや姫の物語」についての外国人記者の評論を取り上げたので↓
http://en.rocketnews24.com/2013/11/26/kaguya-hime-no-monogatari-the-other-side-of-studio-ghibli-【review】/
実際に観てみたかった。

論者のKendall氏は、淡い色調とかすれたラインのblandな高畑勲のアートスタイルが、今までのジブリファン層だった若者にはウケないかも知れないけれど、日本文化を愛する大人たちには必ずや受け入れられるだろうし、実際彼自身もエンドロールの前に感極まって泣いてしまった(・・・日本語で観てるんですよね?もちろん)と書いているんだけど。

基本アニメは子どものもの、という概念が抜けないので、息子達が子どもの頃はよく観ていたけれど、この頃どの作品もとんとご無沙汰だったジブリのother sideを検証しに、自宅近くのイオンシネマズへ一人で出掛ける。
ガラ空きの映画館で、ポップコーンかじりながら反っくり返って映画観るって、これぞ休日って感じ。

水彩とデッサンで仕上げたような画風は、古風な和風世界を描きながらどこかモネの印象派絵画と合致するような世界観。
これ、多くの日本人好きかも。

「竹取物語」にディスカッションを重ねたという新解釈(これがイマイチ分かりにくかった)を加えた筋書きと、どこかこれまでのジブリ作品のヒロインの面影も注すかぐや姫は、独特に現代的である。

そしてやっぱりKendallサンと同様(先入観があったのかも)、育ててくれた翁・媼との別れのクライマックスでは泣いてしまった。

お正月、こんな新しい日本情緒に浸るのも悪くないんでは。

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夫が元旦から当直なので、施設に暮らす父とホテルにニューイヤーディナーに出掛ける。

遂に車いすでしか出掛けられなくなってしまった父だが、生ビールと鉄板焼きのステーキを平らげて満足そうである。

2014年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
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上野、ターナー展 [マイハーベスト]

黄金色の落ち葉を踏みしめながら絵を観に行く。
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四季のある国に生まれたこと。

好きな絵があること。

それを観に行く自由があること。

周りに同じような時間を共有する見知らぬ人たちがいること。

平和があたりまえであること。
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普段は通り過ぎてしまうそんなことを幸せだと思える時間が、上野の森の中に横たわっている。

さっきまで午前中のフラの練習があまりできていなくて、そのあとのJohnnyのアサイメントもうまく仕上がっていないことにイライラ、アセアセしていたことがウソみたいだ。

奇しくも次男と私の一番好きな画家が一致していたことは前に書いたと思う。

10月から上野の東京都美術館で開催されていた英国最高の巨匠、ウィリアム・ターナーの大回顧展がずっと気になっていたのだが、とうとう終展まで2週間を切ってしまい、もう今日を逃したらチャンスは無いという崖っぷちThursday.

まあ、ロンドンのテートギャラリーでゆっくり観ればいいってことなんだが、そして実際10年前にテートギャラリーも訪れているのだが、何だか上野でそれを観るっていうところに意味があるような気がして。
そしてそれが金色の枯れ葉が降り注ぐ日本の秋にあるってことに意味があるような気がして。
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展示自体は数は多いものの、小品が多くて、テートギャラリーで私を圧倒したターナーの迫るような迫力には残念ながら触れることが出来なかったが、その前後ののんびりした時間を含めて、久しぶりの上野散歩を楽しむ。
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師走に入って漢字の通り、身も心も焦りがち。

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毎度おなじみ、真綿色したシクラメンも届いた。

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私がチロルチョコフリークなのを知ってなのか、友人がクリスマスパックを送ってくれた。
(これ、カップのまま普通に郵便で来ます)

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ああ、今年も終わりゆくんだなあと感無量である。




自宅、Shall we dance? [マイハーベスト]

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チャリティの舞台、終了。

舞台稽古の時にどん底まで落ち込んだことは、夫が心配してメールくれたくらいだったけど(口では小っ恥ずかしくて慰めなんて言えないみたいである)、おーし、そんなら誰にも文句言わせないところまでやってやろうじゃないのと本気出させてくれるいいきっかけだったかも知れない。

翌日曜は疲労が残っていたけど、のびのびになっていた軽井沢の山荘終いに出掛ける。
夫は当直明けで動けなさそうだったので当てにはせず、一人で関越・上信越道をぶっ飛ばす。

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木々の葉が落ちて、夏より明るい日の射すひっそりとした山荘。
夏に遊んだままクロのオムツやタオルケットが取り残されており、片付けながら涙が止まらない。

クロ、きみがこの山荘で、他の二匹の後ろの方でにこにこ笑っていたことを、私は忘れまい。
きみがここで幸せだったと、信じさせて。

夕刻、帰宅するとさすがに200キロのドライブと前日のパフォーマンスの疲れがどっと出て、CATVのハリウッド版『Shall we dance?』を観ながらソファから動けず。
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何度観てもいいなあ。
泣ける。

原作の邦版より、残念だけどずっといい。

こういう知的な中年男性役をやらせたら、リチャード・ギアの右に出る者はいないんじゃないか。

あと、何度も言ってるけど、ジェニファー・ロペスの英語は聞き取り易くていい。
何故だか知らないんだけれど。

いつもここで涙こぼします、というところは、リチャード・ギアが妻役のスーザン・サランドンに、
「僕が唯一誇りに思うことは、君が幸せで居ること」
というクライマックス。

邦訳は「君が幸せだと思う結婚生活を築いてあげられたこと」というように思えるので、ウチの夫が言いそうな言葉だなあと思ってぐっとくるんだが、本当は「You are happy with me.」らしいので、トーンはちょっと違うかも知れない。

ダンスのコンペティションという共通の目標目指して、みんなが躍り込んで一体になっていく過程が、昨日の舞台までの自分たちと重なった。



自宅、旅は俗悪がいい [マイハーベスト]

「青い色は食べ物の色じゃない」という理由で、自ら英語を教えに行っている会社の製品”ガリガリくん”は食べない、というJohnny。

じゃ、これはどうよ?

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思わずうっとりするような翡翠色のButterfly pea blossam tea.
タイのアンチャン(日本名は直訳しました風に蝶豆)の花のお茶である。

タイではJohnnyが思わず後ずさりするような真っ青の練り菓子のようなものがよく売られているが、それもこのアンチャンの色素で色付けされているようだ。

彼の言うことにも一理あるなあと思うのは、確かに視覚的には美しい色だけど、すごく美味しそうには思えないのは、やはり太古の昔から引き継がれてきた生き残るための本能が、「この色の食べ物は危険」と警告をどこかで鳴らすからなんだと思う。

思い切って飲めば、大急ぎでスパイス屋さんの前を走り抜けたような微々たる刺激を喉の奥に感じるくらいで、特にどうということもない。
ジャーマン・カモミールの紺色のアズレンだって、喉の痛みには効果てきめんだし。

ポリフェノール成分のアントシアニンを含むという蒼いお茶。
いいんではないのか。

タイの旅に携えた本は、私が初めて出会った(face to faceではなく、書物上で)建築家、宮脇檀氏の1988年刊、「旅は俗悪がいい」(宮脇檀著/中央公論新社)。
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遊び人風の医学生(現・夫)と付き合っていた頃、宮脇氏のユーモアとセンスにあふれた文章で綴られる数々の著書を読んで、建築家ってカッコいい、隙あらば(?)建築家の卵とお付き合いしたいと思っていたが、もちろんそんなチャンスが訪れる訳もなく、いつしか身の丈に合った伴侶を選んでしまった。

次男が「建築をやる」と言った時、夢再びと小躍りしたが、もちろん宮脇氏の域に達するはずもなく、今もって私にとってのMr.Rightは当時のまま、宮脇氏なんである。

先日別な本をAmazonで検索中に、未読の彼の著書を何冊か見つけて思わず買ってしまい、読めば当時彼の文章の行間に、知らない広い世界と建築家(という男性)への憧れを夢見ていた自分を思い出す。

彼の旅の魅力は、30年以上前、まだ今ほど海外旅行が一般的でなかった時代に、たぶん超一流のものにも触れ、知りながら、底辺の淵へも果敢に飛び込んでいくことである。
そしてそれが決して上から目線でなく、心底その世界を独特のセンスで楽しんでいる余裕とでもいうのだろうか、それが読む者に伝わってくることである。

さすがに今どき海外でいきなり水道水を飲む人はいないだろうが、そこは30年以上も前、まだペットボトル入りの水なんて無かった時代の武勇伝などは、時代を彷彿とさせて面白い。

こんなに自由に世界を旅する人でも言葉コンプレックスがあり、「May I have a 水くれる?」と言ってしまうくだりには(もちろんごく若い頃だろうが)笑い転げ、しかし英語だけならまだしも、世界中を旅するとなればほとんどが分からない言語なわけだから、最終的には大阪弁で通してもOK、みたいな度量の広さにも圧倒される。

ここしばらく、建築家と旅、というのが私の読書の一つのテーマになりつつある。

ベトナムで建築の仕事をしている次男にバンコクで久しぶりに会ったばかり。
さあ、キミも頑張れと言いたい。





自宅、世界で一番美しい建築デザインの教科書 [マイハーベスト]

人を非難する気持ちは、何も生まないばかりか、自己の心身ダメージを増幅させる。

アロマセラピストになって、心身のトラブルを抱えたクライアントさんに接するために、そういうanger management(怒りの気持ちのコントロール)の訓練はさんざん受けたはずなのに、先日の舞台稽古の後には自分自身の感情コントロールに失敗。
結果、溜まった疲れとストレスが起爆剤となって一気に筋肉の緊張を増長したらしく、普通に仕事ができないほどの背面痛と吐き気と目眩、食欲不振に陥ってここ1週間酷い状態である。

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クリニックは早々クリスマスのイルミネーションが灯る。

こんなホーリーな季節を、自己卑下しながら過ごすのはいやだ。

私の失敗をことさらにせず、「綺麗だったわよ。最初の立ち位置に戻ることだけ注意して、あとは堂々と踊りなさい」とフラの先生が押してくれた背中は、ああ、期待は保たれたのだという自覚で背筋がぴんとして痛みが少し和らいだ気がする。

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我が家もクリスマスのデコレーションに着手だ。

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楽しいイベントに心を寄せていくのも、立派なanger managementのひとつだ。

また、全く違うジャンルの好きな本を読むのも、ひとつのアンガー・マネジメントテクニック。

7人の巨匠に学ぶインテリア、家具、建築の基本は、辛かった幾晩かの苦痛をデザインの世界へ解放してくれる。

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「世界で一番美しい建築デザインの教科書」(鈴木敏彦・松下希和・中山繁信著/X-Knowledge)

コルビュジエ、ジャン・プルーヴェ、アルネ・ヤコブセン、リートフェルト、フランク・ロイド・ライト、アールトと、建築デザイン界の巨匠たちの代表作を例に挙げながら、デザインの基本となるモデュール、環境、バックグラウンド、配置のバリエーションなどが、著者達のスケッチ写真を多彩に取り入れながら、建築の本はこれが初めてですという読者にも分かり易く解説されている。

絵本のようで楽しいことは楽しいのだが、情報として目新しいものが何も無いこと、テーマを基軸とした構成なので例となる一つ一つの建築物がいろんな部分でばらばらに出てくること(例えばコルビュジエのサボア邸などは家具の項、浴室の項、階段の項、天窓の項、断面構成の項、外構リビングの項・・・・と頻出するので、正直またか・・・と飽きてくる)、そして「世界で一番美しい・・・」という大風呂敷なタイトルに、このイラストや写真のレベルは匹敵するのか・・というところが引っかかった。

リゾート地、特にこの建築家たちが活躍した場所でぱらぱらめくるにはいい本かも知れない。


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ハニージンジャーに凝っているS子が、一杯分のそれを作るのに超便利なおろし金付きのスプーンを送ってくれた。

身も心も温めて、出直す覚悟である。



自宅、ジヴェルニーの食卓 [マイハーベスト]

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秋雨前線の停滞でものすごい雨の日曜となる。
伊豆大島はどうなったか、と思う。

夫にもらった喉の痛みが癒えぬまま、昨日は聖心の英会話と、はるか限界を超えて人前には出られないほどになった髪とツメのお手入れに外出を敢行する。

大のブーツ好きの私へ、長男からクロムハーツのブーツオーダー会なるものの情報が寄せられていたが、ン十万円のブーツってそりゃ土禁だろ、っていうわけで、美容院の帰りに可愛くUGGのバイカーブーツを買うことでコトを収める。
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奥のジミーチュウは、去年買って雨だろうが雪だろうが旅行だろうが構わず履き倒したら、つま先の革がすり減って雨水が入ってくるようになってしまった。

ジミーチュウがヘビーユースだったのは、ドラムの先生に「ハイハットが安定しないのは靴のせいじゃないですかね」と、暗にチャラチャラした靴を履いてくんなと注意され、試行錯誤の末、もちろん一番いいのはスニーカー、でもスニーカーじゃおしゃれが完結しない場合(私の場合ほとんど完結しない)、次にペダルがぶれないのはバイカーブーツ(ロングブーツはダメ)と自分で定義したからである。

どのブランドのブーツも最小サイズは35(23.0センチ)くらいだが、UGGは22.0センチがあり、しかも中はブランド・アイデンティティのムートンで覆われているので、極小サイズの足に吸い付くようである。

靴フェチとドラムは両立しないもんだ。
この秋のためにと新調した華奢なハイヒールなんてまだ箱から出してもいない。

でもその隙間をぬって私らしさの演出、頑張る。

さてさて話しがそれたが、雨で日曜で風邪気味、しかも明日は税務調査(!)、とくれば、今日は一日Stay home!と言い渡されたようなもんである。

ゆっくり7時に起き、葛根湯を飲んでパンを齧る朝食を済ませ、また本を持ってごそごそとミナサンと共にソファーのブランケットの中にもぐり込む。

ちょっと旅関係の本ばかり読んでいたので、違う路線を、と選んだつもりが、結局昔の旅を思い出して読後感を書く結果となる。

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「ジヴェルニーの食卓」(原田マハ/集英社)

ヴァンスの聖堂にからめてマチスとピカソの交流が、お側仕えの少女の視線で描かれる「うつくしい墓」。
14歳の小さな踊り子の彫像に寄せるドガの思いを、印象派をアメリカに紹介したメアリー・カサットの目で綴る「エトワール」。
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同名のゴッホの名画の主役の人生を通して、セザンヌの不遇の時代を著した「タンギー爺さん」。
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そして、印象派の旗手モネの義理の娘が家族と周囲を描く「ジェヴルニーの食卓」の4部作。

フランスの印象派の画家たちの周辺を描いた4つの物語たちは、あまりにも美しく仕上がっていて、正直なところフィクションなのか事実なのか私にはその境界線が見えない。

著者はニューヨーク近代美術館勤務の経験もあるキュレーターなので、多くの文献から限りなく事実に近い独自の世界を編んだのだろうと思う。

4つの作品に共通するのは、従来の写実主義や窮屈なパトロン態勢の画壇から、自由な表現と人生を獲得するために羽ばたいていこうとする印象派の画家たちが、その人生のどこかで彼らを強烈に応援する一人の脇役の目を通して描かれている点である。

オルセーやメトロポリタンで観たチュチュを纏った踊り子の像や、次男とはるばるバスに乗って観に行ったヴァンスの聖堂、マルモッタンのモネの睡蓮。

その時何気なく観て、でも自分の中では結構強く心に焼き付いた作品たちが、本著を通して、何かぱちっと事実や時代と焦点が合ったような気がする。

過去のブログにかろうじて残っていた記事を記しておく。
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23
http://patchouli.blog.so-net.ne.jp/2008-07-08
(私も次男も若い!)
その時、自分がどんなに曖昧に鑑賞していたかが分かって、結構可笑しかったりする。

今や日本では確固たる地位を獲得したかに見える印象派が、あのウィーンの分離派のように、酷評や不遇を浴びせられて旧体制を踏み越えて行く過程に存在した、視線の主の擁護者の影が心を温めてくれる。



自宅、旅。建築の歩き方 [マイハーベスト]

とりあえず時差ボケもほとんど無く、日常生活に復帰である。

外国という、ある意味での非日常に何日かでも暮らすと、また満員電車に乗り、コンビニでおにぎりを買う生活に戻れんのかいな、と思うけど、悲しいほどにあっさりと馴染むんである。

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ミナサン(トイプー3匹)はちょっと怒っているようである。
吠え方が、クドい爺さんかヒステリックな中年女である。

毎回ヨーロッパ側からの帰国の後はだいたい酷い時差ボケに1週間ほど悩まされるのだが、今回は直後からの予定が詰まっていてボケてもいられず、帰国当日コーヒーをガブ飲みしながら夜中近くまで寝るのを我慢していたら、翌日からあっさりと通常スケジュールに戻れてしまった。

もうちょっとボケながら旅の余韻てものに浸りたくもあったというのが、本音である。
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次男の部屋で探し物をしつつ、彼の本棚を眺めていたら、面白そうな本を発見した。

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「旅。建築の歩き方」(槻橋修編/彰国社)

東京大学生産技術研究所原・藤井研究室の世界集落調査に参加し、旅を通して建築を学んだ編者が、巨匠から若手まで様々な建築家に旅の話しをインタビューして回った記録である。

なぜ旅行の前にこれを見つけなかったんだろうと思ったが、読んでみたら旅のスケールが違い過ぎて、旅行の前に読んだとしても、オバサンのままごとのような旅の結果は同じだったと思う。

しかし、狙いを定めた目標あるいは行程に向かって行く情熱は、こんなに過酷で険しい旅も可能にするのかと、どのインタビューを読んでも感動する。

建築という動かない標的を捕らえるには、実際にそこへ行くしかない。
建築はその地の人間の営みに密接に結びついているものだから、これだけ情報やバーチャル技術が発達した今でも、彼らはバックパックを背負い、その文化に自らの足で飛び込んでいかねば学習できないと覚悟して、ある意味向こう見ずに飛び出して行く。

建築を志した次男も、大学・大学院の間にはリスボン工科大学への留学も含めて、日本にいない日の方が多かったように思う。
(実際、今もいないのだが)

月並みな言葉しか浮かばないが、(今は巨匠でもがむしゃらに旅した頃は)その若さがまぶしいし、優秀な現地でのフィールドワークにも圧倒されるし、自分がどうなりたいかという可能性をひたすら追っていく意志の力が、インタビューされる全員の共通項である。
そしてそれぞれが持ち帰ったものが、建築への成果だけでなく、その人の人生観や価値観を間違いなく支えていると確信できるところがすごい。

ケタが違いすぎる旅の記録ばかりではあるが、ところどころに挟まれる他愛無いエピソードが、「ああ、そうそう!」と私でも同感できるところは楽しい。

一人旅のいいところは、今日はここでご飯食べよう、いや、やめようとかどうでもいいこと(彼らの壮絶な旅の中では)でくよくよ悩めるところ、とか、空港で一人ぽつんと待つ長い時間は嫌いじゃない、とか。

旅については皆がそれぞれに定義をしており、「旅はその時その時の現実だけでなく、別な時間や次元をも孕んでいるものだ」という人もいれば、「旅はそこへ行ったことが重要なのではなく、実は帰った後の記憶の呼び出し方が重要なのだ」という人もいる。

否定、肯定に分かれるにしても、ほぼ全員が何らかの形で基準としてコルビュジエを意識していること、ゆえに期せずしてほとんどの建築家がコルビュジエが絶賛したアルジェリアのガルダイヤというところを訪れていることは面白いと思う。

中に、「建築をやるなら空間が飽和している日本にいるな。エネルギーが爆発しているアジアやアフリカへ行け」と言う建築家がいて、建築ラッシュのベトナムで仕事をしている次男へも一緒にエールをもらった気がする。
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評価の定まったものを見るのが旅行、見て評価を捻り出すのが旅、と定義したある建築家の言葉は、言い得て妙、その旅の集大成のようなインタビュー集である。






自宅、プラハ 都市の肖像 [マイハーベスト]

まさかとは思ったけど、この3日の連休で単独ハワイで波に乗っていたヤツがいた!

しれっと渡されたお土産のアイランドスリッパーは、悔しいけど適度なヒールにクッションが効いててかなり履き易い。
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乳飲み子含めた子ども3人抱えて、それを快く送り出したおヨメさんは実に寛大なヒトだ。
ちゃんと感謝しなさいよと説教口調になったその傍から、自分もだわと反省。
母と息子の悪い血筋なんだろうか?

年に1回は一人で海外を旅させて、というのが、私の夫に対する最大の我が儘だろうと思う。
それ以外にもアンタ、いろいろワガママだらけやんかとツッこまれそうだが、基本的にそれ以外は多忙な夫に当たらず触らず自分だけでやるので迷惑はかかってないと思う。

しかし海外一人旅となれば少なく見積もっても最低一週間は、ミナサンとご自身の世話をやって頂くことになる。
クロが糖尿病になって毎日の注射を含め大変手がかかるようになったので、クリニックにかかり切りの夫には手に余ることが多く、そこのところが心苦しい。

去年は母の逝去で一人旅を断念し、依然残った父も体調は悪くないが鬱鬱した生活を送っているので出づらくはなったが、私の人生だって残りがそうそうあるわけじゃない。
来年だってあるかどうかわからない。
面白そうなコトはとにかくできるうちにやっておけ、が最近の心情である。

照準は中欧、歴史に翻弄された古都プラハ。

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直行便も無く、知らなかったけど、ユーロ圏でもなく、通貨はチェココルナである。
(三井住友銀行の事前換金、いつも利用させてもらってます)
学生時代に訪れた次男によれば、彼の気に入っていたコルナ銀貨はすでに姿を消しているそうだ。

七転八倒してようやく話せたことにする英語も、通じるかどうかの旧共産圏。

なぜそんなところに一人で行きたいのかというと、やっぱり読んだ本の影響なんだろうなあ。
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以前にもご紹介した写真家・田中長徳氏の「屋根裏プラハ」が素敵過ぎた。
それと、次男の弁を借りれば、「今のうちにグローバル化に取り残された国を見ておくのも悪くない。」

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今回読んだのは「プラハ 都市の肖像」(ジョン・バンヴィル著/高橋和久+桃尾美佳訳/DHC)。

田中氏も多大な影響を受けたというプラハ出身の写真家ヨーゼフ・スデクの芸術写真を、旧ソ連監視下のチェコスロバキアからアメリカに密かに運び出す役目を担った著者は、ビロード革命を経て解き放たれた芸術都市プラハを再び訪れる。

ハプスブルグ家、ナチス、ソ連という歴代の大勢力に飲み込まれながらも、佇まいをかき抱いて手離さなかった美しい古都が、著者の視線を通して語られる。

さあ、これを読んだら、もう飛行機に乗るっきゃ無いでしょう!

パパ、あとはよろしくお願いしますっ!!





渋谷、リゴレット [マイハーベスト]

夫の車のスピーカーからいきなりショパンのノクターンが流れ出て来たのにはびっくりだ。

このヒトの車にサザン以外の音楽が積んであった試しが無い。
どんなに好きでもまあ、よく飽きないわ、と思っていたけど、それ以外の音楽を知らなかっただけのようだ。

私の車は狭くてミナサン(トイプー3匹)が酔ってしまい、ワンコ連れの軽井沢の行き帰りは夫の車を使うので、4時間の大渋滞の間中でも、隣で大イビキのダンナよりも(当然のように助手席にご着席だ)運転しながら延々と私はサザンを聞きこみ、血液の一部がサザン化してるくらいだ。

最近ピアノを始めて彼の周囲が少しずつ変化して来たのを感じる。
ピアノ曲が流れる夫の車は、私にはちょっと心地良い。
「ベートーベンは音楽の父、バッハは音楽の母」(そうだっけ?)と、絞り出した彼の小学生並みクラシック談義もちょっと笑えて心地良い。

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さて、前記で「左傾化」宣言して、その最たるものがドラムをおっ始めたことなんだが、これはこれで練習が楽しくて楽しくて、我が家のデシベル数はご近所限界に達しているのでそろそろ次の手を考えなくては。やっぱり、電子ドラムか。

一方、不思議なもので親に強要されている時はちっとも好きでなかったクラシックもこの年になるとしみじみいいもんだなあと思え、そんな中でイタリアオペラの総本山で、ヴェルディ劇場とまで評されるミラノスカラ座が4年ぶりに来日し、新演出版の「ファルスタッフ」と中期の名演出版「リゴレット」を上演するとあっては、これは黙ってはいられない。
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オペラは観たいけど、誰と一緒に行くかがこれほど面倒なパフォーマンスも無い。

芸術家系でも何でも無い私の周囲にそれほどオペラ好きの人間が見当たらないし、いい席だと5〜6万円という高額チケットなので気軽に誘うのもためらわれる。
音楽好きの次男が日本にいた時は、自分では買えないチケットなので誘えば必ずホイホイついて来たが、ベトナムへ行ってしまった。

オペラに誰と行くかという命題に関しては、作家の林真理子サンが週刊誌にやっぱりこのスカラ座公演に引っ掛けて同じような悩みを吐露しており、彼女は結局実の弟さんと行ったそうだ。

震災直後に、指揮者や主役達が来日を嫌がって大きな配役変更を余儀なくされたメットの公演を次男と観てから、そんなわけでオペラ鑑賞から遠ざかっていたが、誰と行くかなんて考えるより先に、行きたいものには一人で行けばいいのだ、という結論に達して1枚だけチケットを買ったんである。

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昼間の蒸し暑さが残ってはいるものの、夕暮れ時のNHKホールは、これからオペラを観るんだという華やいだ序章にふさわしいアプローチを提供してくれる。
バックに立ち上がった美しい尖塔を持つ名建築、丹下健三作国立代々木競技場の、今度のオリンピックにあたっての行く末はいかに。


中に入れば、海外のオペラハウスに比べて、その古さ、ダサさはぬぐいようもないが、オペラ好きのおじいちゃん、おばあちゃんが行き交うロビーでとりあえずお約束のシャンパン1杯を引っかけて、自分的高揚感を掻き立てて準備完了。
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序曲が終わり、城壁の背景がさっと上がると、思わず感嘆の声がもれそうな色の洪水たる宴会の場面である。

ああ、これだからイタリアオペラってやめられない。
歌もオーケストラももちろん素晴らしいんだが、この微に入り細に入った手抜きの無い美しい舞台芸術への入れ込みようは、シンプルでモダンなドイツオペラとは違って、さすがにファッションや芸術の先端を切って来た国として威信とプライドが違う。

この大掛かりでラグジュアリーな舞台をそのまま本国から運んで来るんだもの、チケットが高いわけである。

道化者リゴレットの最愛の娘ジルダが、よりにもよってリゴレットの雇い主で浮気者のマントヴァ公爵に心を奪われてしまう。
貴族の生活のだらしなさやそれに仕えなければならない我が身の悲運を嘆くリゴレットは、娘を弄んだ公爵殺害を殺し屋に依頼する。
ジルダは公爵の本性を知ってなお、愛する人の身代わりとなり、殺し屋の前に身を投じる。
公爵の遺体が入っているはずの革袋から、血に染まった瀕死の愛娘が現れ、悲嘆にくれるリゴレットの腕の中で彼が自分の命より大切にして来た小さな命は息絶える。

父親リゴレットの深い情愛が全編を包む。
観ながら、自分と父親の絆を思い起こす女性は私だけではなかろう。

当時の貴族社会の下敷きになった庶民の反抗は、ヴェルディのオペラには付き物だ。
名作は、それを生む背景の中に、当然の結果として生まれるものなのかもしれない。

女たらしのマントヴァ公爵の歌う名アリア、「女心の歌(La donna e mobile)」は往年のパヴァロッティの十八番でもある。




ふじみ野、迷ったら、二つとも買え! [マイハーベスト]

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左傾化(私の場合、不良っぽくなってみること)が止まらない。

さすがにスカルモチーフはあきらめたが、左右対称でないピアスなんである。
脱保守である。

職業柄鼻はムリだが、へそまでいっちゃう?くらいのノリなんである。

中年になって不良化するオヤジは、それがとってもよい味を出すこともあるので、賛同票が多いように思うが、オバの不良化ってのはどうなんだろう?

私の場合、私に白襟・紺色のワンピースを着せ続け、クラシック音楽漬けにし、お嬢様学校に放り込んだ父から、物理的によりも最近心理的に離れたことが傾向に拍車をかけたんだろうと思う。
齢57歳で親からの精神的独立を試みているのかもしれない。

親がやってはいけないと言うことの大半は、人に迷惑をかけたり、ルールに反したりすることだから、それは守らなくてはダメなんであるが、それ以外は案外親の勝手な価値観によるものだったりもするので、やってみたら案外ものすごく面白いことかも知れない。

校則の無い国立大付属中学に通っていた次男が(15年前の14歳!)髪を金髪にしてピアスをしたいと言い出し、私は即座に却下したのだが、「(ピアスや金髪禁止という)校則も法律も無いし、人に迷惑をかけるわけでもないのに、なぜダメなのか」と詰め寄られた時に、「あたしに迷惑がかかるのよっ!」とワケの分からない反撃を試みるも、彼の方が正しいという敗北感は逃れられなかった。

結局彼は夫に直談判し、「そりゃーお前が正しい。やりなさい」(と言ったかどうかわからないが)と夫はあっさり許可したので、息子は金髪・ピアスになり、私は「おかあさん、いくら校則が無いって言ってもねえ・・」とシブい顔をした担任に呼び出される羽目になった。

話しを不良オヤジに戻そう。

大人の不良はかくありたい。
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「迷ったら、二つとも買え!」(島地勝彦/朝日新聞出版)

筆者は1941年生まれ。
青山学院大学卒業後、集英社入社、「週刊プレイボーイ」編集者、のち編集長。集英社インターナショナル社長を経て、現在はエッセイスト、広尾と伊勢丹新宿店内のサロン・ド・シマジオーナー。

ユニクロのブラトップを大人買いする話しではない。

この景気低迷の時代に、稼ぎをすべて、パリのアルニスのジャケット(建築家コルビュジュが愛用してオーダーしたブランド)だ、ブント・オッティコの眼鏡だ、ブルネロ・クチネリのセーターだ、カーシューのシューズだ、何とかのシガーだ、何とかのシェービングセットだ、(もう知らないブランドが多すぎて記述不能)などなどにつぎ込むシマジ。

彼の中にあるのは「美しいものを自分のものにしたい」という人間の基本的な欲求に素直に従う行動力と潔さ。
美しいものとの出会いは一期一会で、ちょっとでも躊躇しようものなら二度と手元にはやって来ないという世界の逸品の希少さへの偏愛。

その買い物欲を支えるのは、吝嗇は人をダメにする、という、柴田錬三郎、開高健、今東光大僧正ら錚々たる顔ぶれとの交わりの中で培われた人生哲学である。

彼の買い物ルールは、
①美しいものを見たら迷わず買え
②どちらにするかで迷ったら2つとも買え
③金がなかったら借金してでも買え

あまりに堂々と「節約している人の顔は醜い」みたいなことを書いちゃっているので、「そりゃー、それが出来る選ばれた人はいいでしょうけど・・」と反感を感じる向きも少なくないと思うが、株式投資やギャンブルは一切やらない、クルマや家には興味無し、と、あくまで浪費は美しいもので彼の精神の琴線に触れるものだけに限られているところがいっそ清々しい。

よくTVで紹介される、家中金ぴかでフェラーリ5、6台を車庫に並べてご満悦の成金浪費家と違うのは、その買い物が深い教養と確かな審美眼、豊富な体験に裏打ちされ、確実に彼の内面価値を磨き上げているところである。

女性の買い物がなかなかこの域に達しないのは、衣服だのバッグだのジュエリーといった人目を意識したものに傾きがちで、本当に自分のセンスのみに対峙しないからなのだろう。

選ばれたシングルモルトのグラス片手に、シガーの紫煙をくゆらす。
貯金は30万しかない(笑)。

もちろん誰もがこんな浪費を出来る訳ではないが、こういう大人の不良がいて、天下の金は巡り、文化が創られる。
中国で大量生産されたユニクロでは(すいません。私もユニクロ愛好家です・・・)、文化は牽引できないんである。

不良オヤジがんばれと言いたい。





ふじみ野、あのとき、文学があった [マイハーベスト]

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生活を朝型に変えて1週間が過ぎた。

夜は10時頃からお風呂に入ったり翌日の準備をしたりして、11時にはベッドに入る。
ベッドの中で約1時間本を読んで12時までには完璧寝付く。

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そして朝は5時に起床。
主に2時間をアサイメントを片付ける時間に充てる。

最初2、3日、ちょっとした時差ボケのような状態になって、昼間やたらに眠かったが、慣れてくると、生活全般に余裕ができたのが分かる。

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今までは仕事から帰って、かき込むようにご飯を食べて、ドラムを練習し、フラを練習し、くたくたになって英語をやるという、仕事以外の「課外授業」をすべて夜に詰め込んだスケジュールのせいで、期限に追われる急いた感じがストレスだったんだけど。

休日とウィークデイのタイムスケジュールの大幅な差、「ソーシャル・ジェットラグ」が疲労の原因になるというのも、先日の「Internal Time」で学んだので、日曜も可能な限り5時に起きる。

夕食時に心自由に(これ、結構大きい)ワインが飲めるのも、ベッドの中で1時間本が読めるというご褒美が一日の最後に確実に取れるのも、この生活時間のメリットだ。

その時間で読んだ最初の本。

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「あのとき、文学があったー文学者追跡完全版」(小山鉄郎/論創社)

筆者は文芸記者。
日本文学界の作家達を追い続けた評論を文芸誌「文學界」に連載、そのうちの1990年1月〜1994年5月までを収めた本著で日本記者クラブ賞受賞。

日本の文学界の構図や課題を、淡々とした第三者の目で写し取ることでクリアーに浮き上がらせる。

1990年といえば、前年にバブル経済が頂点に達し、日本全体が熱病に浮かされたように踊り狂った後に相場が急落、その後の空白の20年に真っ逆さまに落ち込んでいった始まりの年だ。
翌1991年、湾岸戦争勃発、旧ソ連崩壊。

そんな時代を背景に、日本の文学者達が何を思い、どんな文学を生み出していったのかを追跡したのが本著である。

(朝ここまで書いて時間切れとなり、下書きに放り込んでいったつもりが、手違いで公開されておりました。すでにお読みくださった皆様、本当に失礼いたしました。)

例えば政治家だったり、銀行家だったり、企業のオーナーならば直接的に関わるから分かりやすいが、文学者が時代の流れや社会情勢に関わるとすれば、それはいったいどの入射角からなんだろう。

近い例で言えば、大震災に関して直接的には自衛隊や政治家やボランティアの方々の役割は視覚的に理解できるが、例えば文学者は何を担うのだろう。

永山則夫元死刑囚の日本文藝家教会への入会問題、女性文学者たちによる「女流」という言葉への怒り、文学者達による反核運動、日本文学の翻訳問題・・・・

取材の事実のみを淡々と書き綴った行間から、文学は生き物で、間違いなく時代の波間から生み出され、当時の記録と記憶を形成していると感じる。

文学を見守ってきたこのジャーナリスティックな文章もまた、読み応えのあるひとつの文学であろう。

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高円寺、パンチの効いたオウケストラ [マイハーベスト]

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シミ、シワ、たるみ、そして薄毛。
お見苦しいアップで失礼します。

夏が暑かったせいか(・・・違います)、最近とみにエイジング・マイナートラブルが気になって仕方ない。
いよいよエストロゲンが枯渇してきた感じなんである。

うふ。

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買ってしまった。
◯来千香子サマも絶賛ご推奨のリファ・カラット。

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そう、なんのことはない。
こうやって単純にたるんだものを物理的に引っ張り上げようって器具だが、ビジュアル的に大層大仰ではある。

これでたるみが解消されるとはメディカル的に無理がある気がするが、まあ、コロコロやっているといい気持ちではある。

千香子サマは「テレビを見ている間にコロコロするだけで・・・」とおっしゃり、なるほどと購入したわけだが、買った後に自分がほとんどTVを観ている時間なんて無いことに気付く。
困ったもんである。

Johnnyの課題で、睡眠時間の効果は長さではなく質による、という「Internal Time: Chronotypes, Social Jet Lag, and Why You're So Tired?」を読むうち、自分の完璧夜型のクロノタイプが、すべての老化加速現象につながっていると確信する。

よし。
10:00pmには練習も勉強もPCも止めて寝る準備に入り、0:00amには完璧寝付いて、朝は5:00amに起きて、夜に出来なかった勉強をするぞと決心。

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2日間は決行した。
身体が慣れないせいで昼間ちと眠かったが、いい感じだと思った。

3日め。
LSA時代のクラスメイト、朋ちゃんが”パンチの効いたオウケストラ”のライブに誘ってくれ、同じくクラスメイトだった真弓さんと共に、高円寺のライブハウス、ジロキチに出掛ける。
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ご主人がギタリスト(もんた&ブラザーズのマコトさん)の朋ちゃんの解説によると、平均年齢40ン歳(想像による)の女性ばかりのこのバンドは、ボーカルのマダム・ギターはじめ13人のメンバー全員がそれぞれの方面で素晴らしい活動をしている方ばかりだそうだ。
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メンバー:マダムギター長見順(うた、ギター)、かわいしのぶ(うた、ベース)、グレイス(うた、ドラム)、エミエレオノーラ(ピアノ)、江藤直子(ピアノ)、松井亜由美(バイオリン)、向島ゆり子(バイオリン)、yukarie(テナーサックス)、ヤマカミヒトミ(テナーサックス)、小森慶子(アルトサックス)、太田朱美(フルート)、浦朋恵(バリトンサックス)、関根真理(パーカッション)

繰り出されるのはオリジナリティとユーモア溢れるナンバーばかり。

Yaaaay!
サイコーに楽しい。

「ビーフorチキンって聞いてんのよっ!どっちなのよ!え?ブタなんか無いわよ!人生、どっちかなのっっ!!結婚か、それとも孤独死かなのよ!」

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エミエレオノーラさんのシャウトは、そんじょそこらの優柔不断なオトコどもを縮み上がらせる。



そう。
人生はいつも二者択一。

やるか、やらないか。
結婚も、コロコロも、早寝早起きも。

ああ。
歓喜の夜、大きな元気と勇気をもらってライブハウスから帰宅すれば、寝付いていなければならないはずの0:00am。

私の場合、選ぶのは簡単だけど、実行がとかく難しいんだわね。



渋谷、ドリームガールズ [マイハーベスト]

やばい。

マジに泣きそうである。
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渋谷ヒカリエへ、シアターオーブオープン1周年特別記念公演、ブロードウェイミュージカル「ドリームガールズ」を夫と観に行く。

夫とエンターテイメントを観に行くなんて、多分東京では20何年かぶりである。

師走は家族で第九を聴きに行くのが年中行事の偏った家庭に育ったので、結婚当初夫を無理矢理第九に連れて行き、イビキをかかれた時には仰天した。
12月ならくるみ割りでしょ、というのも実家の習慣のようなものでもあったので、さるクリスマスウィークに夫をバレエに誘って再びイビキをかかれ、落胆した。

それ以後、夫のイビキを気にしながらの芸能鑑賞には懲り懲りして、二度と彼をエンターテイメントに誘うことはしなかった。
趣味で音楽をやっていた次男が、そこはうまく私のdesireに合わせて付き合ってくれ、彼が東京にいる間は二人で年に数回オペラやバレエを観に行ったものだが、残念ながら2年前に彼もベトナムへ渡ってしまった。

・・・でここ2年、時折大学時代の友人S子とバレエを観に行く以外は、劇場に足を運ぶことが少なくなったが、NYで夫とミュージカルを観る機会には何回か恵まれた。
そこで彼はミュージカルなら何とかイケそうか、という感触があり(まあ、それでも途中何回かはイビキをかきそうになる彼を起こすのであったが・・・)、本場ブロードウェイから招聘したという公演を観に行くことになったのだ。

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ビヨンセが主演した映画も大ヒットした、ブロードウェイの金字塔的演目である。

「Sister Act」と「Mamma Mia」をNYで観て、私程度の英語力でもミュージカルは何とかイケるという感触があったが、今回は東京公演とあって字幕付きである!!

ご存知の通り、ハーレムにある音楽の殿堂アポロシアターを舞台にしたショービズ界のサクセスストーリー。

全員総立ち、やんややんやの大喝采のブロードウェイとは趣を異にして、日本のオーディエンスは大層お行儀がいいが、迫り来る感動はまさに同じ、キャスト全員が黒人のソウルフルな歌声は心臓を鷲摑みにする。


(ブロードウェイサイドで管理されているのか、あまりいい映像が出なかった・・・)

ゲリラ豪雨をかいくぐって、腰の重い夫を渋谷まで引っ張ってきた甲斐あり。

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この日57歳。

残っている年月は確実に歩いてきた57年より少ないけど、エフィーやディーナのように夢を忘れること無くいきましょう!

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皆様、素敵なお花をありがとう。

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夫からも。

こうやって日々、忙しくも楽しく、時折今日のように感動してくらせることに、ありがとう。


軽井沢、世界にひとつのプレイブック [マイハーベスト]

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こんなに軽井沢の山荘をありがたいと思う年も無い。

埼玉、東京は連日35℃である。
エアコンを途切らせることができなくて、身体が酸化していくのが分かる気がし、必死にビネガードリンクを補給する。

覚悟の渋滞を突破して碓氷峠を越え来れば、アウトレットモール渋滞のプリンス通りだって31℃である。
30℃越えの軽井沢なんて初めて見る。

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それでも森の中の山荘は期待どおり涼しく、開け放した窓から窓へ通り抜ける緑色の風が心地よい。

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原宿並みにごった返す旧軽なんかには絶対出ないぞという覚悟で、スーパーで食料をがっつり買い込み、DVDも4本レンタルして、夫婦で真っ昼間から万歳軽井沢宴会である。

さあ、束の間のお盆休暇である。

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ええ、ええ、分かりますともっ。
ちょっと酔って弾くピアノってサイコーなんだよね。
(ほんとうは4小節右手オンリー)

酔いが回って指先がおぼつかなくなれば、DVDを見まくるのみである。

「世界にひとつのプレイブック」(監督・脚本デヴィッド・O・ラッセル/出演ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ他)


それぞれ配偶者の浮気、事故死で神経を病んだ二人が出会い、ダンスの競技会目指して一緒に練習を重ねるうちに惹かれ合っていく。
見るべきは、二人を囲む多彩な人間模様の暖かさ、精神疾患への偏見など微塵も感じられないユーモラスな笑いだ。

見ているうちに、鬱病などほんとうに他愛のない神経の風邪ぐらいのもんだと思えてくる。

ロバート・デ・ニーロ演ずる賭け事にアツい父親の、病んだ息子を思う気持ちが大きく暖かく全シーンに染み透る。

素直に笑って泣ける、数少ないサイコーの映画だなあ、これ。

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自宅、わが盲想 [マイハーベスト]

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あまりの暑さに涼しい室内へ迷い込んだのだろうか、万策尽き果てたdragonfly。
一人ぼっちで閉じる生涯の最後が、せめて涼やかで平安であったと思いたい。

私は本に飢えてきた。

先月は卵子老化の本を3冊読んだが、これはこれですごく現実が重く、読書の世界へ心を解き放つ快感とはまた異質なものであった。

高校教師の仕事と家庭を誰の助けも借りずに切り回していた母が、よく、「今から布団に入って眠るだけ、という時が人生で一番幸せ」と言っていたように、私も、一日のすべきことをすべて終えてベッドの中で好きな本を読むのが人生で一番幸せな時間だ。
しかし最近行事が多く、暑さの疲れも手伝って、本を開いた途端というか、枕に頭を乗せた一分後には眠りに落ちるという日々を繰り返していた。

一晩か二晩で読める気持ちが明るくなる本はないか、と探して、大正解な本に出会った。

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「わが盲想」(モハメド・オマル・アブディン著/ポプラ社)

著者のアブディン君(彼の国スーダンではファミリーネームが存在しないため、分かり易く最後の名を使うことにしたのだそうだ。オマルでは子どもの頃にお世話になったアレを想像するしね、と彼自身の解説有り)は、19歳でアフリカから一人で日本にやってきた。

スーダンからの留学生は珍しくはあるが、それだけなら特別琴線に触れることもないだろう。

驚くべきは、ほとんどモノが見えない進行性の網膜色素変性症という病気を持っており、初めての外国日本を、彼が最初から実際には全く視覚的に捕らえることが出来ていないということだ。
その日本を、音声読み上げソフトを組み込んだPCを使い、自分の日本語で表現していく。
ゆえに、妄想ではなく、「盲想」なのである。

類い稀な努力(そんなことは一言も書いていないが)を重ねて、二重三重の壁をクリアーして書かれたはずなのに、文章はあくまで軽快、得意のジャパニーズオヤジギャグで彩られ、一気に最後まで読ませる筆致にも勢いがある。

視覚を除いた「四感」で彼が捕らえた日本は、冷静で本質的だ。

動詞と形容詞の活用の不規則さに苦しむところ。
生粋の日本人でさえも的確に使えている人は少なかろうと思う文法の問題。

非漢字圏から来た人々が必ずぶつかる同音異義語の存在。
漢字を実際に見ることが出来る我々でも間違い易いが、漢字の形を見ることが出来ない彼は、言葉遊びを使って楽しみながら壁を乗り越える。

せっかく4年間の履修チャンスがあるのに、最後の一年間は就活という同一魔法に取り憑かれて個性と学習を喪失していく大学生たち。

言論の自由が保障されている国に住みながら、政治の話しを面倒がって真剣に話そうとしない若者達。
民主主義と言論の自由の恩恵を、全く活用していない日本。

当初の目的であった鍼灸学校から自力で東京外語大の一般過程に入学し、晴眼者と同じ目線で直視した(・・というのだろうか?)日本感は、内戦続きで言論も行動も抑圧された祖国スーダンと比較して、鋭く、優しい。

よくある外国人から見たニッポンとはまたひと味もふた味も違う、爽やかな笑いに包まれる読後感は、偏に、その陰にあるマイノリティの壁を明るく打ち壊しつつ生きる才能と努力が、透けて見えるがゆえであろう。




ふじみ野、産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜 [マイハーベスト]

「有吉・マツコの怒り新党」

ワタシTV観ません、と言い切った後、これだけは観る、と言ったら、そんなに重要な番組なんですかと某銀行支店長に爆笑された。

水曜の夜11時過ぎ。
翌日のフラとJohnnyのレッスンの準備をすべて済ませて、やれやれと一息つく、ちょうどその時の放映だということと、性別が曖昧であるがゆえにニュートラルな立場からストレートに繰り出されるマツコ・デラックスの物言いのファンでもあるからだ。

だいたいは疲れ切った頭でぼんやり受け流して聞いているが、ちょっと前に彼女(彼?)のコメントに「おっ」と耳をそばだてたことがあった。
検索したら出てきたので、一応載せておく。
http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-75f6.html

その数日前に、産科医の夫が話していたことと重ね合わせ、この人って本当に世の中で問題にすべきことを真っ当に嗅ぎ分けてるなあって気がした。

日本で少子化への危機が叫ばれ始めて久しい。

よく言われる原因は、経済的な問題や環境を含めた社会の構造的な面だが、我が国の政府が抜本的な対策をそこに積極的に打ち出しているかというと、決してそうではない。

少子化は、単純に考えても、超高齢化の近い将来における納税者が減ってしまうことであるから、国家の存亡に関わる問題であるはずなのに、である。

加えて、昨年6月に放映されたNHKスペシャル「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」は、子どもを産む女性の生理学的な根本問題が、我が国では全く議論されて来なかったという現実をさらけ出し、新たな少子化の原因を世に問うてみせた。

その取材班の記録がこれである。
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「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」(NHK取材班/文藝春秋)

私のような立場の者が、この問題についてあれこれ言うことに抵抗を感じる方もおられるだろうし、何の苦労も無く二人の息子を産み育てた私などに苦悩が分かってたまるものかと思われる方もあろう。

私の周囲には、ここで取り上げられている年齢に達してなお子どもを持たない人もいれば、不妊治療を受けた知人もいるし、治療をする立場の親戚もいる。

しかし、不妊治療も含めた産科医療という大きなくくりの中での仕事に従事する者として、この本を読み、ここに書くことも、もしかしたら不足していた情報の網の小さな一部分になるのかも知れないと思い、あえて書くことにしたことを始めにお断りしておく。

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「女児が持つ卵子の元となる細胞が最も多いのは、まだ母親の胎内にいる時で約700万個。それが赤ちゃんとして生まれでる時にはすでに3分の1以下の200万個に減る。初潮を迎える頃には約30万個となり、35歳頃には数万個にまで減ってしまう。量と共に卵子の質も確実に下がる。精子は毎日作られるが、卵子は生まれた時からずっとあるもので、決して新しく作られることはなく、日に日に老化していくものだ」

だから出産のチャンスは、日々(35歳を過ぎたら年々というスケールでは遅すぎる)失われていく。

事実、取材班がデータで挙げた、40歳過ぎてからの自然妊娠の可能性と不妊治療成功の可能性のパーセンテージは驚愕の低さである。
ここではあえて書かない。

夫はことあるごとに、それこそ飲んだ席でも、世間話の最中でも産科医としては常識のこの話題を語るが、男性はもちろん、まさにその年頃の女性も、ほとんどの方が「知りませんでした」と言われる。

いかに日本の教育が生殖分野に関しては、避妊にばかりかまけ、妊娠の可能性について論じて来なかったかが伺える。

この取材では、大きく分けて二つの問題が提示されている。

一つは、不妊治療を受けさえすれば40〜50歳まででも妊娠・出産が出来ると考えている女性が多い現実を踏まえて、卵子は老化していくという医学的な情報の周知徹底がなされてこなかった日本社会の問題。

もう一つは体外受精件数、クリニック数ともに世界一でありながら、成功率が世界最低レベルである我が国の不妊治療方針への疑問である。

何度か違うテーマのついでに書いたと思うが、私が大学を卒業した1979年には雇用機会均等法がまだ無く、4年制大学卒業の女子の採用は(大っぴらに)無かった。

4年制大学に入ることは就職しませんと公言するようなものだから、22歳で卒業して、23歳で結婚して、25歳までには子どもを産む。
呪文のようにそれを私に叩き込んだ社会は、卵子老化の知識をもってそうしたのだろうか。

1986年雇均法が施行され、女性の権利は(我々の頃に比べれば)飛躍的に向上した。
しかし、それによって結婚が遅くなって子どもが作りにくくなるという懸念は、法律を制定する側にも全く無かったようだ。

我々の頃は揶揄されるネタだった「マル高」(1993年以前は30歳、以降は35歳以上の妊婦が母子手帳に押された高齢マーク)も1999年には廃止された。
少なくとも、卵子老化の知識は無くても、この頃までは30歳以上の初産はリスクが伴うというマネージメントは社会全体にあったのに、女性の社会進出がさかんになるにつれ、そのイエローカードがひとつひとつなぜか取り払われていったようにも感じられる。

TVでは芸能人がさかんに不妊治療によって40歳を過ぎて子どもを授かったことが流布され、いつしか出産のリミットは高度医療のもとに無くなったように錯覚されだしたのだ。

また、日本の不妊治療の成功率が著しく低いのは、先進諸国が妊娠の可能性が低い年齢には治療に制限を設けているのに対し、日本にそれが無いからだ。
そもそも日本には不妊治療のあり方についての法律が無く、医療機関は日本産婦人科学会のガイドラインに基づいて治療を行っている。

また不妊治療を始める年齢も他先進諸国と比べて突出して高く、ここにも妊娠は年齢との闘いであるという常識が抜け落ちた日本社会が浮き彫りになる。

女性の社会進出と、妊娠・出産はいつも裏腹だ。
それが両立する社会が理想なのは間違いが無いが、残念ながら現実はそうではない。

女性が子どもを持つことと社会の立場を維持することとの両方を獲得するためには、社会と個人がタブー視されていた卵子老化の認識を共有し、議論の俎上に挙げ、落としどころを探っていくしか方法は無い。

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知らずに後悔することのないよう、
知識を持った上で人生の「選択」が
できる社会であってほしい。
それが私たちの考えだった。

ーNHK取材班ー



上野東京文化会館、白鳥の湖 [マイハーベスト]

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「白鳥の湖」は私にとって特別なバレエだ。

どんなに頼んでも、両親はバレエを習うことを許してくれなかったが、父はその代わり一枚のレコードを私に買ってくれた。

レコードだから、そこから得られる情報は音楽曲だけなのだが、幼稚園生の私はその盤の溝が無くなるくらい(実際はそんなことは無いが)聴き込み、角が摩耗するくらいジャケットの数枚のバレエ写真と解説を眺めて、舞台のイメージを膨らませていたものだ。

大学時代の友人S子とは、お互いの誕生日に「白鳥」の舞台を招待し合う仲だ。
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(S子!その帽子目立つよ!!私の目尻の皺も目立つけど)

何を隠そう、私と違って実際にバレエを習っていたというS子は私以上の「白鳥」ファンで、世界中の「白鳥」を観て歩きたいとのたまう。
だから、私は確実に年2回は「白鳥」を観るし、S子に至っては子育て終了専業主婦という特権を生かして、さらに頻回観まくっていると思うから、そりゃーオディールの32回転だの、4羽の足並みだの、テクに対しても一言、いや二言も三言もありまくる。

飽きないのか、そんなに同じプログラムばかりとお思いかも知れないが、これがバレエ団ごと、演出の違いごとに全然違うので、毎回新鮮な驚きが存在するのである。

今回はS子の誕生日で、私が英国ロイヤルバレエ団の日本公演を数ヶ月前からゲットしてあった。



今回の公演ではもうひとつの「不思議の国のアリス」の方が評判になっていたが、やっぱりS子とだったらこっちでしょう!

S子は数回目、私は初めての英国バレエだったが、いやー、おもしろいのなんのって。

びしーっとつま先の角度まで揃っている職人技的なボリショイバレエとも、淡い色で統一されたロマンティックなパリオペラ座バレエとも全く違う、何だかシェークスピアの劇の舞台を観ているようなドラマティックでエンターテイメント性の高いステージ。

S子に言わせれば、構成も斬新だが、舞台芸術と衣装が重厚でものすごくお金をかけているのが分かるということだ。

お酒の飲めない主役のS子を差し置いて、私は幕間と終了後のバーでシャンパンを飲み続け、久しぶりのバレエナイトを堪能したのであった。


白鳥たち登場のシーン。
幻想的で大好きな一場面。


自宅、なぜ美術品は盗まれるのか [マイハーベスト]

「俺さ、一番好きなのはターナー」

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え、それ私が言ったんじゃなかったっけ?

何かの拍子でぽろりとこぼれ落ちた次男の言葉は、19世紀ロマン主義絵画の巨匠ターナーを愛するがあまり、10年ほど前の初訪英では真っ先にテムズ川河畔のテート・ブリテンへ足を運んだ私をびっくりさせた。

自分の好きなものは当然家の中に氾濫するので、知らず知らずのうちに息子たちが同じ傾向のものを愛するようになるっていうのはあり得る。
当時自分が夢中でやっていたテニスに長男がのめり込み、次男が医学とは別の芸術系の方面に進みたがるのを、内心しめしめとほくそ笑んでもいた。

こうやって、ちょこりちょこりと自分の痕跡を息子達の人生の中に残しておくのも、子育ての醍醐味なんではなかろうか。

ターナーに関しては無論実物(後で触れる評価額参照)が家に存在するわけもなく、画集も1,2冊がひっそりと本棚に棲息しているだけなので、彼らの目に触れたとは考えにくい。

なのに、10年以上別々に暮らし始めてから、唐突に同じ画家とはなあ。
私、どっかでターナーだったかしら。

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「美術品はなぜ盗まれるのか」(サンディ・ネアン著/中山ゆかり訳/白水社)

1994年、テート・ブリテンがフランクフルトのシルン美術館に貸し出し中の、19世紀英国絵画の巨匠ターナーの後期代表作2点が盗まれる。
本著は、2000年にそのうちの1点を、2002年にもう1点を取り戻したテートの学芸員が静かに語る捜索の一部始終と、著者がその事実をもとに考察した美術館の使命、倫理観論の二部構成からなる興味深いものである。

名画の強奪事件と言えば、しばしばスキャンダラスで面白おかしい映画やドラマの恰好の材料となる。
それは著者も書いているように、美術品窃盗は「贅沢な」犯罪と見なされ、児童虐待や殺人、テロに比べればシリアス度数が一般論では低いからである。

しかし、世界に1点しか無い、しかも「盗まれました」と大々的に報じられている絵画を盗んでも売り払うことなど身が危うくて決して出来ないのに、なぜ、名画の盗難事件は後を絶たないのだろう。
まさか犯人が自分で眺めて悦に入るためではないだろう。

というわけで、その疑問に本著がずばり答えてくれる。

犯人の目当ては、美術館が作品を取り戻すために出す巨額の「身代金」である。

もちろん身代金の支払いは、犯罪組織を付け上がらせ、同様の犯罪を誘発することになるので、厳しく禁じられている。
しかし、ターナー盗難事件の特殊な点は、保険会社から支払われた2400万ポンド(約37億円!!保険会社も大変です・・・)という巨額の保険金の一部を、ちょっと複雑な協定によってテートの自己裁量によって使えるようになったことから、ドイツの情報提供者に1000マルク(約5億円)を支払い、絵画の奪還にこぎ着けたことである。

当時、建設を検討されていたテート・モダンの開館資金にも保険金の一部をちゃっかり充ててしまったというから、うーむ、テートなかなかやるなって感じである。

読み進むうえでは、この絵画を巡る複雑な金銭のやり取りが、ポンドやマルクや米ドルでガンガン出てくるので、すぐに財布の中身が分からなくなる私は往生し、遂には円に換算したメモをいちいち記しながら読む羽目になった。
この提示され、あるいは実際に支払われた金額こそが、「なぜ美術品は盗まれるのか」を明白に語るカギだからだ。

こう書くと、なにやらお金にまみれた生臭いストーリー展開を想像されるだろうが、そこは格調高い学芸員の語り口がもの静かで品を失わない。
巨額の金の行き来の中で、彼らが何としてでも絵画を取り戻したいという使命に燃え、悩み、犯罪に苦しみながら、気の長い交渉に取り組んでいく姿が印象深い。
二部の彼の美術考証がさらに視点を高みに引き上げる。

2点で37億円とは、一般庶民には想像もつかない値段であるが、画家自身が代表作やスケッチをまとめて寄贈したというテート・ブリテンのターナー・コレクションはそれは見事で、案内してくれたロンドン在住のリンと数時間堪能したのを、まるで昨日のことのように思い出す。

一歩間違えば、犯罪組織の巨額資金ともなり得る美術品を保有する立場から、表に出にくい窃盗犯罪の交渉や構造を世に出すことによって、美術館の役割やモラルを問いかけようとした著者の目的は果たされたように思う。

読みながら、なぜ次男があの日唐突にターナーへ言及したのか、私の意識はそこへ行きつ戻りつしたのだけれども。

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祝・クルム伊達公子、ウィンブルドン2回戦突破。




軽井沢、観光コースでないウィーン [マイハーベスト]

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碓氷峠で濃い霧を慎重に抜け出ると、軽井沢は湿度がほとんど感じられない爽やかさが出迎えてくれる。
夕べは都内でドラムレッスンを受けて、夕刻遅く山荘に到着してコニャックあおって寝てしまったが、今朝は洗濯物を干したデッキでミナサンが思い思いに散策にふける、いつもの山荘光景である。

すでに蝉の声が森中に響き渡っている。

習い始めてようやく2ヶ月のドラムレッスンが楽しい。

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多くのドラム習得者がそうであるように、自宅にはリアルドラムが無く練習はゴムのバットを叩くしかないので、本当に面白くなくて悶々とするんだけど、それでも毎日必ず叩くことにしていると少しは進歩があるようだ。

「おっ、ニシジマさん、左足がついてきた!感動っ!」
と盛り上げてくれる先生の一言で単調な自宅練習の鬱鬱が吹っ飛ぶくらいだから、夫がプリティな先生に「すばらしいですっ!」と毎回言われてどんどん練習にのめり込んでいくのを、鼻で笑ってるわけにもいかんだろう。

ミドルエイジには褒め言葉。
これからプロになろうなんてゆめゆめ思わない気ままさがこの年代のメリットだから、自由に楽しく盛り上げればいいのだ。
先生方、そのへん、よーく分かっていらっしゃると思う。

実家は、夕食後父の号令の元に家族揃ってブラームスやらモーツァルトやらを鑑賞するような家だったが、独善的だった父への反抗からか、夫が音楽に興味が無かったからか、自分が作り上げた家庭は息子達が勝手に楽器をいじっていた時期を除いて、長い間音楽過疎地域であった。

今、夕食後のひとときに夫がピアノの練習を始めれば、私もそれに適当な伴奏を付けたり、彼の練習が終わるのを待ってドラムの練習を始める。

家の中に音楽がある流動感のようなもの。
子どもの頃の皮膚感覚が蘇るようだ。

秋に、もし父とクロの容態に変化が無ければ、一人でぶらりと音楽の都ウィーンあたりに旅にでようかと思ったりする。

そんな時に手にしたのは、音楽とハプスブルグ家の栄光に彩られた観光用のウィーンではなく、第二次世界大戦でナチスに加担した過去を今、ようやく認めようとしつつあるオーストリアという国の影の部分を解説した本である。
(ちょっと珍しいガイドブックかと思って手に取ったというのが正直なところ)

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「ウィーン〜美しい都のもう一つの顔」(松岡由季/高文研)

ヨーロッパの王家の中でも名門中の名門であったハプスブルグ家は一時は、オーストリアを中心として、現在の東欧・中欧のほとんどを領土支配し、栄華の限りを尽くしたが、第一次世界大戦の敗戦で一族の歴史は幕を閉じる。

ハプスブルグ家という巨大なアイデンティティを失い、ひとかどの小国と成り下がったオーストリアは、その頃ぐんぐん台頭してきたヒトラー率いるドイツと併合して失った力を取り戻したいと考え、「ドイツ・オーストリア共和国」という名前で再出発を果たした。

ポーランド下のホロコーストは有名だが、当時首都ウィーンにも人口の一割を占めるユダヤ人がおり、第二次世界大戦中、同じようなユダヤ人迫害が「オーストリア人の手で」行われた。

第二次世界大戦でナチスドイツが倒れ、ドイツが世界中からの非難と断罪の中で反省と償いに追われる中、オーストリアのとった政策は「自分たちはナチスに強制されてホロコーストに関わったのだから、謝罪も償いも必要だとは思わない」というものだった。
教育の場でも一切その過去については触れられず、多くの子どもたちは自分のおじいさんがユダヤ人迫害に関わったことを知らずに育ったのだと言う。

1986年にオーストリア大統領に、国連事務総長も務めたワルトハイム氏が選出され、氏が過去にナチスに関わっていたこと、「我々は(ホロコーストに関しては)義務的にやっただけで良心の呵責はない」と演説したことで、世界中から非難の声が上がる。

ワルトハイム大統領は世界から孤立し、アメリカが彼の入国ビザを拒否する事態に至って、オーストリア国民はショックと共に自分たちがユダヤ人迫害に関する清算を十分にやって来なかったことに気付く。

1988年、ワルトハイム氏が世界に向けてナチス加担を事実だと認め、謝罪したことによって、オーストリアはその償いに乗り出す。
わずか25年前、日本は独走状態のバブルに踊っていた頃である。

これを読んで真っ先に日本という国を思う。

歴史を詳しく勉強していないので、またもしオーストリアと同じように我が国の教育も政策に統制されていたとしたら、私も、戦後の日本人のほとんども、日本が本当に何をしてきたかを未だ知らないのではなかろうか。

歴史は複雑で、時代の勢力や思想の流れで、間違いを犯すことは往々にしてあり得ることだ。
もしそれに気付いているのだとしたら、清算に向けての一歩を踏み出す勇気を持つべきだろう。

オーストリアには良心的兵役拒否という、兵役につく代わり、それより長期間で賃金も低い病院や福祉施設で働く制度が設けられている。
ワルトハイム事件後の1992年からは、若者がホロコースト記念館や追悼施設で働く「追悼勤務」も選択肢に加えられた。

自分のおじいさんがホロコーストに加担したと知り、「自分は生まれてきたことを恥ずかしく思う」と言った若者たちは、心の修正をこういう場所で行うのだ。

7年前にオーストリア政府観光局主催のプレスツァーに紛れ込んで、優美な舞踏会やら甘美なカフェ文化といった観光局イチオシの部分を堪能したが、再度訪れる機会があれば、違う角度からこの都市の懐に入って行ける気がする。




自宅、ボヴァリー夫人 [マイハーベスト]


タンタンタンタンというシンプルなドラムのリズムが印象的な、グラミー賞最優秀新人賞とソング・オブ・ザ・イヤーに輝いた"We are young"。
このドラムバージョン、背中の方から撮って欲しい。(左右がこんがらかるわ)

ドラムを始めて1ヶ月。
ファッションの傾向が激変である。

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バスドラムのペダルを踏むために、ヒールのある靴が履けない。

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両足をがばと広げて座るので、スカートもNG。

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冬はブーツでいいだろうが、この季節は必然的にジーパンにスニーカーかローヒールのペタ靴しかない。

それでなくとも足の短さゆえか年のせいか、バスドラの音量が足りないと言われているので、もう背水の陣を敷いて、美しげなハイヒールなんぞは封印するしかないのである。

過去に二輪の教習を受けた時に、世間一般のイメージとは違って服装も髪型も持ち物も限定されるのが結構衝撃的だったが、今回のドラムはそれに次ぐ異文化である。
ライフスタイルはファッションを機能性が限定して初めて形作られるものだと思い知る。

還暦に数年で手が届こうという、少しは飾らないと薄汚く見える歳でまさかのカジュアルダウンへ走るベクトルも数奇だが、150年以上前、女の好奇心はここへ向かうしかなかったのだろうか。

60歳近い凡庸な田舎医者ボヴァリーの美しい妻エマは、夫との退屈な生活に嫌気がさし、虚栄と不倫を重ねて破滅を迎える。
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「ボヴァリー夫人」(ギュスターヴ・フローベール著/生島遼一訳/新潮文庫)

若い時に読んでおくべき名著と言われるもので、まだ読んでいないものを、一冊ずつ潰していくような気持ちで文庫本を読みあさるが、まー、これは正直手こずった。

フローベールが写実主義の創始者という名声を得た作品だが、言ってしまえばストーリーは前述の一文で終わってしまうほど単純。
今ならR指定にもなり得ない話しだが、当時は風俗紊乱(ふうぞくびんらん)・宗教冒瀆のかどで起訴されたというから、いかに二人の男と道ならぬ恋に走ったエマの行状が一般的でなかったかが知れるというものだ。
(あ、今も一般的ではないですか)

ストーリーが何も意外性が無く単純そのものであるのに対し、何がすごいかと言えば、微に入り細に入る、主観を一切排除した正確無比な視点で捉える物事の写し取り方で、その細かさ故の圧倒的な文章の分量に押し潰される。

私生活においても父が市立病院長だったフローベールは、エマに徹底的にないがしろにされる夫シャルルにも医者の職を選んでいる。
名声を博した写実は、ゆえに正確で科学的な分析力によって培われ、サント・ブーヴには外科用のメスのようだと言わせている。

不倫に走る夫人といえば、艶かしい熟女を思い浮かべるが、フローベールの「メス」をもって写し取られたエマはどこか無邪気で恋を夢見る少女のようだ。
一切主観を介入させないように見える表現の中に、唯一見え隠れする著者の女性観なのかも知れない。

読んでも読んでもなかなかストーリーが進まないので、寝る前に2、3ページ読むとぱったりと本を取り落としていつの間にか眠っているという日が続いて、絶好の睡眠導入剤となってしまった。

反省。




軽井沢、シッコ [マイハーベスト]

施設からのデイリー・リポートで、父がまた食事と入浴を拒否しているというので、彼の好きそうなものを見繕って訪問することにする。

朝8時に車で家を出発、午前中は白金三光町の聖心でJohnny(がたぶん渋々引き受けている)のグループレッスンに参加する。
レッスン後すぐに首都高に飛び乗り、そこから常磐道に出てひたすら北上。

父がすねている原因は、向精神薬との相互作用のため大好きなブランデーを取り上げられたせいと分かっているので、2、3本を持参してナースステーションに預け、管理付き晩酌の許可をお願いする。
ブランデー獲得に成功した父は、持っていったできたてのあんパンとルビーのような佐藤錦を次々に頬張り、お風呂もせめて3日に一度は入ると約束した。

この人、北朝鮮だなと思う。

父の施設訪問の帰りには、彼がとうに放り投げてしまった母の墓所を、いつも一人で訪ねる。
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湖面が見下ろせる斜面に立つ簡素な墓石の下の母は、北朝鮮父に支配され続けた人生を閉じて、今はきっと安らかだろう。
ようやくこの頃そう思える。

日が西に傾きだしたのを合図に、再び常磐道にのり、外環から関越に入って上信越に分かれて碓氷峠を越えて軽井沢の山荘に到着。(北関東道を走った方がやや短いらしいが、道が単調で慣れないのでこちらを選択)
日曜、山荘で用事があったので無理矢理走破してきたが、水戸→軽井沢間だけで走行距離250km。
朝家を出てからトータルでは400kmくらいか。
愛車は疲れも見せず、きつい坂道をぐんぐん他車を追い抜いて登り、たくましい。

犬たちを連れて出るシチュエーションではなかったので、夫が家でミナサン(トイプー3匹)を見てくれることになっており、考えてみれば初めてのミナサンのいないたった一人の軽井沢である。
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一人の長い夜、マイケル・ムーア監督の「シッコ」を観る。
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西側先進国の中で唯一国民皆保険の無いアメリカの医療保険制度への抗議を、ユーモアを交えたドキュメンタリーに仕立てたこの映画は、2007年の公開時、現地アメリカで同時公開の「ダイハード4」より遥かに多くの観客を集め、注目を浴びた。

アメリカという全世界を席巻してきたダントツの先進国が公的な保険制度を持たず、「医療の沙汰も金次第」であることは我々も何となく知っている。
フランス国籍を持つ息子の友人Phillipeが、深刻な病状にあるお父上がアメリカで受けている劣悪な医療制度に心底不満をぶちまけていたのも聞いている。

しかし、ここまでとは思わなかった、というのが正直な感想である。

特に自前で医療費が払えなくなった入院患者を、病院側が無理矢理タクシーに乗せて連れ出し、路上に「捨てる」現場を捕らえた映像はショックだ。

我々日本人が当たり前のように持っている小さな一枚の健康保険証カードを持たないアメリカ人は5000万人。
彼らは自分の命が財布の中身次第の長さだと知っている。

公的な保険が無いので、高額な医療費が必要な時のために加入しておかなければならない民間の保険も、まず入る条件は厳しく、運良く加入できたとしても実際に実行される時には審査でかなりの数が拒否される。

こうして医療から遠ざけられた人数は、先進国の中で乳児生存率、平均寿命とも最低という順位に反映されている。

比較されるフランスやイギリスの公的医療制度の優秀さは驚くばかりだが、その陰の高額な税金などには触れられていないことはややアンフェアな気も。
しかし医療に関与するものの端くれとしてその国々の制度は見習うべきと考える。

独裁者の統治する貧しい国とされる隣国キューバの皆保険制度のもとに、アメリカの医療制度に苦しむ人々を連れてマイケル・ムーア自身が乗り込む場面は、現実をやや誇張しながらユーモラスに仕上がっている。

しかし、彼も何度も独白を繰り返しているように、他国の優秀な部分をいつでも受け入れてきたアメリカがなぜ皆保険制度を導入できないのか、その見えない巨大な力関係の複雑さを思うし、TPP参加によってこんな医療制度が日本に流れ込んでくることになるのだろうかと大いに危惧もする。

しかし一方、バリバリ反政府のこんな映画がなんの規制も受けず、市中に公開されて絶賛される自由を保障されているのも、またアメリカなんだと思う。


自宅、私デザイン/白雪姫と鏡の女王 [マイハーベスト]

ここ1週間、風邪のせいで声が出なくなってしまい。英「会話」が出来なくなり、そうすると余る時間ができたので、去年公開された「白雪姫と鏡の女王」(監督:ターセム・シン/衣装:石岡瑛子/ジュリア・ロバーツ/リリー・コリンズ)をDVDで観た。

あのジュリア・ロバーツ初の汚れ役も話題だったが、何と言っても公開を待ちわびたかのように死去された日本人舞台衣装デザイナー石岡瑛子さんがコスチュームを担当したということでプレミアムがついた映画だ。


もう、それはファッションではなくアートだ。
中世のフォルムを取り入れながら、モダンで建築的な立体感を持った衣装の数々は、このムービーを彼女の壮大なコレクション会場に仕立て上げる。

意地悪な女王の衣装は、ゴージャスだけどみんなツンツン尖っていて、パーティもわざと悪趣味な色彩の組み合わせで構成される。

かたや、ただ王子のキスを待つばかりではない現代的な解釈で演じられる白雪姫には、前半のファンシーな色合いから脱皮したブライトカラーの生き生きした衣装が与えられる。

オペラの衣装やオリンピックのコスチュームを手がけてきた石岡さんの衣装が主役の映画だと言っても過言ではなかろう。

その石岡さんの仕事をまとめた著書、「私デザイン〜I DESIGN〜」。
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(石岡瑛子著/講談社)

数々の賞を獲得した輝かしい人生は、彼女のいつも「切羽詰まった」時に頭をもたげてくる「熱気」(zest)によって裏打ちされている。
日本を見限って海外に活躍の場を求めて、三島はじめ日本の文化を彼女の感覚で外側から捉える発想が、独自の世界を構築した原点になろう。

http://1000ya.isis.ne.jp/1159-2.html
松岡正剛「千夜千冊」にも、交友録を交えた論評が載っているので是非。

風邪が癒えたら、洗いざらしのジーパンで短い爽やかな季節の中へ飛び出そう。

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この初夏は、コンサバもロックも通り過ぎて、こんな感じが私かな?




軽井沢、護りと裏切り [マイハーベスト]

ゆっくりしてこいよという夫の言葉を鵜呑みにして、昨日と今日はミナサンと私だけの軽井沢。
こうなったらもうこっちのもんである。
やることはいっぱいあるんである。
ゆっくりなんてあり得ない。

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まず、先々週レッスンがスタートしたドラムの練習。
なかなか家では練習する時間も場所も見つからないから、山荘生活ではかなり期待してたんである。

まだ練習用パット(ゴルフかと思った)を買っていないので、VOGUEやらSATCの雑誌、ペーパーバックを重ねて叩きまくる。
エア・バスドラムの右足がたちまち筋肉痛になる。
電子ドラムってやつ、山荘に買おうかなあ。

最初、ハイハットとスネアとバスドラムが規則正しく4分音符を刻んでいる時はチョロいと思ったが、だんだんあっちを8分音符にしろ、こっちを一拍抜け、とリズムが複雑化してくるにつれ、若いモンに置いていかれるようになる。(クラスは若者2人+中年2人)

明らかに脳から出した指令が手足に行き渡るスピードが、彼らに比べて確実に遅いんである。

前途多難。

しかし◯マハのプログラムはさすがによく出来ていて、教則本についてくるCDの曲はみんなノリがよく、これが叩けたら気持ちいいだろうなあと素人耳にも心地よい。
やり始めたら1年は絶対に止めないマイルール、心に留め置く。

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本だってこのチャンス(なんのチャンス?)に読み貯めたい。
この頃浮かれたシャンパンは卒業、コニャックちびちび派。
グラス片手に、普段あまり読まない本格ミステリに明朝の起床時間を気にせず没頭する素晴らしさよ。

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「護りと裏切り(原題:DEFEND AND BETRAY)」(アン・ペリー著/吉澤康子訳/創元推理文庫)

1992年、米国のミステリ情報誌『ミステリ・シーン』のアメリカン・ミステリ賞最優秀伝統ミステリ賞に輝いた大作である。

舞台はクリミア戦争(1853~1856年)直後のロンドン。
貴族階級が厳然と社会を支配していた大英帝国の思想と背景が、そのまま事件の勃発と解決への重要なファクターとなる。

強靭な植民地政策の要たる英国無敵軍隊の将軍カーライアンが、豪邸での晩餐会の最中にホールの階段から落下して、飾り物の甲冑の剣に射抜かれて死亡する。
そして彼の妻アレクサンドラが殺害を自供して投獄され、夫に歯向かった女性が当然受けるべきとされていた極刑縛り首を待つ身となる。
殺害の理由は夫の浮気への嫉妬とされる。

それで事件は難なく決着を見るものと思われたが、被告人アレクサンドラの弁護人と私立探偵モンク、看護師へスターは自分たちの指し示す「理由は他にある」という勘に導かれて調査を開始する。
次第に露になっていく貴族社会の背徳の闇。

当時、一般庶民には満足に娯楽など与えられない時代。
自分たちを支配する高潔な軍人貴族の醜聞と縛り首というアトラクションは、庶民の最大の関心事となる。

今でさえ厳然とした紳士社会が存在するイギリスの当時において、女性の地位は夫の所有物としてだけ存在した。
特に貴族社会においては、その家系に生まれ、あるいは嫁いだ者は自らの命やどんな犠牲を払ってでも名誉と財産を守るべきとされており、きらびやかな生活の見返りに伝統の重みと苦しみを背負うのであった。

本著のハイライトは何といっても3分の1後半から始まる白熱の法廷シーンだが、そこで息を呑むおぞましい事実を証人に暴露させるための伏線として、その前の470ページにも及ぶこの時代の描写が必要だったのだろう。

前半、微に入り細に入る長文の記述にやや読み疲れるが、公判シーンに突入した途端、一気に読まずにはいられない興奮が全身を襲う。

しらじらと明け始めた窓にかかった白樺の枝から、早起き鳥のさえずりが聞こえる。






自宅、レベッカ [マイハーベスト]

なんで、また?!

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そりゃー、56歳がいきなりドラム始めたら、誰もが驚くのである。

日本国民の7割以上が「56歳の習い事は詩吟か俳句」って思ってるってことがよく分かった。

ハイパー婆様(長男)
仮想ロックおばさん(友人)
暴走老人(someone)
・・・(絶句。夫)

周囲の反応はこんなもんである。

ものすごくドラムやりたいって懇願した訳でもなく、そもそもオペラだバレエだとコンサバ指向で、ドラムで飾られてるロックな曲に馴染みがあった訳でもなく。
たまたま遊びに行った友人宅で「やってみなよ」とスティックを握らされ、『君の瞳に恋してる』に合わせて簡単な8ビートを叩いてみたら、いやー、これは結構体育会系だなー(もともと体育会系好き)と思ったのが始まりである。

メロディを奏でないリズムだけの楽器は新鮮で、それこそ身体で乗っていかないと何も始まらない。
両手両足が音楽的ノリだけを共通項にして別々に動くのである。
20年前に挑戦した二輪免許取得以来の感覚で、昔やったピアノとは全く楽器として異質なものである。

「僕が教えるから」と強引な友人に半ば強制されるようにスティックを押し付けられて帰り、気が付いたら、ヤマハの「大人の音楽教室/ドラムクラス」の体験レッスンのスツールに座っていた。

ベルリッツを3月いっぱいで止めて、何か新しいことにチャレンジしようと思っていた矢先でもあった。

大人の習い事のコツは、経済的余裕を有効活用して個人・グループ両レッスンを同時進行して、ある程度まで初速に乗って自分を引っ張り上げることだと思う。
若い時と違って知能も身体能力も低下しているし、何より残り時間が少ないのだから(笑)。

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夕暮れ時、ちょっと早めに仕事を切り上げて自宅にすっ飛び帰り、クラヴィノーヴァ(電子ピアノ)をバックにリズムを叩き出す。
人生の新しい幕が上がった気がする。

そう言えば、「レベッカ」という女性ヴォーカリストを擁したロックグループがかつてあったように思う。(すみません。今もあるのかしら?)

ハイパー婆様がここ2、3日夢中になったのはそっちかと思いきや、こちらである。

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「レベッカ」(ダフネ・デュ・モーリア著/茅野美ど里訳/新潮文庫)

1938年に発表されて英米でベストセラーとなり、1940年にはかのヒッチコックによって映画化されてアカデミー賞に輝いた作品だから、面白くないはずがない。
(映画は観ていないのだが・・・)

良き時代のイギリスのカントリーハウス、ゴシック、ミステリー、ロマンス・・・読者が面白い著作に求めるであろうすべてがこの一作に詰まっていると言っても過言ではない。

私はベン・ハーに夢中になった赤毛のアンよろしく、電車の中ではもちろん、クリニックの仕事中にもこっそりデスクの下に隠して盗み読み、きっかり2日間で文庫本の上下2巻を読み終える。
もう、どうにも止まらなかったのである。

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出だしはまるでマイフェアレディかプリティウーマンかメイドインマンハッタンである。(そう思えばこのテのストーリーはなんと多いことか!)

金持ち未亡人の話し相手に雇われていたフツーの女の子が、モンテカルロのホテルで出会った、有名な美しいカントリーハウス、マンダレーの若き当主に突然求婚される。
乞われるがままに結婚してマンダレーに移り住んだ「私」には、ことごとく当主マキシムの完璧な前妻レベッカと比較され、蔑まれる非情な日常が待ち受けていた。

日に日にレベッカの存在に押し潰され、マキシムの愛にまでも懐疑的になっていく「私」。
(このへんまでで作品の4分の3が費やされる)

マンダレーで催された大々的な仮装舞踏会を境に、物語は大変などんでん返しの渦に巻き込まれていく。

通俗的になりがちなストーリーに、気品と文学的な誇りを与えているのが、イギリス独特のカントリーハウス文学の表現だ。
ストーリー自体が、美しいマンダレーの管理保存を中心とした思想で進められていく。
お約束の忠実な執事の出番も忘れず頻回。

「ためになる」数々の名著はまず置いておいて、単純に物語を楽しむ趣向としては、これまで自分が読んだ作品の中で一位二位を争う。

ハイパー婆様、お勧めの一品。



自宅、美しいをさがす旅にでよう [マイハーベスト]

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春の大嵐の翌朝、ベッドサイドの小窓から差し込む光は陽気でパワフル。

二度挫折した巣鴨→日本橋中山道ウォーキングを三たび敢行する。

備えあれば憂い無しってことで・・・・
午前中のフラのレッスン着、プイリ(フラで使う楽器)、午後のJohnnyのクラスの資料、汗をかいた時の着替え、お水、タオルに、日焼け防止のストールと帽子・・・・
いやはや、スニーカーの次はリュック買えってこと?

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途中で休憩を兼ねたランチを取るつもりで、フラのレッスン終了後いつものモスにも寄らずすぐに歩き始める。

天気の良い日に、時間に追われることなく気ままに歩く道のりは本当に楽しい。

前回ギブアップした本郷三丁目で、今年初めての冷やしたぬきうどん(大好物)を食べ、ゆるやかに神田明神の前を下って神田川を越えると、もう日本橋は目の前。
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あっけなく7kmちょいを踏破。
所要時間、ランチ含めて1時間半。

普段地下鉄を使ってぶつ切りで都内を行動するから、エリアとエリアの関連性がよく分からないんだけど、山手線なんてきっとだいたい2時間以内で直径を歩ける円なんだろうなあ。

踏破後、さすがに疲れてJohnnyのレッスンまでの小1時間、神田駅前のスタバで居眠りしてしまったけれど。

Jレッスンの後は、友達と日銀通の路地裏で飲み夜遅く帰宅したので、何と密度の濃い一日であったことよ。
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心地よく歩き疲れた一日の最後の仕上げは、ミナサン(トイプー3匹)と共にベッドにもぐり込んで読む極上の一冊。
まるで美味しいものを一番後に取っておく食いしん坊のように、この時間をじっくり堪能するために過密な一日を作り上げると言っても過言ではないくらいだ。

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「美しいをさがす旅にでよう」(田中真知/白水社)

タイトルから、単純に世界の美術品散策みたいなものを想像したが、「美しいをさがす」のは「美しいものを探す」のとは違う。
モノや事象を「美しい」と感じとるスタンダードは、人種やバックグラウンドによって全く異なるという当たり前だが見逃しがちな視点を、豊富な渡航経験から実証する類い稀な著書である。

特に西洋と東洋の美術的な相違を、黄金比と白銀比(はくぎんひ)になぞらえて論理的に分析しようという試みのあたりはあまりにも面白すぎて目が離せなくなる。
白銀比という存在すら知らなかったが、ダイナミックな印象を与えるといわれる無理数の黄金比に対し、この比率の√2というきっぱりした数字は、静的な印象を与えるせいか日本で愛され、法隆寺はじめ日本古来の建築やデザインに多用されているという。
なーるほど、である。

後半、筆者の得意分野であるアフリカや中東のプリミティブな芸術性に言及したチャプターが多くなってくると、こちらの経験則の不足のせいでやや読みが緩慢になってくるが、コラムとして挟まれる筆者の彩色豊かな世界見聞録がそれを救う。

東京の部分部分に降り立ってあたかも全体を知ったかのように錯覚するのと同様、人の美への基準とは実はものすごく限定された範囲にしか通用しない個性的観念であって、世界の随所に「美しい」はそれぞれの思いをもって存在するのに、例えば「モナリザは美しい」という統一した固定観念にいつか囚われる愚かしさ。

自分の思う美しさとは何か。

それをさがす旅にでよう、と背中を押される気がする。




川越、スタッキング可能 [マイハーベスト]

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銀行の担当クンが婚約し、お相手も同銀行の見知った女の子だったので、お祝いの食事を小江戸川越のY屋でセッティングする。

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日本情緒が観光の目玉の川越でもトップクラスという噂に違わず、春の艶かしい夜の庭に開け放たれた古く広大な日本家屋は圧巻だったが、料理がショボすぎて気が萎える。
あの値段で、小鳥の餌みたいな作り置き可能タイプの皿ばかり出され、デザートも「この時間ではありません」(・・・ってまだ9時前だよ?)。

仕方ないので、ワインと日本酒で若い二人との会話を盛り上げるしか無い。
あー、これから3連チャンにつき、初日は飛ばすまいと思ってたのに。

「A部さん、ここに配属になるのは勝手だけれど、私を困らせないでちょうだいね」
「結婚式?私のことは呼ばないで頂戴ね。関わりたくないから」

この春、銀行きってのお局様が鎮座まします支店に移動になった彼女から聞く現代OL事情は、まるでドラマか漫画のようにティピカルなそれである。
昨日までくすくす笑いながら読んでいた小説を思い出す。

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「スタッキング可能」(松田青子/河出書房新社)

普通、通販やオフィス家具カタログの中でしか出会えない語彙がタイトルについただけで、それはちょっと異様で人目を引く。

さらにチャプターのタイトルはエレベーター内の表示パネルで示され、その内容が巨大ビルの何階で起こっていることなのかが分かるようになっている。

どの階にもA村やB田やC山がおり、A村とA田とA山は同じようなことを言い、同じようなスタンスでいる。

例えば5階ではA田とB田が「世の中の女が一人残らずCちゃんみたいだったらいいのにな」と、ふわふわの茶色の髪をして、男どもにアメちゃんどうぞなんて言いながらお菓子をくれるC田を絶賛している。
4階ではC川がケイトスペードのバッグから化粧ポーチを取り出してふわふわの茶髪で武装した自分を見つめ、11階ではC村が男どもに「ちゃん付けで呼ぶな。お菓子で追い返そうとしてアメちゃん食べますかと言ったのに、可愛いなあとテンション上げられて大迷惑」と毒づいている。

いきなりイマドキのギョーカイに放り込まれたような唐突さとおかしさを感じつつも、会社の階層にはどの階にも同じような人物が同じようにすれ違いながらスタッキングされているという、均一性というか統一性(何て言うんだろう、本人達はそれぞれ個性的なのに全体としてみると没個性っぽくなる感じ)が薄ら寒く感じたりもする。

小説というより漫画に近い。

この評価は的を得ていると思う。



自宅、かわいい自分には旅をさせよ [マイハーベスト]

巻き物フェチである。

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鶏ガラを連想させる首を隠すのと、上の方にボリュームを持ってきて良くないスタイルを良く見せるのと、巻けばセーター1枚着込むよりはるかに暖かいのとで、ワードローブのストールの数知れず。

ベトナムにいる次男の部屋で見つけたグレーや、凍えた出先で買ったMUJIの1980円。

これは、最近凝っているイタリアのFaliero sarti。
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一見ドレッシーでも、巻けばなぜかラフに決まるところがお気に入りである。

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気候の読めない海外ではなおさらの必須アイテム。

春のストールを巻いて、せめて活字の世界へ旅に出よう。

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「かわいい自分には旅をさせよ」(浅田次郎/文藝春秋)

それこそ白ストール巻いてそうなチョイ悪オヤジの旅の勧めかと思ったら、もちろんそれも含めての異色の出自から来る無頼な人生観を綴るエッセイ集である。
時に、「(ラスベガスに行くなら)てめえが命がけで稼いだ金、あるったけ持ってけ」と自衛隊出の勇ましさが痛快である。
三島由紀夫に感化されて作家の道を選んだというだけあって、国を思う気持ちもハンパない。

海外居住経験はなさそうだが、頻繁に国外へ出掛ける経験や見聞をもとに独特の人生論を展開し、日本は離婚率が低く、格差社会とはいえ比較的富が公平に分配されており、しかも医療の行き届いた長寿健康国家であるから、もっと夫婦が老後の海外旅行を楽しんでよい国なのにと残念がる。

そう、かわいい自分にもっともっと旅をさせよう。

とりあえず二人の息子を育て、次世代の納税者を世に送り出す義務は果たせたのだから、大好きなストールを巻いて旅に出よう。



自宅、ニューヨーク [マイハーベスト]

週末、旅をした。

前の記事で、日本を極めると宣言したばかりなのに、心は飛び立ってしまったのだ。

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一冊の本と地図を持って、マンハッタン島の南端バッテリー・パークからブロードウェイを歴史と共に北へ北へ。

1626年、周辺を植民地としたニューネザランド総督ピーター・ミニュイットが、先住民から約24ドル相当の小物との交換でマンハッタン島を買い取った「歴史上最大のバーゲン」によって、この島の歴史の幕は切って落とされる。
(これはアメリカ人独特のジョークらしく、史実として立証はされていないようだ)

総督はマンハッタン島の南端、現在のバッテリーパークの一角に「モグラの塚のような」要塞や先住民の襲撃に備えた木の防壁(ウォール)を築いて統治を始めたが、たちまち本土に植民していたイギリスに乗っ取られる。
時のイギリス国王チャールズ2世はこの新しい領土を弟のヨーク公に気前良く与え、ニューヨークという地名がそこに誕生する。

数年後、先住民に薪にされたりしていた弱々しい木の防壁はイギリス人によってあっさりと取り払われ、その跡地が今日世界に名を轟かすウォール街となる・・・・

いやー、もう読み始めから「そうだったのか!」の連続で、ぐいぐい引き込まれる。

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「ニューヨーク」(亀井俊介著/岩波新書)

本書は、あとがきに著者が自らそう書いているように、「1962年にはじめてニューヨークを見、心ひかれて、以後ちょうど40年間、機会があれば、というより機会を無理矢理つくってこの都市を訪れ続けてきた一旅行者の、観察記録にすぎない。」

しかし「この旅行者がたまたまアメリカ文化・文学の研究者だったので」、グルメ情報もショッピング情報も無い代わり、世にも面白く、何とも分かりやすい「ニューヨーク観光文化案内の試みの本」に仕上がっている。

マンハッタンの歴史の最初の一歩を刻んだ南端から、かつては尾根伝いの先住民の獣道であったブロードウェイを、筆者が市の発展・拡張と共に歩いて北上するという形で綴られる本書に従って、私も地図を取り出し、印をつけながら歩き(読み)進む。

南北に走るアヴェニューと東西に引かれたストリートが織りなす格子状の都市計画(グリッドプラン。この成り立ちがまた面白い)のように、地理を縦糸に、歴史を横糸に紡がれる簡潔で温厚な文章が、読む者をたちまちビッグアップルに抱かれた孤独な旅行者に仕立て上げる。

歩き始めから(つまり読み始めから)半時間ほどダウンタウンを歩いているうちに、ワールド・トレードセンターに突き当たり、その巨大な割に重厚感の無い出で立ちにじんわりと批判を加えているうちに、あの途方も無い事件が起こる。

筆者は付記として、9.11勃発がこの草稿が既に完結した直後だったこと、ツインタワーに対して冷たい言い方をしているが、事件で亡くなった方々に追悼の意を表しながらも、しかしあえてそのまま出版したことなどを添えている。
なぜなら、テロへの憎悪から一気に愛国心を昂ぶらせるNYを、とぼとぼと歩く旅行者の目でできるだけ平常心で眺めたいし、このようなことがあってもなお、NYは必ずそれを踏み越える力を持っている街だと信じたいからだ、と。

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I love NY.

そんな方には是非一読をお勧めしたい。

きっとこの本片手に、実際に歩いてみたくなること請け合いである。

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(MOMA=ニューヨーク近代美術館所蔵の日本のデザイン、Chapu)



自宅、美しき日本の残像 [マイハーベスト]

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「なんでそんなにRockなんだよ?」

インストラクターのChrisはニヤニヤしながら言うけれど、50代後半に差し掛かって、ファッションの傾向が急にとんがってきたのは自分でも感じる。

コンサバじゃあよけい老けるし、到底ガーリーでもあるまいし、困窮する周囲の環境のせいで、ともすると萎えそうになる気持ちをハードな皮底ブーツでガンと蹴っ飛ばしてくれる勢いが今の自分に必要だってことだ。

ユニクロのウルトラストレッチジーンズをこの冬は3本買う。
一番小さい22サイズが体型にぴったり合い、バイカーブーツやハードなスタッズのついたブーツに合わせて毎日履くヘビーローテーションだ。

ユニクロ、欲しいものが分かってるって気がする。

問題はファッションの左傾化(ロックは左傾?)ではなく、ファストファッションが結果的にデフレの旗手となったことでもなく、なぜ自分の気持ちがデフレ傾向かってことである。

プライベートでは親とペットの介護で身動きが取れなくなり、仕事の面では特にクリニックの経営・人事については震災後ずっと問題が続き、私にとっては現場を離れて命の洗濯をしにいく海外旅行へはほぼ1年ご無沙汰である。

フツー、そんなものだよとおっしゃられるだろうが、それまでは年に4〜5回は異国を歩いていた身にすれば、これは「停滞」以外の何ものでもなく、まんじりともしない日々が続く。
そうすると熱心だった英会話の勉強も虚しくなり、現状から逃避したいという思いばかりが募って、QOLがデフレスパイラルに陥るのである。

しかしそんな時が逆に、今までおざなりにしていた「日本とは何か」を掘り下げるチャンスでもある。

手始めに、以前参加していたネット塾「松岡正剛の編集学校」で課題図書の中の一冊であった、アレックス・カーを読んでみる。
(当時私は別な本を選んだので未読である)

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「美しき日本の残像」(アレックス・カー/朝日文庫)

アレックス・カーは、エール大学で日本学を修め、オクスフォード大で中国学を学び、日本に居住して日本語で著作するという、まぎれもない日本通のひとり、しかもかなり頂点まで行ってしまったアメリカ人である。
(日本語の著作を続けた後、英語での執筆を依頼された時には英語に自信が無くて翻訳を頼んでしまったというから相当なものだ)

私はこの本を読むまで、彼が庵を結んだ徳島県の祖谷(いや)という場所を知らなかったし、彼の解説する茶道や歌舞伎や書道の奥義も知らない。
なんという外国人だろうかと思う。

また、「6歳の時、僕はお城に住みたかった。」という書き出しで始まる簡潔で明るい日本語の文章は、日本人ならもっと装飾やひねりを加えて難解になるであろうデメリットを排除し、しかもですます調の丁寧な印象で、読む者を惹付けてやまない。

しかし読み進むうちに、「Lost Japan」という英題が示す通り、美しかった(外国人がこれぞ日本と思うような)原風景を、経済の発展の名の下に喪失し続けてきた日本への痛烈な批判のオンパレードに心が折れてくるのは私だけだろうか?

「もし、人類が宇宙に住む時代が来たら、その殺伐とした人工的な風景に嫌気がさして故郷に帰りたくなるであろう他の国の人々を差し置いて、日本人は気持ちよく暮らしていけるだろう。なぜなら宇宙の基地はアルミと蛍光灯の世界で、それは今の日本と全く同じだから」なんて、ちょっと皮肉がすぎるんじゃないか。

確かにこの点については同意する人たちも沢山いるだろうし、我々日本人が反省しなければならない大きな問題ではあるが、フクシマがあってさえ日本に住み続けなければならない我々にしてみれば、美しさを犠牲にしてもしてこなければならないこともあったはずだ。

かつてこの本を課題図書に選び、彼と親交があったらしい松岡正剛も、千夜千冊では、「もう日本を見捨ててタイに行ってしまったらしい」と素っ気ない。
http://1000ya.isis.ne.jp/0221.html

この本から私が学んだことは、学校で擦り込まれる「日本には四季があって自然が美しい」という観念がこのような外国人から見れば一種のナショナリズムにも似た「日本教」でしかないこと、海外へばかり目を向けている自分こそが「Lost Japan」そのものではないだろうかという反省である。



自宅、ドリアン・グレイの肖像 [マイハーベスト]

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プイリ痛。

あらやだ、あなた楽器まだだったのと先生が言い、いきなり竹刀のようなスティックを2本渡される。
夜遅くやったら近所迷惑だから9時前に練習してねと時間限定を言い渡されるが、そんな時間にフラの練習ができる日常ではないのである。

それでもできるだけ早く帰り、急いでご飯やらお風呂やらを済ませ、顔に保湿パックを貼付けたまま、出来るだけ早い時間にプイリの練習をする。
使っていない筋肉を使うのか肩甲骨周りが痛い。

フラも英会話もそうだが、やはり若い頃よりは格段に運動神経も物覚えも悪くなっているのは間違いない。
でも逆にチャレンジ精神は恥じらいを捨てた分だけ増進しており、衰えたという自覚の分だけ練習もがんばるので、特別今のところは困ることも無い。

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顔のシミや皺も気にならないといえばウソになるが、楽しんだ数を顔に刻んだと思えば逆にいとおしかったりもする。

しかし、ドリアン・グレイは、自分の美貌に一寸の影が射すのも許せない。
そして濃き交友を結んだ画家バジル・ホールウォードの描いた自分の肖像が身代わりとなって、醜く年老いてくれればいいと願ったのである。

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「ドリアン・グレイの肖像」(オスカー・ワイルド著/福田恆存訳/新潮文庫)

すっきり晴れた日本の冬の空とは真逆の、どろどろとした退廃的な芸術至上主義の中に物語は劇中劇のように予想通りに展開する。
世紀末イギリスの耽美的な上流社会は斯くあったであろうと想像される。

誰もが見惚れる美貌の青年ドリアンは、老獪な誘惑者ヘンリー・ウォットン卿に人生を揺さぶられ、罪と加齢を自分の肖像に移しとることでさらなる不道徳を重ねてしまう。
オカルトチックで現実的ではない設定も、肖像がドリアン自身の良心であると置き換えれば、いずれ破滅が到来することは容易に想像できる。

果たしてその時は訪れる。

時折、無数の形容詞にまみれた装飾的な文章の中に作者の逆説的な直言が差し込まれているので、クドい文章に飽き飽きしてきたら、それを拾い読みする。

「過去の魅力は、それが過去であるということにしかない。」
「芸術は芸術家を顕(あらわ)すよりも遥かに完全に芸術家を隠すものだ。」
英文和訳の問題に出そうな文章なので、原文のセンテンスを考えたりしてしまう。

しかし、オスカー・ワイルドである。

私が子どもの頃読んだ本の中で心底涙にくれた物語が二つあって、一つは「フランダースの犬」で、もう一つはオスカー・ワイルドの「幸福な王子」である。

美しい彫像の王子が、南国へ渡る途中に一晩の宿を借りにきた一羽のツバメに頼み、自分を飾っている宝石や金箔を貧しい人々に届ける。
ツバメは何度かそのお遣いをしているうちに南国に渡る時を逸して衰弱し、最後の力を振り絞って飛び上がり、宝石も金箔も失われてみすぼらしくなった王子にキスをして、その足下に落ちて息絶える。(あー、今思い出しても涙が出る)

「王子はきれいなかざりをぜんぶ失くしてきたなくなったのに、どうして”こうふくな”王子というだいめいがついているのでしょう?」
という先生の問いから、そこで幼い頭がぐるぐるメリーゴーランドのように回り出した感覚まで覚えている。

一見、「ドリアン・・・」とは道徳と背徳真逆の説得を試みているように思われるが、美醜に根ざした同じ匂いを嗅ぎ取るのは私だけではあるまい。




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